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あたらしい自分=ほんらいの自分、の話その3|昭和の「ゾンビ奴隷」から、アクエリアス時代の自分軸&誰もが天才の世界へ

みなさん、こんにちは!

前回のブログでコメント欄知ってくださって
みなさまありがとうございました!
(みなさまのコメントに、そうだよねーと思ったり、励まされたり!
ありがたく受け取らせていただいております)

昨夜、少々食べ過ぎまして、
おなかがぱんぱんのまま眠り
妊娠する夢を見ました、服部みれいです。

そうなんです、
この妊娠する夢、
若いころから非常によく見る夢でして……。

わたし以外のひとが妊娠したり、出産したりもよく見ます。
(そう、出産シーンもよく見る。絵本「おおきなかぶ」的に、
大勢で、こどもをひきあげる夢とか)するのですが
きまって自分や誰かが
なにかを生み出すタイミングなんですね。
たいていは、本が出るタイミングです。

わかりやすすぎるぜメタファが……(しかめっ面で、人差し指でめがねをずり上げなら)。

ほんとうになにかが生み出る場合と
妊娠、出産というのは、
ほんとうによくあてはまるなと思います。
本の場合は、何年もかかったり、
十月十日と言えない場合もありますが。

若かりし頃、
某・中学国語教科書編集部でアルバイトをしたことがあって!

その出版社は教科書と辞書を
主につくっている版元さんだったのですが、
辞書とかだと、
ふつうに10年で1冊とか
おつくりになっていたのを記憶しています。
(いまや、多次元干渉が重なりすぎて
自分の記憶というものに一切の
信頼をおけずにいますがね|突然のケルマデック口調)

教科書も、第7校とか、第8校とか第10校とか
そんなゲラを何度もみたきがします。
(それでもまだまだ続く感じでした)

本ってたいてい(わたしがかかわっている本では)
初校ゲラ、再校ゲラ、たまに再々校ゲラ、で校了なんですが、
とにかく教科書の編集部では、
こんなにゲラ出すんだというくらい、
すごいゲラ出しされていましたですね。

教科書も、きっとですけれど
これから劇的な変容をとげていくことになりそうですね。
ってどうなのかな……。変わらないのかな?

シュタイナー教育……ヴァルドルフ学校だと、
教科書はなくて、じぶんたちの手でつくっていくノートが
教科書代わりだったと思いますけれど、
そういうのが、自分的には好みですし、時代にもあっているような。

時代と、システムがぜんぜんあってきていないというのは
子どもたちの様子をみていても思います。
「行きたくない」とはっきり言って
なんらかのかたちで
それを選択できる子は幸福かも、とも。

それは会社でもなんでもあてはまりますよね。
(たのしい学校、わくわくな会社はもちろん
そのままでよいと思うのですけれど
そうじゃない場がデフォルトになりすぎていて、
でもそれに対してすら麻痺してしまっている
その麻痺によって人々が首を絞めあっている、ということを
すごく思います)

……と!
いま、夏に発刊予定の新刊の
最終ゲラチェックをさせていただきながら、
弊社エムエム・ブックスの
オンラインショップの大改変超絶ダウンサイジング作戦(作戦なのか?)
をさせていただいているのが、

いやーーーーーーーーーーーー、
これはこれは、本当にすごい経験となっています。

本日配信の
声のメルマガ
https://murmur-books-socks.com/?mode=cate&cbid=2345081&csid=0

でもお話しさせていただいているのですが、
こう、規模を小さくしたり、
休んだり、やめたりするのって、
とても労力いると思うんですよね。

大勢のかたが、「なんだかな」と思いながらも
満員電車にのって会社へ行ってしまうのは、
ネガティブな体験も成功するとアドレナリンがでるからだと
何かで読んで
ブログでもしょっちゅう書かせていただいていますが!

