過去完了還流3.
東京生活は20歳からの30年になる。練馬区、豊島区、文京区と引っ越しを重ねつつ、帰郷する直前には埼玉県新座市に住んでいた。その間、今は他界している彫刻家の親友と渡り鳥のように鳴き交わしつつ、一貫して、秩父行を続けた。桜台、江古田、練馬あたりから、所沢、ひばりが丘。そして入間、飯能。何故だろう?いろんな固まりがあるが、理由以前に心身ともに惹かれ、活力を補給する事ができたから。秩父夜祭り、秩父困民党、三峯神社、武甲山、西武池袋線から望む名も無き土地と山々。途中下車したプラットフォームから眺めた冬枯れ野、真夏の山中の一本の木の枝の振動に見えた永遠性。地方から東京に出た者は、東京に流入し東京から還流するいずれかの源流に惹かれ数十年を送るように感じる。自分の場合はこの秩父武蔵野還流だったし、実家に戻った今は、秩父から池袋に至る記憶領域こそが魂の故郷のようになっている。
“闇色のソプラノ”、北森鴻。
“たしかに遠誉野村は眠っていたのである。さまざまな人が暮らし、特に交通手段がないわけでもないのに、遠誉野という集落は誰からも顧みられない。あって無きがごとき空間であった。その事を誰一人として疑問に思うことは無かったし、そうした静寂を好む気質が遠誉野という場所にはあったかもしれない。眠りと熟成、静かな変質、無変化という変化。「殻」は半永久的に護られるかと思われた。或いはそれ以前の空白の時間を考えるなら、遠誉野には何かしらそのような運命が存在するのかもしれない。”
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