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書くことの、もっと高い場所へ。(cakesコンテスト結果発表に寄せて)

スマホの画面に映し出された文字を、必死で追った。
名前があってほしい、という気持ちが半分。
もう半分は、ないかもしれないという恐怖。
それから、ほんの少しだけ、ないといいなって、そう思った。

だけれども、なのか、驚くことに、なのか、安心した、なのか。
私の名前は、二枚目のスライドの下の方に、ちまんと並んでいた。

  〇

書いたものに、自信がないわけではなかった。自分の中の大切なものを、精一杯込めた、そういう文章だったから。私が物を語るとき、決して外せない出来事について書いた文章だった。その傷のような、どこか触りがたく捉えずらい物を、それでも古典文学という愛する物にささげようとする、そういう文章だった。

だけれども同時に、このnoteという街にいる『書く人たち』の高さと多様さを知っていた。ほんの半年足らずだけれど、本当に、色んな方がいて、色んな文章がある。とてつもなく面白かったり、愛おしかったり、私には書けないなと思う文章が、たくさんある。

文章に点数は付けられないし、優劣なんて本当に主観的だと思っている。それでもなお、やはり多くの人が美しいと思う絵画があるように、多くの人が面白いと思う文章がある。

私の文章は、どこまで届いたんだろう。
まったくわからないなって、ずっと思っていたし、今も思っている。

だけれども。7人、13人、37人。
その数字を見たときに、自分が入るとすれば、13人か37人のどちらかだなと、そう思った。
7人に入るほどの、圧倒的な引力はないなって、そう思ってしまった。

もし私が悔しがる権利を持っているとすれば、間違いなくそこだった。

  〇

少し前、ある方に『文章を粘土に例えるならば、何を作ればよいのか悩んでいるように感じます』という言葉を頂いた。まったくもってその通りで、その目の良さに舌をまいた。

cakesコンテストの結果発表で、「世界とのつながり」という言葉が出たとき、まさにそれだと心の中で唸った。

私のあの文章は、自分の癌という個人的経験に、古典という世界とのつながりを付与したものだった。
それは、確かにある意味で開いてはいるのだけれど、やっぱりどこか、窮屈だなと、そう思わずにはいられない。

自分の文章の開き方を、どうするべきか悩んでいる。
内側と、外側。感情や感覚と言う粘土で、なにを形作るべきか。

もし私が悔しさを感じられるとしたら、そこだった。
自分で、まっすぐ信じられるような文章じゃなかった。
13人に名前が挙がらなかった時に、37人の可能性のほうをみた。7人に残れるとは、どうしても思えなかった。

そのことが、心底悔しかった。

  〇

悔しいなって、素直に思う。
届かなかったことを、そうだろうなあって受け入れる、そういう文章だってことが悔しい。

だけれども同時に、とてもわくわくもしているんだ。

本当はもっと、心に荒波が立って、荒れ狂って、鬱々とするんじゃないかと心配していた。私は、とても陰鬱な人間だから。

でも、なんだろうな。そう、大きな山を前にしたような、難しい問題を前にしたような、これはそういうドキドキとわくわくだ。
今の所登り方も、どこから手を付けるべきかも全く分からないんだけれど、でも、挑戦する価値のある面白いものだということは分かる。

きっと、書くことでもっと、高い場所へ行ける。今は見えない景色を、みることができる。そうに違いないって、そう思える。

悔しいなあ、悔しい。
実はほんのちょっと泣いたりして。
だけれども、受け取ってくれた人がいることをやはりとても嬉しく思う。
もっと、書くことの、その高い場所へ行きたいなと、そう思う。

きっと、今以上にわくわくするような、引力のある場所がそこには待っている。

楽しみだよ。すごく、楽しみだ。

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