非当事者研究その6
「当事者」に関わる人を表す適切な言葉の条件には二つあると考えています。
一つ目の条件は、「当事者」という言葉を想起させる言葉です。「支援者」から連想するのは、「当事者」よりも「被支援者」であり、受動的なイメージから免れないでしょう。そのほかにも「伴走者」がありますが、「当事者」という言葉を連想しにくく、むしろ「独走」あるいは「暴走」しかねないから「伴走者」が必要だとされかねません。
「当事者」を想起させる点で、「共事者」という言葉は字面だけでなく、音韻も似ており、優れています。「共事者」は小松理虔さんによる造語で、その根底には「当事者」が同時に「非当事者」をも浮かび上がらせてしまい、排除してしまいかねないという私と共通した問題意識があります。
小松さんは東日本大震災からの復興に関わる中で、当事者性や専門性が問われ、外部が関わりにくくなり、結果として当事者が孤立し、課題解決が遅れることを指摘しています。そこで、目的意識を持って課題に直接的にまじめに「事に当たる」アプローチとは別に、「当事者」の課題に個人の興味や関心を通じて間接的に関わるふまじめなアプローチを「事を共にしている」すなわち「共事」と名付けて、課題にゆるく関わる中途半端な立場を「共事者」として肯定しています。
ただそれでもやはり「共に」あるいは「一緒に」と言ってしまうところには、「当事者」との差異を無化してしまう可能性を感じ、躊躇してしまいます。「当事者」と「共事者」とでは被る利益や不利益が異なることもあり、「事を共にしていない」ときがかえって目立ってしまい、「一緒だったはずなのに」という思いを強くしてしまうこともあるでしょう。したがって二つ目の条件は、「当事者」との差異も含み込んだ言葉です。