がんばるほうが、どこか、楽なんです。
見た目にもよかったし(爆)。
昭和はね。
昭和は「いい子」「がんばる子」「勝つ子」「つよい子」「はやい子」
「かわいい子」「かっこいい子」が、善、でしたよね。

でも水瓶座(アクエリアス)の時代は
「別にいい子じゃない子」「がんばらない子」「負ける子」「弱い子」「ゆっくりな子」「別にかわいいってわけでもない子」「別にかっこよくない子」の時代だとはっきり思っています。善も悪も完全になくなって。


だってもう他人軸じゃなくなるんだもん。


他人軸で評価が高かった人で、
そこに依存して生きている人は
一気に苦しくなったりするかもと思ったりします。
優等生、美人、すごい会社の社員さん、すごい儲けてる方、がんばる人、
それらのかたで超自分軸のかたはいいんですけれど、
他人軸が重い場合、どうなっていくんでしょうね。

だって、外に着ていく服いまじゃんじゃん買ったって
着ていく場所が……少にゃいんだにゃー……。

そんなこともアクエリアスの時代の一端を
あらわしているように感じます。

自分が幸福かどうか、
自分が心地よいかどうか。

今日配信の声のメルマガ

ゲストの大原扁理さんも、
「自分がここちよいかどうかの感度」が高いとおっしゃっていて、
これからの時代を生き抜くうえで
すごく重要な感度だなと
あらためて思っています。

昭和は、そういう感度なくてもよかったんだと思うんです。
他人軸で、大勢の集団に合わせて、「がんばるぜい!」
とひとつの方向にがんがん向かっていけばよかった。
まあそれはそれで簡単で単純だったんですね。

でも、アクエリアスの時代は、
自分がここちよいかどうか、
自分がどうしたいか、
自分はどうしたら腑に落ちるのか、
自分はどうしていたらたのしいのか、わくわくするのか、
もう、全員違う。
みんな自分が自分に向かう。
超自己満足の時代に入ったと思うんですね。
それは、昭和のありかたとはぜんぜん違うわけです。

アクセルふかしていたの、
急激にブレーキふまないとならない、
っていうか、
まず車を降りないと(爆)。

なのに、車を降りるのにも
まだ罪悪感がある人がいる。

いやいやいやいや、わっちの考えでは
違うでしょって思う。
徒歩ですよ、徒歩(笑)。
徒歩あるいは、時空移動。
どっちかって感じ。

車は、ぜんぜんはやくなくて、遅いし
スピード感が違うというふうに思います。
(あくまでメタファです)

わっちはですね、このオンラインの世界も
すごい躍進だなと思うけれど、
人間の脳の潜在能力とか、
たとえば、テレパシーとかシンクロとか
セレンティビティ的なことだったりとか、
幽体離脱(できるひともいる)とかを思うと、
ぜんぜん人間のほうが「速い」というふうに
感じるんですよね。

パソコン、立ち上がるのがおそすぎる!
とは、某・先生がおっしゃっていたことなのですが、
(その先生は、からだを見るふしぎな先生でしたけれども、
パソコンやネットも一切やらないとおっしゃっていました)
わたしも正直同感です。

なぜ機種どうしで同期しないのか。
アップデイトしたら一気に使えなくなる機能があるのか(めちゃ不便!)。
コピペの機能がもっとハイテクであってほしいとか。
もっといったら、どうして自分の思ったことが、
パソコンの画面上に反映しないのかとかね。
いろいろ思ったりしています(すみません、僕ドラえもんの世界に住んでます)。

でもそういうのもどんどん進化していくのかな
(もうそういうテクノロジーいくらでもありそうですよね。
とにかくわたしは自分の脳ともっとリンクしてほしい。
もっともっとスピードアップできるのになあと
いつもおもって仕事しています)

で、徒歩と時空移動の話。

わっちのアクエリアス時代のイメージは
その両方が同時にあるかんじなんですよね。
まだまだ過渡期だから、
車乗ってたりしますが(それはメタファ的にも現実的にも)。

で、ここまでが前置きです(コホン)。

いま、
マーマーなブックスアンドソックス
何の挑戦をしているかというと、
非常にわっちは現代的なテーマに取り組んでいるとおもっていて、
(興味のないかたは、しらーっとスルーなさってくださいませね)
えっと、これは、
ビジネスのイノベーション(おおげさだけど。あはは)と、
あたらしい表現と、
そして、ほんのちょっぴりの「提案」だったりするんですね。
おもしろいことやってみたいっていう欲求にもとづく。おもしろいことやってみたいっていう欲求にもとづく。


