"生物"って"傷み易い"と限りなく類義でしょ
病んでいる間だけ活動できるひとは
作業療法の産物がたまたま綺麗なだけじゃん。
私生活に満足しているときに創作活動をできる者が
創作者なのだと思う。
わたしは娯楽として読めるよう文字を書くことがあるけれど
それらは箱庭に置いた砂と人形だ。
(※この記事は「それ」ではない。念のため。)
わたしは詩人ではないし、俳人ではない。
探究心の無い、向上心の無い、読者を想定しない、自己救済のために擦った垢が、稀に偶然幾分かの魅力を持つ文字列というだけ。
なんか通じてないなあ、と思うときがある。
大抵はわたしの言葉足らず(あるいは過剰な多弁)のせいで
整理整頓して伝え直せばある程度の着地点を見つけられるのだけれど
今のところ一度も「降りられた」と思えていない敬愛がある。
好きな俳優を好きになったときの話だ。
わたしはその凪いだ、三人称視点的な、ひどく静かで冷たく優しい仕草を、仕草を目指しているであろう仕草を、誠実だと思っているのに。
研いで研いで向こう側が透けそうな刃物の、その薄さを綺麗だと思い
その残った厚さを綺麗だと思うのに。
生命力の奔流というような
一瞬きらきらする、めらめらする、はじけてはずむ芝居を腐すつもりはない
エネルギーそのものを丸まま提供する美徳を、美徳とするひとびとの感性を、侵すつもりなんてない。
わたしが、わたしの愛を以て尊ぶのがそれではないというだけだ。
リピート再生できそうな立ち居振る舞いを、清いと感じるだけだ。
それだけの話がどうして難しがられてしまうのかな。
その好きなひとを初めて見たのも、好きなひとに初めましてをしたのも
好きなひとにお疲れさまでしたをしたのも、寒い日だった。
極めて個人的な理由で、秋の終わりから冬にかけては演劇の季節だ。
たとえば
舞台は生物、やなんかを否定しようってんじゃないよ
ただその言い草に乗らせてもらうならさ
生物って傷み易いと限りなく類義でしょ
板前さんが「当然そりゃ火を通してないから生臭いよ」って言うのはあまりに格好悪いでしょ
完璧な一皿を目指してくださいよって思うでしょ
「ツマラナイモノですが」って出されたくないでしょ
違うの?
わたしはそうなんだけど