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人生の主導権は自分が持とう

世の人は忙しなく動いている。一体何のためにそんなに忙しなく働くのだろうかと思うほどに。お金だったり名誉だったりするのだろうが、それではなかなか幸せにはなれない気がする。鞭打たれるようにして働くのは奴隷で明らかに自由な人間のすることじゃない。プライドが邪魔をしてゆったり生きることができない人も多いのかもしれない。そういう人は、自分で自分の首を絞めちゃってるんだろうなと傍から見ていて思う。僕がそういう人たちに言いたいのは、人生の主導権を明け渡すなというシンプルなメッセージである。

せかせか働かされて収入があまりないというのはあまりに辛くないだろうか。もっと自分のペースというものを大事にして自分軸で生きて人生の主導権を自分に取り戻してほしい。案外正解は自分の心が知っていたりするのだ。プライドや外的な評価を気にせずに、自分の内側の声を聞いて何をしたいのか、どのように働きたいのかを明確にしてほしい。本当は誰だって嫌々仕事を続けていたりなんてしたくないはずなのだ。

なぜ月曜日からの仕事が憂鬱なのかといえば、それはこれまでも述べてきたように、人生の主導権を他人に奪われているから。仕事中にあなたの主体性はなく、言われるがままにやらなければいけないタスクを拘束時間を超えてまでやらされるなんて誰が聞いてもやりたいことではない。「好きなことを仕事に」と言われると甘いように聞こえるかもしれないが、要は、人生の主導権を自分に取り戻すということなのだ。

いつ、誰と、どこで何をするのかはあなたが決めるべきで他者に命令されるべきではない。こんな当たり前のことが仕事になった途端に崩れてしまう。だから苦しいのだ。本来なら自由に自分が決められることも仕事の時間になると、上司の命令に従ってずっと動かなければならない。だが、ここで勘違いしてほしくないのは、全ての仕事が自由を奪われるわけではないということだ。ちゃんと主導権を握ったまま働くことができる。誰にも指図されずに、自分の意思で働けるようになった時、初めて仕事本来の働く喜びを実感できて働きながらも生き生きとした実感を得られるようになるだろう。

つまりは、今まであなたが感じていた労働の苦しさはあなたが奴隷ではないからこそ感じていたもので合って、本来働く時に感じるものではないというのが僕の主張だ。誰であってもライフの主導権は誰にも譲りたくない。自分で握っていたい。その当たり前の感覚が苦痛として現れていただけなのである。それを知ったのなら次にやることは明確。人生の主導権を取り戻しに行こうということになる。

自分の心が求めているのは自分で意思決定できる自由である。いつどんな場所で働き、誰とどのくらい何で働くのか。実現するのは簡単ではないかもしれないが、挑戦する価値があるのは誰にとっても明らかなはず。じっくり考えて、人生の主導権を取り戻し、素敵な人生を歩んでほしい。

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