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『こういう時だから』何を書けばいいのだろう/なまけdays#13-200401

・二本ほど下書き送りにしたところで、今日はちゃんとした文章を書くことを諦めた。箇条書きでいきます。

・どうしたって、書きたいことが散乱する。いい加減にしてほしい。気分は言うことを聞かない子供たちを怒る時だ。一向にまとまらない思考に『いいかげんにしなさい!』と言いたくなる。

・こういう時だから、と思うと何を書けばいいのかわからなくなる。こういう時だから、という気持ちで何を書くのが正解なんだろう。正解がないというのが、正解なのは百も承知なのだけど。

・こういう時だからこそ、明るいことを書きたいなという気持ちがある。鬱々としたものは、ニュースだけでおなかいっぱいだから。ニュースだって、見なければいいのだが、全てをシャットアウトするわけにもいかない。そのバランスがなかなか難しい。

・こういう時だからこそ、なにか役立つことが書ければなとも思う。しかし、どうにも。私に発信できることなんて、日々弟の筋トレ音がうるさいなってことぐらいだ。弟、筋肉だるま……。

・そもそも自分の気持ちが落ち着いていないのに、落ち着いたふりをして文章を綴ることが、はたして出来ようか。わかったふり、というのは、分かる人にはわかってしまう。誰にもばれなかったとしても、あとで自分で後悔する。なので、わかった風なことは出来るだけ書きたくない。

・というわけで、気持ちが落ち着いた風なnoteが書けなくて、こんな思考直結文章を生産してしまうのだ。

・二日で、幾人かの方にフォローしていただいたことが、文章へのハードルを上げているのだろうか。自意識過剰なのかもしれない。自我が強いほうだという認識は、ある。他人の自我の強さを図ったことがないので、しらないのだけれど。

・しかし、多かれ少なかれ、文章を書いて公開している人にはそういう面があるのだろうなとも思うので、よいことにしよう。

・ううん、だめだなあ。

・どうにも、ここ数日の天気も相まって、気持ちが落ち込む。本来雨は大好きなのだけれど、うまい具合に身体も心も言うことを聞いてくれない。

・人は天気とか、重力とか、そういうのにきちんと影響をうけているのだな。いくらテクノロジーが発達しようとも、結局食って寝るというところは変わらない。これって、当たり前だけれど、結構認識を疎かにしてしまう部分だと思っている。

・私は野草を摘んで食す、みたいなことが好きだったりする。この春はつくしを佃煮にして食卓へ出した。これは、田舎暮らしとかスローライフとか、丁寧な暮らし、と呼ばれるものへのある種の憧れというだけではない。そういう気持ちももちろんあるのだけれど、結局、人は食って寝るのだから、身近な食べれるものを知っている方が圧倒的に「強い」みたいな考えがある。

・今みたいな世相になると、そんなことをより強く思う。身の回りの物を、自分で作り上げたりすることの魅力は、そういう強さにあるんだろうな。

・というわけで、今年の春は綿花を育てて見たい。綿花の種って、どこに売っているんだろう。

おわり。

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