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孫子の兵法には、公衆衛生がある

noteを開始した直後に、宮崎市内で震度5強の地震に遭いました。
部屋の本棚が倒れて、本まみれになってしまいました。
これを機に、本を整理することにしました。
使う本と使わない本を区別して、使わない本は段ボールに詰めて、別の部屋に移動しました。
片付けに丸一日かかりました。
おかげで腰が痛いです。

整理した状態

孫子の兵法に関する本は、使う本にしました。
経営者が解説した孫子の兵法が多いのは、孫子の兵法を実際の経営に活かすことが多いからでしょうか。
初めて気が付いたのですが、孫子には、公衆衛生や労働安全衛生に通じることが多く書かれています。
孫子は労働者たる兵士の安全と衛生を最優先に考えていたということがよくわかります。
 
死者は以ってまた生くべからず (火攻篇)
(訳)人は死んでしまえば二度と生きかえらない。
 
およそ軍は高きを好みて下きを悪み、陽を尊びて陰を賤み、生を養いて実に処れば、軍に百疾なし (行軍篇)
(訳)軍を配置するには、低地を避けて高いところに構え、日の当たる南を選んで北側を避ける。そのうえで栄養と休養に気を配れば、兵士は健康で気力も充実する。
 
それ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貸をつくさば、即ち諸侯、その弊に乗じて起こらん。(作戦篇)
(訳)長期戦になれば軍は疲弊し、士気は衰え、戦力は底をつき、財産危機に見舞われれば、その隙に乗じて、他の諸国が攻め込んでこよう。
 
軍、輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積なければ則ち亡ぶ(軍争篇)
(訳)整備、糧食、その他の戦略物資を欠けば、軍の作戦行動は失敗に終わる。
 
労働安全衛生は、人が集団での生活をおくるようになってから、集団で武器を使って狩猟を行う際に怪我をしないよう、火を扱う際に火傷をしないようになど、集団内においてある仕事(労働)を行う際に怪我をしないように気を付ける事項(おきて)が、その発祥だと思われます。

その後、人は農耕を憶え、集団で定住した生活を営むようになります。武装して、他の集団と争うようになります。攻撃用の武器とともに自分たちの身体を保護するための鎧や兜、鉾などの「保護具」も生まれました。

人間の集団はやがて国と国との戦争に発展し、「軍隊」という戦いを専門にする集団も組織化されました。

孫子は今から約二千年前の中国の呉の国で活躍した兵法家です。
孫子の特徴は、リーダーは兵士の健康を第一に考えよとしている点です。
人は死んだら二度と戻らない、兵を疲弊させたら戦いに敗ける、飢えさせれば失敗すると、何度も何度も繰り返して、兵士の安全と健康の重要性を述べています。
孫子の兵法は、「労働安全衛生のマニュアル本」だと言っていいと思います。

元東レ経営研究所社長の佐々木常夫氏は、「孫子が肉弾戦よりも知能戦に重点を置いて、できるだけ損害の少ない、なるべく人の死なない戦いを目指していることのあらわれといえましょう」と指摘しています。

明治期の日本陸軍の将官で孫子の兵法の解説書「孫子例解」を著した工兵出身の落合豊三郎中将は、豊臣秀吉が一番の孫子の兵法の理解者だとしています。
秀吉は、人が死ぬことを嫌い、なるべくガチンコの戦いを避けて、「戦わずして勝つ」方法をとって天下を平定しています。

昭和天皇の独白録には、敗戦の原因が4つ挙げられています。
①兵法の研究が不十分であった事、即ち孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと。
②余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した事。
③陸海軍の不一致
④常識ある首脳部の存在しなかった事

日本軍、特に昭和の陸軍は、孫子の兵法を「古い」として研究をしていませんでした。
孫子は「百戦百勝は兵や国の疲弊を生じることからよいことではない」と言っていますが、日本陸軍は「百戦百勝が皇軍の伝統だ」と言い切っています。日華事変以降の泥沼化する戦争は、孫子と真逆のことをあえてやったのではないかと思えるほどです。

戦後、軍が消滅し、経済が復興するとともに、孫子の兵法が経営者の指導の書として甦りました。
今では、企業の存亡をかけた戦いに勝つために経営者が今後の経営戦略を考えるための指南書となっています。
経営戦略では、従業員の健康や安全を守ることが極めて重要です。
従業員の健康や安全を考えないブラック企業は、長期的に見れば、人を確保することが困難になり、自滅します。

労働基準法の前身の工場法は、経営者の反対で、立法することが極めて困難でした。
農商務省の工務局の岡実局長は、次のように語っています。

条文はわずか15条の法律で内容も簡単なものであるが、制定までに30年、主務大臣の更迭23回、局長の交代15回、書き直し百十数回の末やっと制定されたものである。

1万円札の渋沢栄一も工場法に反対していました。渋沢をはじめ財界を説得したのが、陸軍出身の総理大臣の桂太郎です。
桂太郎は、孫子の兵法を読んでいたと思います。

notoを初めて投稿した直後に地震に遭ってしまった。


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