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セレブレーション・オブ・ライフという考え方

著:御手洗ケール

昨年11月、大切な家族の一人が亡くなりました。

闘病していたのは知っていても、コロナ禍の真っ只中でなかなかお見舞いに行けないでいたところ、10月末に突然連絡があり、最期は長年暮らした自宅で迎えたいという本人の希望で、翌日退院が決まったとのこと。自宅療養はたくさんの器具を運び込まなければならないものの、これは延命措置はしないという意志の表れでもありました。幸い入院先の病院は自宅から近かったので、ダメ元で面会に行ったところ、かなり遅い時間、しかもICUにいたにも関わらず、奇跡的に面会が許されました。

今思えば、病院側の特別な配慮で最後に特別に会わせてくれたのかもしれませんね。

私は、兄弟で今後のことを話す姿を静かに見守るだけでしたが、日本の父の場合もそうでしたが、現状を受け入れ、冷静に話ができるのはすごいことだ思います。みんな、そんな心境に到達できるのでしょうか。

私はそんな心持ちになれるのかちょっと自信がないなぁ。あれも片付けてない、あれは見つかったら困る、とか、色々後悔しないように、今のうちから終活を始めるべきですよね。


集まれる人数に制限があるなどしていたため、亡くなって9ヶ月後、ようやく散骨の日を迎えました。場所は、ファミリーが長年暮らしたカイルアの海。夜明けとともに、身内だけでひっそりと遺灰を海に還すセレモニーを行いました。

プラスチックの箱に入った遺灰は、ずっしりと重く、大のビール好きで陽気な年上の義弟の包み込むような優しさ、時に発するシニカルな辛口ジョークなどを思い出しながら、彼の人生の重みを両手いっぱいに感じました。

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アメリカにも、荼毘に付す前に、葬儀場や教会などで親しかった人が故人とお別れができる、お通夜やお葬式と似たパブリック・ビューイングがありますが、その人の人生を祝い、讃え、偲ぶセレモニーを「セレブレーション・オブ・ライフ」と呼びます。日本で言えば、お別れ会とか偲ぶ会にあたるものですが、様々な思い出をみんなで語り合い、故人を偲ぶことをセレブレーションと呼ぶなんて、なかなかな発想。

この世に生を受け、多くの人と出会い、縁あって家族となる。それはもう本当に奇跡に近い出来事であって、その出会いを祝い、喜び、感謝するのは、人生の締めくくりにふさわしい、とてもすてきなイベントだと思います。

ハワイの葬儀では、黒を着る人は殆どいません。男性は正装であるアロハシャツを着ますが、やや地味目の色を選んだとしても、まだまだカラフル。女性もハワイアンドレスを着ることが多いのは、セレブレーションという考え方が浸透しているからでしょう。


遺灰を自然に還したあとは、肩の荷がおりたのか、美しい日の出とともに家族のみんなに安堵の笑顔が戻ったのが印象的でした。お墓はなくても、この場所に来れば、またその存在を身近に感じることができる。それもまたいい選択だと実感した日。

さて、私はどうしよう。。。

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