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Y褻な歌は歌い辛ぇ

タイトルは

より。

北大路翼『流砂譚』
……の、話がしたい。

今年のベスト本。今年の。うん。刊行としては今年だし、だから当然、読んだのも今年だ。
ただ2021年~2023(? 編集作業にかかる日数を考えたら22までかも)年の作句を集めた句集、と考えていいと思う。たぶん。

北大路翼って分かりますか。
アウトロー俳句って聞いたことありますか。
ゲーム散歩や激レアさんで取り上げられたこともあるそうですね。ぼくは見てないけど。

ぼくは長いこと俳諧の発句のことを考えて遊んできたこともあって
「ハイク」に対して俳にして諧のものだとばかり考えてしまうのだけれど
どうやら「俳句」を高尚で雅やかでハイなソサエティの香りが芬々としているような文学だと捉えている人間が少なからずいるらしい。どっちかってーとソレは和歌じゃね?

秀麗な、清澄な、華美な17音を腐すつもりはない。
ないけれど、「それって俳句なんか????」と首を傾げてしまう。
そこへ来て、北大路翼は「俳人」である。

諧謔だ。滑稽だ。しばしば猥雑だ。同時に哀切だ。
原義的な「俳句」が生きていること(失われたとしてREBORNすること)はぼくの喜びだ。

アウトロー俳句、なんて呼ばれているけれど
有季定型で「俳句」としてはだいぶトラディショナルなスタイルだと思う。
むしろかなり「ロー」の内側にどっかり座っているイメージ。内角低め。
題材が卑近であることを指しての呼称なのかしらね。そんなの俳諧の発句が俳諧の発句であるコアじゃないの。インもインでしょうに。


#今年のベスト本



ちなみに今作ではセーターの句が一等すき。
この句集以外も対象にするのであれば
その他たくさんの俳諧を踏まえた上で、毛布の句が一等すき。

ところで俳諧の話をするとき「ぼく」の方が「わたし」よりしっくりくる
この現象は何なのかしら

あと、あの見てくれ(知らなければ「北大路翼」で検索してほしい)なのに
「翼くん」って呼びたくなるのは何故かしら


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