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私小説『無題』

就活をしなければ終活をしてはいけないのだろうか。おなじシュウカツという響きなのに理不尽ではなかろうか。
開いた傘の、そのさきっぽから落ちた雫を目で追いながら、ぼんやりとそう考えていた。
赤信号で横一列にならぶ人の波にまぎれて、足元に視線を落とす。
かわいくもなんともない黒いパンプスが濡れて、ベージュで面白みのないストッキングがじっとりと湿っていた。
そういえば、小さい頃は雨が好きだった。蛇の目がなにかもわからずに、童謡の「あめふり」を歌っていたっけ。
それが十数年たつと、こうなるのか。
「自分の好きなものを考えてみましょう」
さっきまで受けていたセミナーの、嘘みたいな笑顔を浮かべた講師の言葉が脳内で再生される。
「自己分析が一番大切です。自分が何が好きで、何が楽しかったのか。それを思い出して、そして自分を知ることが、就活への第一歩ですよ」
好きなものならいっぱいある。お菓子、昼寝、日が差す裏路地に、伸びをする猫。雨の日に植え込みで顔を覗かせるカタツムリ。
だけれども、これは講師の求める好きとは違うらしい。この好きだけでは、生きていけない。
私が好きだった雨は、カラフルな長靴を履いて水たまりに突撃する鮮やかな雨だった。現実の雨は薄暗く、モノトーンで、そしてなによりも、寒くて冷たい。
無性に叫びたい気持ちを抑えながら、深呼吸をして、信号を渡った。
次の面接の時間を時計で確認して、少し急ぎ足で地下鉄へと入っていく。
雨が好きだった私はどこかで死んでしまったらしい。
就活は、もしかすると終活なのかもしれない。
ふと、そう思った。
幼くて、きらきらしていて、透き通っていた過去の自分との終活。
これを捨てなければ、私はきっと大人になれないのだ。
地下鉄のホームに電車が滑り込んでくる。車輪とレールの擦れる音が甲高く響く。
どんと、背中を押した。
雨が好きで、水たまりにジャンプしていた私が、粉々になって死んだ。

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