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マキシマル・アーキテクチャーⅡ (第二部 亀裂の物語)

第二部.亀裂の物語

画面と壁 ――足し算と引き算の亀裂から

 画面と壁は似て非なるものである。画面は、それ自体は無であるから、何かを描き足されることを望む。壁は、それ自体で雄弁であるから、へたに何かを描き足されることを好まない。

 例えば白い画面の中心にひとつ赤い丸を描く。すると白い画面はたちまち「日本国旗」という意味を得る。画面の情報量は、ひとつ描き足すことによってゼロから一に増える。他方、太陽の下に立つ白い壁の中心にもひとつ赤い丸を描く。すると白い壁はたちまち「日本国旗」という意味に成り下がってしまう。白い壁の情報量は、その最初がゼロではなかったために、一つの意味に固定されることで著しく減ってしまう。このように同じ描き足すという行為が画面と壁において全く違う働きをするのは、画面というものが観念の世界に属するものであるのに対して、壁は現実の世界に属する具体物であるという違いに起因する。それではこの世の「まだ手を加えられていない面」は、全て画面と壁のニつにきっぱりと分類できるのかといえば、微妙である。同じ白い壁でも、南欧の白い村のように太陽光に照らされた屋外の白い壁と、窓のないデパートのテナントに造作された白いボード壁とでは、壁といえども最初に持っている情報量に大きな開きがある。それでもどちらかに一方に分類する必要があれば、この場合、デパートの壁はむしろ画面である。

 ある面の持つ単位面積当たりの情報量の多寡を<情報濃度>と呼ぼう。我々人類に感知できる情報には有益な意味内容を持つ情報と全く意味を示さない情報の二つがあるが、<情報濃度>は全く性質の違うこの二つの情報を区別せず算定する。これを数式で表すと、

<情報濃度> = <意味濃度> + <非-意味濃度>

となる。大雑把に言えば、日本国旗は<意味濃度1>+<非-意味濃度0>=<情報濃度1>ということができる。<意味濃度>と<非-意味濃度>は独立した変数ではないが、その関係は簡単な数式で表すことができない。ここではとりあえず、情報濃度は単にその面の持つ総データ量を表すということだけ覚えておこう。そのデータが何キロバイトか、何メガバイトとかというドライな数字をもって「情報濃度が高い、低い」と言うのである。

 <情報濃度>という概念を導入し終えたところで、一つ、確実といえる事実が見えてくる。それは、「我々人類は画面に限らず壁に限らず、情報濃度が高いものを心地良いと感じる」というものである。これを<情報濃度の定理>と呼ぶことにする。この定理がなぜそうなのか、という問いには今のところ答えられない。しかしこの定理ゆえに、人間の感覚に喜びを与える芸術家は、画面を前にしたら描き足し続けなければならず、壁を前にしたら余計なものを取り払わなければならない。こうして画面からは、絵画が生まれ、アニメーションが生まれた。壁からは、写真が生まれ、現代建築が生まれた。

 その昔、画家は膨大な時間をかけて、画面に宗教画を書いた。無であるところの画面は、画家にその生涯をかけることを要求した。だが中世になって一般化したフレスコ画は、一枚の絵に掛ける時間は必ずしも膨大でなくてもよいということを画家に気づかせた。フレスコとはフレッシュ、新鮮の意味であり、壁に塗った漆喰が乾かない内に描かなければならないため、作業は迅速に行われる。当然、安価である。そんな早くて安い絵画でも情報量が落ちずに済んだのは、絵画が画面ではなく、窓越しの太陽光に柔らかく照らされた漆喰塗りの壁に描かれたからであった。さらに時代が下り、絵画が商品として流通する頃になると、画家たちはより短時間に絵画を描き上げる必要に迫られた。壁のような動かないものでは商品価値が低いため、描くのはやはり画面でなくてはならなかった。しかし、<情報濃度の定理>によれば人びとが絵画に求める情報濃度は常に変わることがない。そのような時代の要求は、新しい表現への欲望を伴ってモダン・アートを形成した。そこで発明されたのが、ドリッピング・ステイニング・スパッタリング・スクラッチ・バティック・マーブリング・フロッタージュといった手法である。絵の具を垂らす、霧状に吹き付ける、削り取る、油と混ぜる、別の素材に擦りつけるといったそれらの手法は偶然性を味方につけ、画家が自ら考え自らの手を動かしながら描き足さなければならない時間を短縮した。戸田ツトムによれば、G・ディディ・ユベルマンはフラ・アンジェリコ(1395年頃-1455年)の『聖会話』にみられるドリッピングと似た手法を指し、そこに描かれた斑点を<非類似の形象>と呼んだという。意味内容を全く持たず、ただ画面の情報量を高めるだけの斑点。「キリストに関する絵を描くのであれば、常にキリストとともに過ごさなければならない」と語った福音のアンジェリコが、キリストとは何の関係もないただの斑点を画面に描いたということは、彼がそうしないではいられなかった理由があったということだ。それこそが情報濃度を高めんとする画面自身の欲求であり、ひいてはそれを見たいという人間の、神への帰依とは無縁の生理的欲求に違いなかった。

