劇団がじゅまるでのこと、備忘録。

沖永良部島にもきっと劇団はあるだろうと思ってググったら、あった。
「劇団がじゅまる」という名前の20数年前からある老舗劇団だ。
なんとかしてこの劇団と仲良くなりたいなと思っていた。

沖永良部島に来て、ツイッターを更新していたら、ちょっと気になるいいねの仕方をしているアカウントがあって、フォローバックして、しばらく様子を見ていたら、どうやら劇団がじゅまるの人なんじゃないかと思えてきた。
後日、Facebookで友達になる佐々木美苗さんのツイッターアカウントとわかった時に、すごくうれしかった。

観光協会の古村さんとも劇団がじゅまるに関わりたいと話をしていて、「美苗ちゃんが窓口になってくれるだろう」と言ってくれた。どうやら10月半ばに公演をするらしかった。しかも、和泊町の小学校の修学旅行の一環で、一般には開かれていないらしい。

まだ会ったこともない佐々木さんにFBを通じて、ぜひ劇団がじゅまるの手伝いをさせてほしいとお願いすると、「事務局・役員と相談した結果、次回の稽古からおねがいします」とお返事をいただいた。これはちゃんとした組織だぞと、心して稽古場にお邪魔した。なんなら、前日に稽古場である公民館の場所を下調べしておくほど、失礼のないように準備していた。

稽古場に着くと、主宰の梶原景之さんと慶之さんがいらっしゃって、自己紹介をした。次々と参加している方々がやってきて、最後に秋田茂穂さんが到着して、稽古が始まった。みんなの前で自己紹介をした。
「はじめまして、金田一央紀といいます。今度あしびの郷で方言ミュージカルの脚本・演出をしています。演劇をするにあたって、沖永良部島の演劇事情が知りたくて、今回、お手伝いをさせていただきたく、こうしてまいりました。よろしくお願いします。」的なことを、もうちょっとしどろもどろに言った。

早速、台本の読み合せが行われたのだけど、「私は代役です」というのが多かった。それもそのはず、出演者は全員お昼の本業があり(しかも島を代表するようなお店や役場で働いてらっしゃる)忙しくて稽古のスケジュールが取れないなか、なんとか時間を捻り出して週一回集まっているのだった。

一通り、最後まで読み終わると、秋田さんが「ぜひ、プロの視点からアドバイスをいただけませんでしょうか」とおっしゃった。
「プロじゃないですけど…」と言いながら、気になったことを挙げていった。しゃべるスピードが遅いこと、テンポが悪いこと、シーンのイメージができないまま読んでいることなどなど。あまり大ごとにはしたくなかったのだけど、どうやらこれが効いたらしかった。
「では、今度からは早口でやりましょう」と誰だったかがおっしゃるから、つい「いや、早口でなくて普通の速さでいいんです。今のが遅すぎるだけで」と付け足しつつも、内心「また言い過ぎたかもしれない……」とビクビクしていた。

役者の一人が「1場のシーンが、ずっと坐ってばかりだったので、なにかいいアイディアはないでしょうか?」と質問してくださったので、一緒に考えた。畑の隅っこで、お酒を飲んでる3人のおっさんなら、坐ってるだけじゃないだろう。立ちションもするだろうし、酒も注ぐだろう。坐ってるんなら、話がよほど面白いからだろう。きちんと相手の話を聞いて、リアクションをとっていけばいいのだ。けど、これは、立ち稽古をしながらやっていけばいいでしょう。などなど。
演説が3つ続く第2場についても、「演説の流れをきちんと理解していけば大丈夫だろう。子供のスピーチは、子供のスピーチらしいやり方があるし、もう十分できていた。」など伝えたりした。
第3場、この芝居の一番面白い所だと思われる、高校生の淡い恋愛模様を描くために何が出来るだろうかと、色々とアイディアを出していった。

初日からちょっとぶっ飛ばしすぎたかなと、帰り道猛省しながらバイクで帰っていたら、いつの間にか知らない道を通っていて、恐ろしかった。真夜中のサトウキビ畑の間を走るのは、本当に今でも怖いです。

