水道普及率が八〇%を超えると、赤痢や腸チフスといった水系伝染病が激減する
1945(昭和20)年8月28日に、米軍は厚木飛行場に先遣隊が到着します。
その後、空と海から続々と米軍部隊が日本本土に上陸しました。
米軍は日本各地に駐屯しました。
米軍が一番気にしたのは、衛生でした。
日本に進駐する約25万人の米軍兵士に、伝染病が蔓延することを心配していたのです。
最も心配したのは毎日飲む水でした。
昭和20年9月11日に、東京都水道課の岩崎栄吉課長のところに、米陸軍第八軍司令部技術本部のヒンマン中佐が訪ねてきました。
いろいろと水道について質問をしました。
ヒンマン中佐は、東京だけでなく、横浜、川崎などの首都圏の水道施設の調査も行っています。
昭和21年7月に、GHQは、日本政府に対して覚書(メモランダム)を発出しました。
水道水に塩素を添加して、水道管の末端の濃度を〇・四ppm以上とすることを命じました。
岩崎課長は、その内容に衝撃を受けます。
これまで日本では、塩素を投入するのは、水系伝染病の発生の恐れのある夏だけでした。
しかも濃度が低く、水道管の末端で塩素濃度を測定したことがなかったのです。
しかし、GHQの命令は「絶対」でした。
そのために、八月中に岩崎課長たちは必死になって覚書の基準を満たすように態勢を整えました。
ヒンマン中佐は60歳で、もともとアイオワ大学教授で、米国の水道協会の会長だったのです。
陸軍中佐として、日本で4年間滞在して、水道の指導を行いました。
公務外の余暇を利用して、関東地区の水道担当者を集めて講習会を開くなど、指導者の育成に尽くしています。
GHQが示した水道の基準は、我が国の水道基準となって現在に至っています。
岩崎課長は、その後、東京都の水道局長となりました。
占領期の米軍について、岩崎氏は、塩素消毒の徹底と水道技術者の重用の2点を評価しています。
日本では水質専門家は、それまで全く重用されていませんでした。
水道普及率が80%を超えると、赤痢や腸チフスといった水系伝染病が激減するとされています。
日本では昭和45年以降がそれに当たり、それまで猛威を振るった水系伝染病は姿を消しました。
それに伴い、伝染病対策を主導してきた保健所の仕事が激減して、いわゆる「保健所たそがれ論」が出てきました。
そして、保健所は行政改革の対象とされ、統廃合が進みました。
それから半世紀後に新型コロナウイルス感染症が蔓延して、感染症対策における保健所の役割の重要性に気がつきました。
これまで水道は厚労省が担当してきましたが、令和6年度から水質の基準は環境省へ、水道の整備は国土交通省に移管されました。
公衆衛生の精神が、しっかり受け継がれることを切に願っています。
水を制する者は公衆衛生を制す
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