網走市立美術館で葛西由香展を鑑賞してきた
9月26日より網走市立美術館で開催されている「日本画の新鋭 葛西由香展」。「明治物語」が展示されていると聞き、また同時開催されている今年急逝された郷土作家・長谷川誠氏の作品展も興味があり、10月7日に足を運んでみた。
網走市立美術館は、網走市南6条西1丁目にあり、隣は網走市民会館。市内在住の美術収集家・宮川辰雄氏より、網走町(当時)を拠点として独立美術協会等で活躍した洋画家・居串佳一氏の遺作38点の寄贈を受けて、1972年(昭和47年)に開館した北海道内初の市町村立美術館である。
定休日は月曜日、国民の祝日、年末年始(12月31日~1月5日)で、開館時間は10〜16時。JR網走駅から徒歩15分、桂台駅からは徒歩10分ほど、網走バスターミナルからは徒歩5分のところにある。
観覧料は高校生以上200円、中学生以下は100円(税込。網走市・大空町の小中学生は土曜日無料。市のホームページの観覧料表示は古いものなのでご注意を)。
玄関を入って左手にある受付で200円を払うとともに、入館日時、氏名、連絡先の電話番号を所定の紙に記入する。やはりコロナ対策のためということで、熱の有無にマルをつける欄もあった。もちろん、入館の際はマスク着用は必須。
葛西由香展は第1展示室、長谷川誠展は第2展示室で、常設展の第3展示室はコレクション展、第4展示室は居串佳一の世界というラインナップ。「第1展示室のみ写真撮影が可能」ということだった。
クスッと笑える作品たち
葛西由香さんは、1993年北見市生まれ、網走市育ち。網走南ヶ丘高等学校卒業後、札幌大谷大学に進学、2016年に芸術学部美術学科日本画専攻を卒業。現在は、札幌市の「なえぼのアートスタジオ」を拠点に活動している。2013年「道展U21」中里賞、2016年「札幌大谷大学卒業制作展」芸術優秀賞受賞。
この世のあらゆるものには魂が宿ると考え、身の回りの物や日常風景にその気配を感じさせるような作品を制作しているそうだ。粋、侘び寂びのような日本古来の美意識を現代の自分がどれほど感じ取り、作品に落とし込めるか挑戦している。
2016年に札幌大通地下ギャラリー500m美術館に出品するなど、おもに札幌市でグループ展や個展を開いている。今回の個展は、地元で初のイベントということになる。
第1展示室に入り、最初に目にするのがこのペアの作品。右は「逢魔時少女図」で、左は「彼誰時少女図」。「逢魔-」が樹木や草とともに少女が描かれ、伝統的な日本画タッチなのに対して、「彼誰-」は電柱や信号機、道路標識等の現代的な物が草木の代わりに描かれていて、対比が面白い。ちなみに「おうまがとき」は夕方、「かはたれどき」は明け方の意味。
葛西さんの作品は、人物を描いたものより日常の中からヒントを得て描いた作品が多いと感じる。
昨年制作の「酔狂」と題されたこの作品は、葛西さんのツイッターアカウントのヘッダー画像にもなっている。エアコンの風によって、天井から吊るされた風鈴のチリリンと鳴っている音が聞こえてきそうだ。
この他にも、電源タップのスイッチを足の指先で切ろうとしている瞬間を切り取った「正しいこと」など、思わずクスッと笑ってしまう作品が多い。その際たるものが、話題作となった「明治物語」だろう。
1,820 x 3,620 x 60 mmのサイズの襖絵である。遠くから見ると、見事な日本画だが、よーく見ると⋯⋯
きのことたけのこの合戦が描かれているこの作品は、「きのこたけのこ戦争」(明治製菓「きのこの山」対「たけのこの里」のネタ画像)を、鎌倉時代の「平治物語絵詞」に見立てて描き上げたものだそうだ。
もちろん表情などはないのだが、それぞれに魂が宿っているように感じる。砕け散った姿に"もののあはれ"すら感じてしまう。
気になったのは、右側の炎が燃え盛るきのこ勢の建物のそばでただ1人? 倒れていたたけのこ。このたけのこが囚われの身となったことが、合戦のきっかけなのか。それとも、たけのこが侵入して火を放ったのか。いろいろと想像もできて、それもまた楽しい。
