四半世紀衝撃予防/なまけdays 200511

・時間の流れとは不思議なもので、つい先刻の事をはるか昔のことのように思ったり、あるいは随分と古い記憶を今さっき経験したかのように錯覚したりすることがある。
一分は六十秒だと決まっていて、誰にだって平等なのに、我々の意識のなかで時間は自由自在に伸び縮みをする。退屈なものは伸び切ったパジャマのゴムのようで、興奮し熱狂するような時間は気が付けば一瞬のフラッシュのように過ぎ去る。
楽しい記憶に限って、楽しかったという感情しか残らず、うまく再生できないのはなぜなのだろう。

・そんなわけで、先日無事に年齢が四半世紀になった。あ、なったんだな、ということに、いましがた天井を見ながら気づいた。己の誕生日など既に三日ぐらい前の気持ちなのだが、つい昨日らしい。おかしいな。

・なぜこうも感慨がないのかと思考を巡らせてみると、単純。もうずいぶん前から己の事を『25歳』だと認識して生きるよう努めていたからだ。

・これは、例えるならば防災訓練のようなものだ。あるいは衝撃に備えた予防策。つまり、ある日急に『25歳の自分』を発見するよりも、先に己は25歳だと思った方が、ショックが和らぐのではないかという考え方である。伝わるだろうか? 伝わっていてくれ。

・幼少のころ、何故大人が歳を取るのが嫌なのか理解できなかった。それほどまでに、若さに対する執着があるのかと。

・しかし、現実は違う。少なくとも私にとっては違う。若さに対する執着はあまりなく、そりゃまあお肌つるつるの小学生とかは多少うらやましいが、致し方ない。生きてきたのだから肌だって荒れよう。

・そうではなくて、自分の想像していた大人像と実際の自分自身の乖離に対して受け入れがたい劣等感を抱いてしまうからなのだと、大人になってから気づいた。

・嘘、すでに十六か十七歳くらいで気づいていた気がする。つまり癌によって己のぼんやりと想像していた人生ルートから外れたあたりで、乖離に対する劣等感を抱いていたのだな。なるほど。

・ともかくも、そういうわけで、四半世紀を生きてきたうえでの己の完成度の低さに致命傷を負わないためにも、先回りをして己の事を25歳だと思うようにしていた。おかげで衝撃はなく、感慨もない。

・年齢による劣等感の呪縛からいつ頃解放されるのだろうか。というか、人生百年時代などと呼ばれる現代において、およそ五分の一程度にしか当たらないはずの20歳までの期間が、なぜこうも引き延ばされ大きく感じられるのだろう。謎だ。

・私が高校浪人をし、一年遅れで高校デビューを果たしたことはたびたび触れている。当然、これに対する劣等感のようなものは大きく、大学に入るまで続いた。頭で考えればたった一年なのだが、思春期にはそうもいかぬ。そういうものなのだ。

・そんな時に、『言志四録』のとある一節にであった。

少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず

実は、和歌文学を志す以前、大学入学当初は漢文に興味を持っていた。というのも、佐藤一斉のこの一節に痛烈に胸を打たれたからである。

・病により、というか、病の余波の不登校により、というか。とにかく一年遅れての入学ということは、当時の私にとっては大きなマイナスだった。自分の学びが他者から遅れていること、劣っていること。そこにバセドウ氏病の発覚により、ますます集中力は持続しない。学べぬ己を恥じ入ることが多く、生きている価値すら疑う気持ちが芽生えた。

・そんな折にであったこの一節は、私に学びとは何かを今一度教えてくれた。

・学ぶとは、大学受験のことではない。良い大学に進学するために学ぶのではない。長い人生の中で、たった二日ばかりの試験のために学ぶのではない。

・私は、死してもなお朽ちぬために、学ぶのだ。

・昨日私は25歳となった。なお少く、壮には未だ未熟な身。たとえ壮になったとて、為せるなにかがあるかもわからぬ。しかし、知は蓄積され、いずれ私が老いて死すとも、朽ちることはない。

・いつから学びはじめても、遅いことなど決してないのだ。


・何の話だ?
おやすみなさい!

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