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あたらしい自分=ほんらいの自分、の話その2|宇宙タイミングはどう起こるのか? ほんとうの改革と革命を起こすには?

みなさん、こんにちは!

前回から3日ほど経ったわけですが
あれから大原扁理さんヨハーディングさんとお会いし、
5月分の声のメルマガを収録させていただき、
さらに朝日カルチャーセンターにて春の講座全3回分のの1回目を終え、
またこのらんちブログに戻ってまいりました。

いやー、扁理さんたちと畑へ行ったらですね、
すごい!

ライ麦がやばいことになってました。

「ライ麦畑でつかまえてほしい」という意味がわかりましたよ。
「ライ麦畑でつかまえろ」っていうか。


すごい大きいんですね、ライ麦って!!

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どびっくり!
今年収穫して、パンを焼いてみようと思ってるんです。
これ、やってみたかったんですよねー。
とても楽しみにしています。

そうそう、朝カルの講座、
暮らしについてお話させていただいたのですが、
すごく大事なことを言い忘れたためここでシェアさせてください。

それは、
朝カルの冬の講座でもお話ししたことですが、
今、そしてこれからのあたらしい暮らしで大切なのは、
自分自身に向かっていくことには違いないのですが
もう少し詳しく言いますと!
こう言ったことが本当に大切になっていくと思っています。


◎とにかく自分が夢中になるものを見つけて取り組む
(時を忘れるような何か、です。縫い物でも絵を描くことでもなんでも)
こういうのがないという方は、とにかく、あてずっぽうでもなんでもやって、
見つけていただきたいなと思います。そしてぜひ没頭する時間を
自分に与えていただきたいなと思います。「無」になる時間ですね!

そしてもうひとつあります。それは、

◎テレビ、ラジオ、新聞、SNS、ネットを切る時をもつ


です。
テレビについては、わたしの周辺で(例えばスタッフとかでも)
観ている人は、いよいよ皆無となってきました。

とにかく同年代の、関わりのある方でテレビ観ている人は
マーマー周辺ではいないかもです。

で、特に私の知人で、テレビ大好きな人もいるのですが
そのかたは、非常に特殊な見方をしています。
とてつもなくコミットした見方をしているんですよね。
(ダウンタウンの浜ちゃんが出ているところだけを
ビデオで録画して、連続してみるとか、です。
主役じゃない時の、ただうつっている時の、無防備な浜ちゃんがすごいということです)

つまりは、芸術的に観ているというか、
全然一般的なテレビ見る、というのとは違う感じかな。

テレビやラジオや新聞がいい・悪いってことが言いたいわけじゃないんです。

わっちが思うに、
今、すごく「集合的無意識」から個人の意識に
時代が大きくシフトしていくというのが
この地球の流れのように思っているんですけれども、
すごく芸術性の高い生活をしている(つまりは目醒めて生きている)とか、
愛の周波数にもう完全になっている、とかではない限り、
なんていうか、容易に、周波数が、もってかれるっていうかですね、
かつての「集合的無意識」に引っ張られるように
思うんですね。
(もちろん違う方もいると思いますが)

さらに、今、ものすごい大転換期を迎えていて、
もう何が正しいか、とか、ないっていうかね、
本当に、「自分自身でいる」しかやることないというときに、
家の片隅でテレビがなっているというのは、
(観ていないとしても)
無意識であればあるほど、
集合的無意識に影響されるように思います。


そういうわけでマスメディアを「断つ」ことが
とても大事かなと思います。
大丈夫、重要なニュースはちゃんと、宅配便のお兄さんとかが教えてくれます。
本当に。

あと、
よく自分は見たくないけど家族が見ているから、という方がいますが、
それも自分の「記憶」なんですよね。
自分の「記憶」がクリーニングされたら、
テレビが目の前からなくなったり、壊れたり、
誰も見なくなったり、ついていなくなったりするのかなと思います。

もちろん! 見るのも自由だし、
わっちなんて、食堂か何かに入って、テレビついていると
180度後ろにテレビがあっても振り返ってみているくらい(爆)
釘付けになります(爆)!! あはは。

ふだん見てないから刺激が強いんですね。

ただ、久しぶりに見ると、すごいおかしなことも
いっぱいふくまれているのにも気づきます。
(陰謀論とか方向じゃなくて、ですよ)

わっちが懸念するのは、「自分なんてだめ」というような方向の
自己卑下フレーバーが散りばめられていることです。巧妙に。

この「マスコミ」で表現する上での
ある種の「態度」については、またどこかで書いて見たいと思いますが、
わっちも自分が新聞連載をさせていただいていたとき、
容易に、「オチ」を自己卑下方向にもっていきしそうになることが多かったです。
(マーマーマガジンだとまったくないことです)

どうしてマスに呼びかけ、マスの人々をリラックスさせ、
マスの方々に話しかけるとき、
表現する側が「自己卑下」という手法をしがちになるのか。
すごくここはね、注目すべきところだと思いますし、
わっちが表現としてできる限りしないように
していたいなと思っているところでもあります。
(テレビに出演の方でもそこをまったく自己卑下しないで
笑いを取ったり、おもしろいお話をされている方もたくさん居られますよね)


……と! 朝カル講座のテーマであった
「これからの暮らし」をより自由に
よりほんらいの自分にしていくために、
上記のことをいいそびれましたので、
ぜひ、朝カル講座受けた方は、参考にしてくださったらうれしいです。

あくまで、より自由に、よりほんらいの自分に戻っていきたい、
という願望に対しての、わっちの独自のアドバイスというか、
意見です。

ちょっと、この辺りのことが
まったなしになっているなという感覚があるため、
書いてみましたよ!!

というのも本当に時代の変化が大きいんですね……!

仕事の内容が
ダウンサイジング方向へと変わったお話を
前回も書かせていただいたのですが、
奇しくも前回の美空ひばりさん

なんと、「成人の方」っていってますね。
いやー、わっちのある種の「成人」を祝っていただいているようだなと
不思議なシンクロを
あらためて感じていましたですよ!

そう、時代は、どんどん集合的無意識から、
個人意識へと動いていくというのがトレンドになっていると
わっちはひしひし感じています。


これは、いい・悪いじゃなくて
トレンドっていうか流れ、なんですね。
純粋に。
だから、川みたいに、逆らわず、
そのまま流れたほうが、今後生きやすいと思います。

それはきっと
あらゆる分野でそういう方向になっていっているように
思います。

それでね、
本当にあらためて、
これまでスタッフさんたちにお願いしていた仕事を
自分たち(経営者2名)で
行うようになってたくさんの気づきがあります。


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