懐かしき「泣き人形」の回(2015年1月6日採集)

割と中の人がよくモメるコミュニティに属している。
嫌気がさして出て行く人も多いみたいだけど、割と僕は嫌いではない。人と人がぶつかってたてる音は、実はあまり嫌いではない。がちゃがちゃと陶器か触れあうように、時に強度を確かめ合うように、時に愛おしく撫であうような衝突は、心地よいとさえ思うときがある。

もっとも今回のモメる原因については、上から目線と言われると困ってしまうが、ダメと断罪されるだけのことはあるなあ、とは思う。一言でいうなら野暮くさいことこの上ない野卑なストロークである。

一番の罰は「みっともないやつめ」と思われることかなあ、と思う。人間社会で最大の罰は、そこじゃねえの、とはいつも思う。この記録社会、このへんの顛末がアーカイブに残ってゆくというのが恐ろしくもあり、すげえなあ、と考えるところでもある。
見る人が見れば、ライフログが名前情報についてきているってのは、ほんと、すごい。

話がズレたが、人が衝突する様子についてだ。
常々思うのは、いつ、どの瞬間に人は「多数派」になるかという問題だ。僕などは唇の寒さを極端に厭う人間なので、バルス以外の「誰か言うだろう」という単純な理屈問題に関しては積極的なコメントを差し控えることにしている。理性ではなく、嗜好の話だ。

そりゃ、違うでしょとか思ったら横レスしたりすることもあるが、基本的には、見ているだけ。
僕がこのコミュニティにいて面白いと思うのは、言葉にそれなりの責任が付帯しているところだ。
感情で発言する姿も目にはするのだけど、言い捨てにする姿はほとんど目にしない。これは本当に面白いと思う。
思って、タイプして、エンターキーを押すという三動作でのクールダウンが作用しているのか、そもそも自分の言葉自体の価値しかない世界に慣れている人が多いのか。ともあれ、好ましいと本当に思う。

今回のお話、「多数派」を巡る話が根幹かなあ、と見ている。よくも悪くも、マイノリティであることがコンプレックスになっている人が多いコミュニテイである。
要は、このマイノリティの筈の僕らの中の、とあるメンバーが「100人以上の我々の総意があるんだぞ」と張子の虎の威を借って、いち個人に圧力をかけようとした、というのが問題なわけだ。
僕はこの圧力が事実かどうかに頓着しない。僕が話すのは、これを受けてどう感じるかという問題だ。
おそらく、コメントをつけてしまう人は、戸惑っている人なのだと思う。

マイノリティでいることは、しばしば苦痛を伴うが、簡単ではある。努力をしなければ我々は、すぐに集団からはじき出されてしまう。マイノリティであることに努力は必要ない。そのカテゴライズは、勝手に付与されるもので獲得するものではない。
マイノリティである日々は、「加害者になりにくい日々」と言い換えても良い。我々は善良なのではなく、単に加害者になりにくいだけなのだ。

そんな日々を送っていて、不意に「誰かにとって、我々が加害者と見なされる危険がある」という事実を突きつけられれば、これは相当に戸惑うと思う。反射反応としては、「おれを数に入れてくれるな」という拒絶は非常に自然なものかと思う。
僕らは、いつ、どの瞬間に「多数派」になるかという問題なのだ。互助会とはいえコミュニティに参加する身だ。僕らは、少数派であることを拠り所にして、身を寄せ合って数を増やそうとする、矛盾した生き物なのだ。

この矛盾を僕は愛しいと思う。
だからこそ、矛盾を抱えきれずに安直な「多数派」になってしまった当事者のスタンスを溜息で迎え、この問題の議論の中でも、多数派であろう意見に「イイね!」と賛同することに躊躇う。
友愛のために集まりながら仲間内で血塗れになるまで喧嘩し、分かり合えねえだろうなあと思いながら夜通し会話し、知識や技術を総動員してくだらないことを必死で考える。世俗から離れて見られたいという低俗な欲求もすごくいい。理解力がない相手をバカにしながら「理解してもらいたい」と思うなんて、人間っぽくて最高だと思う。基本的に変態なので、ちょっと異端な感じだろうとは思うが、このコミュニティはこれでいい、と思う。

最後に、とってつけたようにはなるが、僕がこの全体公開の記事で書くべきかなと思うことはたったひとつだ。さっきも述べたが、今回の騒動が事実かどうか、あなたが実在するかどうかにも興味はない。なのに、確かに「あなた」に向けてこれを書こうと思う。この矛盾も不思議だとは思うが僕の身の内にある。
たぶん、MENSAは、どの方向かに結束することはない。集団である以上、偏差は必ず存在するとは思うが、何かに圧力をかけるような、そんな器用な団結力は、欲しくても手に入らないのだ。我々の、この、とっちらかった纏まりのなさを信用してほしい。

僕たちは、ただ、どうしようもなく、バラバラなのだ。バラバラであるという一点でのみ結束する矛盾の塊なのだ。
願わくば、僕たちを「たくさんの個人」だと思って見てほしい。レッテルでカテゴライズされるのは、ちょっと悲しい。

MENSA会員から攻撃・セクハラされたと主張する女子中学生(実際はそんな人物は存在しないが、ややこしいことにその非実在女子中学生アカウントに対して「あなたを姪にしたい」と突っ込んでいったMENSA会員の独身異常おっさんは実在するし、もっと怖いことには今でも現役でMENSA界隈に在籍している)から、お前たちMENSAの人間は全員許さない、というコメントがなぜかMENSAに入会したばかりのわたくし個人宛に弾着。
世界向けのエッセイとして全公開で書いたから仕方ないと言えば仕方ない。

最初から気合の入ったキチガイであるところのわたしは、彼女を真正面から相手するのでありました。
女子中学生の当初の主張は「わたしは実在するわボケが」「長文で頭いい風を装っててキモい」とかそんな感じ。

当時の状況ダイジェスト

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