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お隣さんがいる

 うちが扱う物件はとにかく安いので、当然、客の質もお察しであった。
 金のないフリーターのおっさんとか、売れないミュージシャンみたいな格好した男とか。そんなのが何件内見を回っても決めきれない。おかげさまで俺の給料も上がらない。
 こんな仕事、他に楽しみがなければやってられないだろう。

 つまり、今日の客は当たりだった。
 十八歳の女。高校を卒業して地方から出てきたらしい。金が無いから安い物件を探していると言っていた。
 髪を茶色に染めつつも化粧慣れしてない女の顔は、大人と子どもの間という印象だった。ミニスカートにスニーカーを履いて、服装もどこかちぐはぐである。

「それではこちらの物件の内見をされますか?」
「はいっ!」

 はいって、元気のいい返事だな。学校じゃないんだぞ。俺は思わず苦笑した。
 俺は女を車の助手席に乗せると少し遠回りをして目的の物件に向かった。
 本当に土地勘がないんだろうな。この女は今自分がどこを走ってるかもわからないんだろう。
 よく笑う女だった。

「えーっ。そんな部屋もあるんですか? プール付き?」
「そうそう。プールって言ってもペンギン用ね。大家がペンギン好きでペンギンの飼育が入居の条件なんだ。」
「すごい。私も住んでみたいなー。あ、でもペンギンって高いですか?」
「高いよ。餌代もバカにならないって。」
「あははははっ。じゃあ無理ですねー!」

 車の中は退屈だったのか、女は人見知りもせず俺の話に乗ってきて、物件についた頃にはすっかり打ち解けた雰囲気になった。

「それじゃ、サキちゃんは親とうまくいってないんだ?」
「そうなんです……。だから、家出みたいに出てきちゃって……。」
「まあ、うちのお客さんはそういう人も多いから、なんとかなると思うよ。」
「ほんとですか! ありがとうございます!」

 よし。もう完全にガードが解けてるな。これが俺のテクニックってわけ。
 そして、今からサキを連れて行く物件は俺のとっておきだ。
 何度も内見で客を連れて訪れているが、なぜか契約が成立したことはない。その理由は俺だけが知っている。

「足下、気をつけてね。」
「あ、はい!」

 玄関の段差を指して、さりげなくサキの手に触れる。
 日当たりのいい最上階。人気のある1LDK。
 女性ウケのいい最高の物件だ。

「わあ、キレイ! 本当にここでいいんですか!?」
「ああ。たまたま残っていてね。サキちゃんの予算だとギリギリだけどさ——」
「あっ! 台所もちゃんとしてる!」
「——うん。そう。リフォーム済みだからね。それでサキちゃん、条件が——」
「ちょっとベランダ見てもいいですか!?」
「——あ、そうね。それも大事だけど——」

 ったくガキかよ。人の話を聞けっての。
 俺はイライラを必死に抑えて笑顔を作る。
 サキの顔面偏差値は高いし、ひらひらと揺れるミニスカートから生える脚は若さが弾けている。
 ヘマをするなよ? ここでモノにしなくてどうする?
 少し強引にいくか?

「サキちゃん。いいかな?」
「え?」

 俺がサキの手を掴んだ時、
 ドンッ!
と隣の部屋から壁を叩く音がした。

「な、なんですか? 今の?」

 隣人か? 壁ドン?
 急な展開にサキが怯えた表情を見せる。
 俺が黙って音がした壁の方を見つめていると、また「ドンッ!」と大きな音を立てて壁が叩かれた。
 ちっ。いつの間に隣にこんなマナーのないやつが住み着いていたんだ?

「ごめん、サキちゃん。どうやらうるさくしすぎちゃったみたいだ。」
「あはは……、私、騒ぎすぎちゃいましたかね?」

 ドンッ!

 まるで返事をするかのようにまた壁が叩かれた。反射的にサキがビクッと体を縮める。
 おいおい、こんなんじゃまともな客は逃げちまうだろうが。
 さっきから俺の邪魔をしやがって。俺の怒りは壁ドンどころじゃねーぞ。

「あの……手、痛いです。」
「あっ、ごめん。」

 俺はサキの手をまだ掴んでいたことに気付いてあわてて手を離した。
 ったく、せっかく良い雰囲気に持っていこうと思ってたのによ。
 サキはすっかり気持ちが沈んだ様子だ。さっきから黙って床をずっと見ている。
 はぁ……。ここは諦めて次の部屋にいくか。

「ごめんね、サキちゃん。こんなところじゃ無理だよね。隣がこれじゃ……。」
「いえ、せっかく素敵な部屋を紹介してもらったので。たぶん、私が静かにしていれば問題ないのかもしれないなって……。」
「いいの? ここに決める?」
「はい。ここより良いところ、きっと見つからないと思うし。」

 おいおいおいおい、まだいけるんじゃねーか?
 俺はおもむろにサキの手を握るとこう切り出した。

「そうだね。でも、サキちゃん。ここを契約するには条件があるんだ。」
「条件……ですか?」
「そう。この部屋は俺じゃなきゃこの条件で提供できない。いいかな? 俺の言う通りにしないとダメなんだ。」
「……え?」
「なに、ちょっと楽しもうって話さ。」
「あっ、やっ……。」

 本当にこの手の女はやりやすい。ほいほいとついてきて、密室に二人きりで警戒もしやしない。
 ここでは俺に従うしかない。うまい条件に目がくらんで俺の思うがままにされて。
 それでまだ自分が無事に解放されると思ってるんだろうな。ほんとにおめでたい頭だ。
 俺はサキの細い首筋を指でなぞって、そのまま襟の隙間に手を……。

 ドンッ!

 まただ。また壁を殴る音。

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 何度も何度も。怒りをぶつけるような音が部屋に響く。

「なんだよ、くそっ。いいとこなのに!」

 俺は隣の部屋に文句を言ってやろうとベランダに向かった。
 音がする壁は右側。
 なんだ? なにか違和感が。
 ベランダに出た俺はその違和感に気付いた。
 この部屋は角部屋。右側に部屋はない。
 叩かれていた壁の向こうは外だった。

「な……どういうことだよ?」

 俺が右側の壁の向こうを覗こうとベランダから身を乗りだした時、何かが俺の服を掴んで引っ張ったので俺はそのままベランダから身を投げ出すような形に——。
 俺を見るサキの顔がいつだかここで殺した女の顔のように見えたのが最期の、ああ。
 ぐしゃり。

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