二回目の稽古は、立ち稽古だった。

第1場、前回言っていたことはすっ飛んでいて、しばらくずっと坐ったままの芝居を見ていた。人の出入りがあって、にぎやかなはずが、全然動かない。それでいて、客にお尻を向けちゃいけないとか、元気よく、とかは分かる。一体、どこの誰がこういう演技術を教えるんだろう。と思いながら稽古を見ていた。
茂穂さんが、「金田一さん、何かあれば……」と振ってくださったので、動くための素地を作っていった。
このキャラはあのキャラをどう思っているだろう?オジサンたちが酔っぱらってるところに女の子二人が来たら、オジサンたちはどうするだろう?女の子たちはどうするだろう?
具体的な動きがなんであれ、まずは役者が動機を持たないといけない。
嫌なところにはいきたくないだろう。帰ろうとする女の子たちをおじさんたちが囲んでしまえば、話しだす動機にもなるはずだ。自分のキャラクターの目的はなんだろう? これまでいろんな現場で僕が考えてきたことを、役者さん一人一人に投げかけていった。
ある程度、動きがついたら、もう誰も坐って演技している人はいなくなっていた。

そういう稽古がずっと続いた。
スピーチもロボットがしゃべっているみたいだったものから、ちゃんと人間がしゃべっているように動きを考えた。内容の読解をきちんとして、盛り上げるところ、抑えるところ、そのメリハリをつけた。長いセリフを相手がしゃべっているときにただ相手の顔を見るのではなく、目線を使ってリアクションをとり続ける大切さを言い続けた。

もしかしたら、劇団がじゅまるの皆さんにとって、演技をするということは単に楽しいもの・セリフを覚えてそれを喋るものだったのかもしれない。
セリフを聞くことや、心を動かすことが気持ちいいことはわかっていても、積極的にそれをできないままでいた人たちが多かったのかもしれない。
演じることの気持ちよさがどうして起こったのかわからないけど、それは実際にあって、でも二度と再現できない奇跡みたいなものだ、と自分に思い込ませて、長いセリフを覚えて、それっぽくしゃべって、よかったよかったと周りから評価されて、ホントかなと思いながらも、これでいいのだ、と公演を重ねていったのかもしれない。とてももどかしい気持ちを抱えて、芝居をしていたんじゃないかと思う。

この、演じることの肝を、日本の学校は授業で教えない。少なくとも、僕は習っていない。
音楽の時間も、体育のダンスの時間も、与えられた課題曲や振付を覚えて再現することしかできなかった。小学校のとき「峠の我が家」がつまらな過ぎて、こぶしをきかせまくって歌って、音楽の先生を呆れさせたくらいだ。国語の時間での朗読も、はっきり大きくしゃべらせるだけで、意味の塊とか、文脈とかいうものをはっきり教えてくれたのは神谷明の声優になるためのトレーニング本だった。
動くこともわからないままお尻を客に向けちゃいけないとか、発声を教えないまま声を客席の後ろまで届かせようとか、表面的な型ばかり教えている学芸会クリエイターは一度演劇学校に行けばいいと思う。日本に演劇学校がないから、余計に学芸会クリエイターが増えてしまう。小学校の学芸会のときに先生に言われたことを後生大事に守り続けていくうちに、いびつな演技が「いい演技」と思い込んでしまっていないか。
子供がするスピーチも、原爆記念式典の子供代表のスピーチこそが良いスピーチだとおもってやしないか?内容(字幕)ばかり追っかけて、その子供の個性を見ている聴衆は全然いないんじゃないか。

「演劇」という科目が学校にないのは、指導するための理論が難しく、人によって違うからと思われているからだろう。音楽や絵画のように理論ががっちりあるわけではないけど、歴史は同じくらい長いものだ。もし、演劇という科目があれば、退屈な演劇は減るだろうし、今の芸能界の演技のレベルもグッと上がるのになと思う。

閑話休題。
劇団がじゅまるは、10月21日、「歴史創作劇 えらぶの日本復帰運動」を上演した。
稽古中、演技指導をしていたら、僕も出演することになった。脚本・演出をしている福田さんの当たり役を務めることになった。

本番前、これまで稽古場に顔を出さなかった福田さんがいらっしゃって、初めて挨拶をした。すると福田さんが「一つだけ聞いていただきたいことがあるのです」と真剣な面持ちで隣にやってきた。そして少し寂しそうに「……これから演じにくくなるから、わたしよりうまく演じないでください。」と言って、大きく笑った。僕も笑って「大丈夫です、けんちゃんの演技は誰もマネできないんですから」と答えた。

演劇をしてると、必然的に人と大きく関わる。楽屋では記念写真を一緒に撮ることがふえる。知らないうちに「アニキ」とか「みー」と呼ばれていた。移住や永住、結婚の話も出てくる。良い人ばかりだけど、まだ僕はこの島に来た目的を果たしていないから、と話をはぐらかす。目的を果たしたら、じゃあ、色々考えるんだろうか。まだもうちょっと先送りしておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?