かつて、こんな話がありました。

うちの父の話です。
父は、大手都市銀行を早期退職し、
有機農業をスタートしたとき
岐阜・美濃に戻ってまいりました。
(げ、その年齢にわっち近づいてるって今朝思いましたです。
アラフィフって、「死」を本気で考え始める最初の時期っていうかね。
人生でやり残しないようにしたいって思うとしごろなのかも)

そうして、父もまた都市生活者から
田舎の生活者に戻ったわけですが
(父は、美濃出身だからUターンなんですが)
それでも、田舎のマナーに驚くことがあったわけですね。

忘れもしない
「忠霊塔の掃除事件」です。

昔のブログで書いた記憶があるから
覚えておられるかもしれませんが、
田舎の掃除ってね、
わっちも経験ありますが、
みんなが集まる時間がどんどんはやくなっちまうんですよ。

忠霊塔の掃除
朝8時〜

と回覧板回るでしょ。

8時にいくと、終わっていたりするんです(爆笑)!!!!!

どうしてか?
みんなどんどんはやくなるから。

なぜ?
人目を気にして。気をつかってのことなんですかね。

でね。

みなさん、7時45分に集まったりする、
そうするとその次は、7時半からはじめる人がいる。
(だいたいみんなはやく目が覚めているっていうのもありますよね)
そうすると次は、7時15分にはじめちゃう。
そうして、7時、6時45分と……。

みんな、「よかれ」と思ってはやくスタートしてしまうわけです。

ただ、そうすると
本気で「8時スタートだ」と思ってきたひとが
困るというか、なんなんだ、ということになりますよね。
約束通りにきたら、もう遅かった。悪かったです、みたいな。

もう忖度祭りになっている。

で!
父、これはいかがなものかと、
自治会長かなにかになったとき
改革に乗り出しました。

方法はとてもシンプル。

忠霊塔の前に
6時半くらいから立つわけです。
そうして、ついはやくきてしまう人に
「8時からきてください」とお願いしたそうです。
ひとりひとりに。

「はやくから掃除をしてなにがわるいんや」という人もいた。
でも、「8時にやっぱりきてください」ときっぱりお願いした。

そうして、8時から掃除、ということを
根気よく定着していったというのです。

まあ、日本以外の国ではありえないような
光景かもしれませんがね(またケルマデック口調!)。

だらだら遅れるというならともかく、
はやくなっていくって。
優等生、がんばりや、はやいのがいい、いい子、
他人軸、といった世界ならではのことですよね。

で、今回、mmbsをダウンサイジングはじめて
ちょっと種類は違いますが
この忠霊塔の掃除の話を思い出したんですよ。


速い、簡単、合理的、便利、快適、承認欲求

というようなことについて。そして
それと引き換えに何を失っているのか。

名越康文先生のYouTubeかなにかで、
「機嫌がいい・わるい」みたいなお話していらしたことがあって。
現代人で機嫌が悪くなっているのは、
便利な社会に慣れて、
「待てなくなっているからだ」というような
内容を聞いた記憶があります。
(これも多次元干渉だったらごめんなさい!!
校正のためにもう一度検索して見直す時間を端折る失礼を
お許しください!!)

ボタンひとつで何かすぐに実現する。
蛇口をひねれば水がジャー。
ボタンをピで、お風呂がたぷたぷ(あ、お風呂がわきました、ということです)。

こういう世界に慣れると
もう、待つということが起こったときに
むちゃイライラしてしまう。
そうして、怒りを感じることが
昔より多くなっている、と。
胆力がなくなっているというのも
感じるんですよね。
あと
自分で考えなくなっている。

文章ひとつとってもそうですよね。
われわれ編集者も、PCで作業することがうんと多くなり
(これでも、むかしは手紙を書いたり、ファックスを書いたり
と言う場面がものすごく多かったです)
漢字ひとつ書けなくなってます。

漢字書けないくらいなら、
まあ検索すればいいんだし、
別にいいとわっちは思うのだけれど
もっとおそろしいのはやっぱり


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