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私はカワイイだッ!

一つ前のノートで言ったとおり、わたしはニンジャ学会の片棒を担いでいる。これからも担ぎ続けるつもりだ。書きたいネタは尽きない(気力が保つかは別の話)。

以降はただのアイデアのメモであり、まだまとまった文章ではないが、うまくすればだいたいこんな感じのものがニンジャ学会誌に掲載されるはずだ。

ニンジャスレイヤーの作中で一番好きなセリフが表題にしたこれ。「私はカワイイだッ!」。ので、今回はこれを分析しつつ、ニンジャ世界における、あるいはわれわれの世界における何者か(わたしはとりもなおさずそれを「少女」という存在と想定している)がもつ力能を析出したいと思っている。

ユンコのこのセリフは、「やってやる!私はカワイイだッ!」でひと続きになっている。このセリフの文脈でいうと、これはクローンヤクザの群を目の前にした彼女が、クローンヤクザたちを撃破すべくして自分を鼓舞するためのものだ。翻訳すれば、「わたしはクローンヤクザたちを倒すことができる。なぜなら私はカワイイだから。」。つまり、「やってや」れる理由が「私はカワイイ」に求められる、という力強い宣言だ。
だが論理的には、「カワイイ」と「(クローンヤクザを倒すことが)できる」の間にはなんの繋がりもない。ならばなぜ彼女はこのことばを父の遺産として、みずからのメルクマールとして宣誓したのか。

そのためにはまず、ニンジャスレイヤー作中における「カワイイ」の意味するところを吟味する必要があり、そこに至るにはまず日本語の「可愛い」の由来を探った上で、それが世界語としての「kawaii」へと変遷する経緯をひもとかなければならない。そのうえで、ニンジャスレイヤーにおける「カワイイ」のエッセンスがどこにあるかを見極めなければならない。
幸いにしてニンジャスレイヤー本文はツイログで(書籍オリジナルのものを除けば)全文検索することができるので、「カワイイ」を含むコンテクストを抽出することは比較的容易である。ので、まずはこれを洗い出し、前述のような「カワイイ」定義作業を完遂しなければなるまい。

これは自説であり、また私が自分の修士論文のなかで証明したつもりであるのだが、「カワイイ」と「少女」は切り離せない関係にある。「カワイイ」を宣言したユンコが少女であるということにはかなりの重要性を感じる。
これは本文を仕上げた際に詳解することになるはずだが、「少女」を定義づけるのはまずは「カワイイ」を解する能力であると思う。そしていま一つ重要なのは、少女たちが境界的な存在であるということだ(これは以前ブラックメイルド・バイ・ニンジャのレビューをした時にも述べているが、この境界性という性質は様々な文脈においてかなり重要なものだと思っている。だからこれはある意味で先のノートの焼き直しでもある。同じものを裏側から見た時のビジョンと思っていただければいいだろうか)。
ユンコもまた、さまざまな意味で境界的な存在である。人間と非人間、生物と非生物、ホスピタリティとブルタリティ。これらの性質とユンコが「カワイイ」(を理解しまた表象する)存在であるということの連関はどのようなものであるかを分析したい。

また、彼女のボディが人工物であるという点も身体論の視座から重点し結論にどうにかして紐付けたい(たぶん関係するのだと直感している)が、これについてはどの角度から切り込むかまだ考え中だ。

これも書くかどうかまだ未定だが、同じく「カワイイ」を表象している「ネコネコカワイイ」が「オイランドロイド」、すなわち「オイラン」…性的な眼差しの対象であることで自らを定義づける存在…のドロイドであるという点に着目するのも面白いかもしれない。そしてユンコもまたオイランドロイドのボディをもつということ、これも見逃してはならない点だ。たしかに作中のオイランドロイドの役割は多岐にわたり、語源であるところのオイランの役目からは遠ざかっているのが実態かもしれない。しかしオリジナルをどこに求められるかを無視してはならないだろうと思う。

そんな「カワイイ」「少女」であるユンコが第3部最終部で見せた活躍のことにも触れないわけにはいかない。「カワイイ」と対極をなす、重厚長大主義の権化であるかのようなモーターオムラに搭乗し奮闘した彼女の姿に何を見出すべきか。これを論じることで、最終的に「カワイイ」と「できる」の因果関係…ユンコがなぜ「カワイイ」を敵を打倒するまでのパワーの根源に据えているかの分析が完了するであろう。たぶん。

さてどう料理しようかな。
とりあえず参考文献として考えているのは以下。

『愛はさだめ、さだめは死』より「接続された女」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ハヤカワ文庫)
『かわいい論』(四方田犬彦/筑摩書房)
『世界カワイイ革命』(櫻井孝昌/PHP研究所)
『ギャルと不思議ちゃん論』(松谷創一郎/原書房)
『サイボーグ・フェミニズム』(ダナ・ハラウェイほか/水声社)
『猿と女とサイボーグ』(ダナ・ハラウェイ/青土社)
『サイボーグ・ダイアローグス』(ダナ・ハラウェイ/水声社)
『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(横幹〈知の統合〉シリーズ編集委員会/東京電機大学出版局)
『カワイイ社会・学』(工藤保則/関西学院大学出版会)

他、大学紀要や各研究誌の論文も引く。自分がしていた研究をニンジャ方面に敷衍させてみようという試みでもあるので、役に立ちそうな資料はだいたい自宅に残っている。断捨離は敵。高校の時から授業のプリント類は全て取っておいているし、引っ越しのときにちゃんと持ってきた。
ただ上に挙げた書籍のなかには既に絶版で、Amazonのマーケットプレイスなどでかなり高騰しているものもあり、入手はむずかしそうだ。図書館に行くしかないかあ。横断検索してみたところ最寄りのところにはないのでなかなか。時間が取れるかどうかもあやしい。

でもたのしく書けそうなので頑張ります。ガンバルゾー!

お小遣いください。アイス買います。