この作品は、普段は市内のエコーセンター2000の2階の大会議室前に常設展示されているそうで、そのお披露目の時に葛西さんが「作中には、ひとつだけモグリ(たけのこの頭を被ったきのこ)がいます。ぜひ探してみてください」と話していたそうだ。そこまでは気がつかなかった。ちなみに、すぎのこの姿はなかった。
「葛西由香展」は11月3日まで。まだまだ他にも作品が展示されている。網走育ちの気鋭の画家の作品をじっくり楽しんでいただきたい。
長谷川誠展も同時開催
隣の第2展示室では、「所蔵作品展 -追悼- 長谷川誠展I」が開催されている(撮影不可)。長谷川誠氏は、1951年網走市生まれ。網走南ヶ丘高等学校卒業後、武蔵野美術大学日本画科に進学。在学中に創画展入選。卒業制作が優秀賞を受賞(大学買上)。さらに大学院を修了し、文化庁国内研衆院となった。
その後も公募展のほか、美術館の企画展やグループ展で、さらには東京版ふるさと切手の原画制作を手がけるなど、日本画界の第一線で活躍してきた。さいたま市に在住し、埼玉大学や立教高校・中学で教鞭を執ってもいた。
やがて故郷への想いが強くなり、網走市立美術館の企画展や個展などで網走を訪れるようになった。網走をテーマにした数多くの作品を生み、帽子岩、白灯台などを描いた作品は、エコーセンター2000などで観ることができる。
長谷川氏は今年5月1日に急逝され、11月3日までの日程で追悼作品展が開催されている。タイトルが「長谷川誠展I」なので、その後に「II」がありそうだ。今回は網走の街やオホーツクの海をモチーフにした作品が多く展示され、ゴツゴツとしたタッチで描写された流氷や二ツ岩、繊細な筆づかいによる網走の街並みに目を奪われる。この機会に、網走を描いた画家の生涯に想いを馳せたい。
常設展では居串佳一氏の作品も
第4展示室のみ2階にあり、網走育ちの洋画家・居串佳一氏の作品が常設展示されている。
居串氏は1911年野付牛村相内(現在の北見市)生まれで、8年後に網走町大字北見町(現在の網走市)に引っ越してきた。
子供の頃から絵を描き、旧制網走中学校(現・網走南ヶ丘高等学校)入学後は、美術部『白洋画会』に参加、校内外で作品を発表していた。卒業後は一時測候所に勤めたが、両親の理解を得て画業に専念。そして1932年、独立展第2回に「風景」「船着場」で初出品初入選を果たした。1941年の「弓」はイタリア政府に買い上げられた。
順風満帆だったが、やがて戦争に巻き込まれ、翌年には従軍画家(戦地に赴き、戦争記録絵画を描く役目)として満洲や中部千島に向かうなどした。終戦後は故郷に戻り、第二天都山(車止内)にアトリエを建て、およそ5年間網走の風物を描きながら暮らした。
その後、再び上京し再起をかけたが、1955年、札幌で44歳の若さで急逝した。北海道特有のモチーフを、力強く重厚に描いた作品は独特の色彩感があり、心に響く。居串氏についてのさらに詳しい紹介も展示室内にあり、絵画とともに波乱の生涯を辿ってみてはいかがだろうか。
"南高"3世代の作品を楽しめる機会
お気づきかと思うが、居串氏、長谷川氏、そして葛西さんのお三方とも、旧制網走中学校・網走南ヶ丘高等学校の卒業生だ(余計なことを言えば私もそう。ただし美術部ではなく新聞局だったが)。
今回の企画展で、同じ学校の3世代の作品が一堂に会したことになる。網走市民(とくに南高生・南高OB)としては、この機会を逃してはいけないだろう。それぞれに個性があるが、どこか北海道の、あるいは網走の大らかな雰囲気が共通しているように思う。
葛西由香展と長谷川誠展の会期はともに11月3日まで。ぜひ、郷土出身の画家の作品に触れてほしいし、近隣の市町村の方にもお勧めしたい。コロナ対策をしっかり取ったうえで、網走市立美術館へおいでいただきたい。