人間辞職/責任/社会と個人

そういえば最近座学じゃない勉強、なんて言うんだろう、学校で言うなら体育・音楽・美術・技術・家庭科あたりのものを探索するのがマイブームです。感性的で創造的な遊びとでも呼んでおきましょうか。

私は言葉が好きだからどうしても文字媒体のコンテンツを選んでしまう。本とかブログ読みがち。でも歌なら歌詞としての言葉も、音としての面白さも両方あって面白い。それに写真や動画、絵画って言葉なしで表現するってすごいなぁって思う。素敵。そして私も何か無文字のアートをこの夏にやってみたいなぁと思ったり。

そうそう昨日偶然聞いた曲で、駅で歌っていたら思わず立ち止まってしまうような曲があったんだけれど、

ぼくのりりっくぼうのよみの「人間辞職」
https://youtu.be/zsVtx7hEMYM

(お昼に聞いたんだけれど夜聞き直したら重かったから昼に聞くのがオススメ?)

なかなか面白い曲だった。特に世界観と歌詞が。この曲の背景を全く知らないけれど、いくつかの歌詞が頭の中で衝突して渋滞してしまったわけで。

「この社会も会社も思えば学校もどうにも馴染めずにずれる」

「この社会に辞職届を叩きつけます」

「私は責任をとって人間辞職」

まず思い浮かんだ言葉が、責任、社会、性悪説、自由。(FreedomとLiberty)

まず責任とる状況があったとして、それを役職的なものを辞めることで解決しちゃうのって一体どうなのって思った。一つのアイデンティティとしてのポジションを失うこととは個人にとってダメージはあると思う。だけど責任をとったかというと疑問。偉い人が事故起こしたからその役辞職しても責任とったことにはならないよね。辞職における正義感って何だろうって思った。社会的地位がなくなるという制裁が個人に下されるということなのかな。責任をとって問題を解決するのが罰を与えるに代替してるということなのかな。どうなんだろう。

それと社会に辞職届を出すというところで、社会と個人が上下関係になっているところ。社会の定義に集団と個人のような人の数を用いるなら社会のほうが数が多いから強い立場になる。会社の上司みたいな。会社には志願して採用して入るけれど、社会には別に志願してその組織の中に入るわけではない。人間も同じく。私なら辞職しますより人間の皮脱ぎますとか言いそう。そしたらただの肉になっちゃうかな。でも辞職するという表現もいいと思う。そっちのほうが社会の中にいる人間ぽいし、社会に辞任届出すという表現そのものが面白いから。

性悪説、ちょっとこれどう考えてもなんで浮かんできたのかのか思い出せないからパス。別の考え事とこんがらったのかもしれん。ただメモしてあったのは事実。

自由については責任の裏に自由はあるのかなと思って。それと普段自由って自由として使うけれど、意味はFreedomの人が生まれつき与えられた自由と、Libertyの自ら勝ち取った自由の2つがあって自由という言葉を使うときにはどっちの意味なのかを考える必要があるなと改めて思った。

ここで人間辞職の場合はどっちなんだろう。人間を辞職する個人は社会の中で生きる人間であるからFreedomを持っている。でも「あたし生命は私のもの、人間なんかのものじゃない」と人間と私をはっきりと区別していてLibertyにもとれる気がする。

じゃあFreedomとLibertyそれぞれ放棄されたらどうなんだろう。Freedomがなかったら日本国憲法でいう基本的人権がないってことで、Libertyがないと政治的な自由がないってことなのかな。でも表現の自由ってfreedom of speech、あれどういうことなんだ。そもそも日本って近代化が西洋諸国と比べたら異質じゃん、市民革命がなかったからLibertyの感覚が薄い気がする。投票率が低いのも有意的な関係あると言えるのかな。Libertyってどういうニュアンスの自由?よくわからないや、誰か一緒に考えよう。自由ってよく使っているくせによく分かってないのね私。

さてアートやりたいってことで今日の午後は何作ろうかなといろいろ考えてたんだ。私は落合陽一さんのメディアアートが好きで、彼が蝶を使っていたから私も蝶をモチーフにしたいなって思った。それに蝶はなんか私にとって特別なものな気がする。初めて美術を習った中学生、漢字一文字をレタリングする授業で私が選んだ字が蝶だったんだよね。それに蝶がひらひらといろんなところに飛んでいくところが好き。縛られないところ。自由なところ。(この場合の自由はFreedomか)まだどうなるか何をするかは全く決まっていないけれど、この夏休みの間残り2週間弱で何か1つ作りたいなって思ってる。手芸や絵画は私にとって選択肢として簡単すぎるからできたらそれ以外に挑戦してみたいな。

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