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米国では、日本のツツガムシ病の方が、国内のロッキー山猩紅熱より有名である

我が国には、古来よりツツガムシ病があります。
ツツガムシというダニの幼虫にリケッチアを保有するものがあり、これに咬まれて感染する病気です。
古くは、秋田県、山形県、新潟県の風土病として知られていました。
今では北海道を除く全国各地で発生しています。

典型的な症状は、高熱、発疹、刺し口です。
特効薬であるテトラサイクリン系の抗生物質がなかったときは、大変恐れられていました。
今でも診断が遅れると、ショックで血管内の血液が固まって、多臓器不全で死ぬことは珍しくありません。

米国にも「ロッキー山紅斑熱」として知られるリケッチア感染症があります。
この病原体を研究中に殉職した米国の医師リケッツの名前から、「リケッチア」と命名されました。
日本でも、ツツガムシ病の原因となる病原体を特定するための研究に従事した研究者が何人も亡くなっています。

このツツガムシ病ですが、米国人の医師で知らない者はいません。
英語では、Tsutsugamushi disease です。
大学の微生物学の先生が、「アメリカ人はなぜかツツガムシ病が好きなんだよね。理由はわからないけど……」と講義中にしゃべっていました。

その理由は、日本と戦った第二次世界大戦にあったのです。
米軍は、マラリアについては相当に事前準備をして、予防と治療に万全を期しました。
マッカーサー将軍自ら、マラリア対策を徹底的にやるよう各部隊長に命令を出しています。
抗マラリヤ薬はにがいので、兵士は飲まないことが多かったのですが、上官に対して隊員全員が飲むのを確認させました。
現在の結核対策で行われるDOTS(直接服薬確認法)のはりしでしょう。

米軍兵士は、蚊に刺されないように、腕は絶対にまくるなと厳命されました。
夜は、マラリアに刺されないように行動を制限されました。
軍のラジオ局は、徹底的にマラリア対策のキャンペーンを行いました。

一方の日本軍のマラリア対策は貧弱でした。
夜襲を得意とする日本軍は、夜間に湿地帯を行軍して蚊の餌食となりました。
精強な日本軍兵士も、マラリヤに感染して次第に衰弱していきます。
米軍は、マラリアが蔓延して機能が低下した日本軍を南太平洋の各地で次々に撃破していきます。

ところが、米軍はツツガムシ病についてはノーマークでした。
ある島に上陸した米軍は、3分の1が感染して、部隊運用ができなくなりました。
蚊は目に見えますが、ツツガムシの幼虫は目に見えません。
しかも、致死率が30パーセントを超えていました。
米軍は、恐怖のどん底に陥ります。

マラリヤ対策チームは、ツツガムシ対策チームに変更されました。
米軍の軍医たちは、日本人の医師が研究発表した過去のドイツ語の文献を徹底的に集めました。
また部隊が移動した場所に、ツツガムシがいるかどうかを徹底的に調べています。
米軍がツツガムシ病の存在を知ってから、米軍の侵攻速度は遅くなり、深追いはしなくなりました。
日本軍の拠点あっても強攻せず、無視して素通りする「蛙跳び作戦」を展開します。

日本を占領した後に、米軍兵士が訓練中にツツガムシ病に感染して死亡した例も多数発生しています。
米軍には、このようなツツガムシに苦しめられた経験があるので、米国の感染症のテキストには、自国のロッキー山紅斑熱とともに、ツツガムシ病がセンターで登場します。

結局のところ、米国には、「衛生」で負けたような感じです。
米軍の感染症対策は、日本軍よりも質・量ともに遙かに上回っていました。
マッカーサーは、「公衆衛生を味方にした将軍」とも言われています。
米国のアトランタには感染症対策の殿堂であるCDC(疾病管理予防センター)がありますが、もともとは日本軍と南方で戦うことを想定して作った感染症対策の研究所でした。

国際医療研究センター特別名誉総長森鴎外之像

日本版CDCとして、東京都新宿区戸山にある国立感染症研究所と国立国際医療センターが統合されます。
この戸山地区は、かつて陸軍病院と陸軍衛生学校があって、感染症の研究などが行われた場所です。
私は、宮崎に帰るまでは、戸山の近くに住んでおりました。
米国のCDCと同様に、ミリタリーが出発点であることが、歴史の偶然として興味深いです。

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