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ずっと一緒にいる

「トリあえず……と。」
「あきら。そこ、変換ミスってる。『とりあえず』でしょ?」
「あ、ほんとだ。」

 リビング。ノートパソコンの前で、小学生にしては少し背伸びした印象の少女が、年下の少年に言う。
 指摘を受けた少年が入力した文字を消して打ち直す。

「とりあえず……よし。それじゃ、えまちゃん。何を書く?」
「そうねえ。」

 えまと呼ばれた少女は顎に手を当てて考えはじめる。
 目をつむり、情景を思い浮かべようとする。

「まずはトンネルね。トンネルの中。」
「……とりあえずトンネルの中、っと。」
 
 あきらと呼ばれた少年はノートパソコンの画面を見て首をひねった。

「トンネルで? トンネルってどこの?」
「なんかどっかにあるでしょ。……あ、そうだ。でかける時にはリュックサックに入れていかないと。」
「リュックサック? じゃあ、トンネルの中、リュックサックに入れて……。」
「うん。」

 あきらがそこまで書くと、えまはまた目をつむって考えはじめる。
 リュックサックを背負いどこかのトンネルに向かう光景。

「あなを掘って……。」
「あな? なんで穴?」
「う、うるさい。なんででもいいでしょ!?」
「はぁ……で、次は?」
「えぐれた地面に……。」
「ええ? えぐれ……?」
「ずがいこつを……。」
「……何の話、これ? ホラー?」
「ち、違うっ!」

 呆れ顔でえまを見返すあきらに、えまは顔を赤くして反論した。
 今日はパソコンの操作に慣れていないえまの代わりに、あきらが入力を引き受けたのだったが、あきらはいちいちえまの言うことにツッコミを入れたくなってしまう。これではあまり効率のいい作業とは言えなかった。

「それより、えまちゃん。いい機会だからパソコン、覚えよ? ほら、教えてあげるから。」

 あきらは席を立って代わりにえまを座らせると、背後からひとつずつキーボードのキーを指差して教える。

「指はここに置いて……。そうそう。それじゃまずtを打ってみて。人差し指だよ。ほら、ここだから……。」

 あきらの指示にしたがって、えまがキーを押していく。

「とりあえず、『とりあえず』が……打てた!」
「うん。やったね。」

 初めて成し遂げられたことがよほど嬉しかったのか、えまが満面の笑みをあきらに向ける。
 その日は夕方になるまで、えまの特訓は続いた。

 
「あきら。明日も来ていい?」
「うん、いいよ。学校のあと毎日、僕がえまちゃんに教えてあげる。」
「あ、ありがとう。」

 えまの頬は仄かに熱を帯びた。

     ◇

 暗い部屋で青いモニタの光が女性の顔を浮かび上がらせている。

「トリあえず……ってまた変換がおかしい!」

 あれから十五年。
 私はいまだにあきらのことを引きずっている。

「変な感傷に浸ってんじゃない。」

 息を吐いてモニタに向き直り、女性は先ほど入力した文字を消して打ち直した。

「……とりあえず、僕は北に向かいます。今は一人になりたいから。探さないでください。誰にも見つけられたくない……。」

 どうだろう? こんなこと言うだろうか?
 女性は目をつむって考える。

「いいや。考えている時間はない。」

 女性が入力を続ける。

「……さつきのことを愛していました……。」

 そう自分で書いたのに、胸がズキリと痛んだ。
 なぜこれが自分の名前ではないのだろう?

「……この愛を失ったらもう生きていけない……。」

 女性が黙ってモニタを見つめる。

「これ言うかな……? 言うか。……意外とそういう人だったよね。」

 どうしても最後はあの子のせいにしたかった。
 だからこの部分は外せない。

「よし、これを送信して……とオーケー。送った。」

 ふううっとまた大きく息を吐くと女性は立ち上がった。
 殺風景な部屋の中心に置かれたリュックサックを持ちあげて背負う。
 リュックサックは、まるでボーリングの球でも入っているかのようにずしりと重い。

「……とりあえず、行こっか。あきら。」

 女性が背中に話しかけたように見えた。

「あの時見たのはこれだったんだね。」

 あきらとえま。まだ仲の良かった頃の二人の姿をえまは思い浮かべていた。

「トンネルはこれから見つけようね。……大丈夫。私も一緒だから。ずっと一緒だからね……。」

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