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滅茶苦茶に緻密に『星ねずみ』

 「不条理」という言葉が、しばしば小説のジャンルとして用いられることがある。未知なる怪物に襲われたり、突拍子もない常識で社会が動いてる、そんな風変わりな世界観を持つ話のことだ。

 フレドリック・ブラウンの短編を集めた『星ねずみ』は、とにかくキテレツでトンチンカンとしか言いようのない話で溢れている。

 例えば『白昼の悪夢』の冒頭では、殺人事件の被害者について、目撃者たちの証言が五つも食い違う。
 第一発見者は「銃で胸を撃たれていた」、現場にやってきた刑事は「頭をかち割られていた」、医者は「ショック死」、担架で死体を運んだ二人の男性は「首を切り落とされていた」「首が爆発していた」という風に。
 そしてその翌日、聴衆の前で落下死したのは、昨日と同じ被害者で......

 もちろんこの話を、ミステリーとして真面目かつ論理的に、考えようとしてはいけない。そもそもジャンルがSFでありファンタジーであるからだ。話の根底にはとある超常現象?が隠されているし、舞台も24世紀の地球外惑星という設定である。

 だが最も驚きべきことは、この事件が解決まで導かれるということだろう。フレドリック・ブラウンの偉大な点は、奇妙な導入を上手くまとめあげて、あまつさえ華麗なオチまでつけてしまう点だ。
 もし純文学が情景や情緒の機微についてこだわっているならば、エンタメ作家は、自ら考えた設定に対する、読者への上手い言い訳を考えているに違いない。

「小さい丸い金色の輪っかがあってさ。でもくっついているようには見えなかった。頭の上に浮いてたんだ」
「どうして頭だってわかるんだ。ミミズってどっち側も似たようなもんじゃないか」

 『天使ミミズ』は、その代表例だろう。主人公のチャーリーは自宅の庭で「昇天するミミズ」を見つける。いったいあれは、夢だったのか幻だったのかと考えているうちに、次から次へと不可思議な出来事に襲われて、ついには精神科病院に入れられてしまう。

 読んでいる途中は、まるで他人の夢の話を聞かされているような感覚に陥る作品であるが、しかし結末では一連のイベントに共通する法則性が明かされる。
 そういった意味では、フレドリック・ブラウンの作品は「不条理」という皮を被っているだけということが分かる。一見すると滅茶苦茶に思える展開は、その実「(でっちあげた)論理」に基づいていて、緻密に計算しつくしたストーリーが彼の持ち味なのである。

 しかし、どんなに練りに練った計画でも、狂うことはあるものだ――ねずみだろうと人間だろうと、全知全能の神ではないのだから。たとえそれが星ねずみであっても。

 最後に表題作の『星ねずみ』を紹介しておこう。まず主役のネズミの名前が「ミツキー」という点でかなりツッコミどころのある作品なのだが、負けず劣らず展開も目まぐるしい。
 空き家に住んでいた一匹のネズミは、博士が作った小型ロケットに乗って、月まで飛ばされる。しかし、道中のアクシデントによって、地球に戻ってきた「ミツキー」は人語を理解するようになっていて――なぜか黄色いボタンがついた赤いズボンまで履いている、というお話だ。


 サスペンスやミステリードラマで、完璧な密室殺人が起ころうと、被害者がどんなに残酷な殺されようと、そういう「不条理な謎」に包まれた話を、視聴者が最後まで見られるのは、それが名探偵(時には冴えない主人公)の手によって解決されることを知っているからだ。
 『星ねずみ』におけるフレドリック・ブラウンの作品は、無茶苦茶だと感じつつも、そういう安心感を持って次のページを捲りたくなるような一冊である。

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