 一枚の絵画に費やす時間とその表現との関係については、他の芸術表現でも似たような状況が見られる。例えばアニメーション、いわゆるアニメはどうだろうか。アニメの古き名作、ウォルト・ディズニーの『ファンタジア』は、原画100万枚、作画監督11人、総スタッフ1000人、製作期間3年という膨大な資金と時間をつぎ込んだからこそ達し得た驚異の表現だったが、現在そのような製作環境を確保することは極めて難しい。アニメーションも時代を下ると、よりスピーディに高い情報濃度を確保しなければならなくなった。そうなると原画と原画の間を何枚もの手描き動画で埋めていくよりは、初めから3DCGを用いたほうが経済的である。あるいは揺らぐ炎や飛び散る水、割れるガラスのアニメーションといった手描きが困難なものは、パーティクルと呼ばれる微少単位の集合モデルを用いたCG描画によって誰でも簡単に表現できるようになった。インターネット上の同人絵師や動画師と呼ばれる人々の作品に多用される、画面中を覆い尽くすような星、羽根、雪、桜の花弁、光などといった「なんとなく美しいもの」は全て、パーティクルを用いた簡易的な情報量操作なのである。それらの光り輝く点群は、余計な意味を発することなく画面の情報濃度を高める効果を持ったCG時代の斑点である。

 音楽はどうだろうか。音楽もまた、何もないところから発生する。それは白い画面に似て、基本的には足し算から始まる。とはいえ、単純に楽器が多ければ情報濃度が高まるとは言い切れない。通常、人は生演奏を目の前にした場合にもっとも高い情報量を浴びることになるが、それが録音となると情報量はぐっと下がる。コンピューター音源を用いると、さらに情報量は著しく減っていく。この場合、信頼できるのは音数よりも波形である。音楽においては波形の単純さ複雑さが情報濃度を表すと言ってよい。それゆえ初期のゲーム音楽が「8-bitサウンド」と呼ばれるのは、情報濃度の観点から言って正しい。だが、当然、ここでも人びとは作品の情報濃度が低減することを好まない。それゆえ一台のコンピューターで作られるようなデスクトップ・ミュージックは、複雑な波形の重ねあわせである生音に比べればずっと単純な波形を、歪ませたり増幅減衰させることによって擬似的に情報の高濃度を獲得しなければならない。

 また、音楽をある瞬間で切断した際に現われる、前後左右の「使われていない空間」をどのように情報で埋めるか、というパンニング作業も重要になる。初めからモノラル録音なら気にもならないが、ステレオ録音であれば使われていない空間は勿体無く感じるのである。ポップスであれば中心にボーカルとバスドラムとベース、左右にギターやピアノやハイハットを配置する。たいした意味もないギターやピアノのアルペジオで左右を埋めれば、とりあえず情報の高濃度は安易であれ保たれる。ジャズなら左にピアノ、真ん中にベース、右寄りにドラムとしてトリオライブ風を装ってもいい。だがもっと繊細な耳を持った者は、この無の空間を埋めるためには何も楽器を割り当てる必要はないことを知っている。リバーブやエコー、ビニールノイズ等のエフェクトによって音空間はいくらでも操作可能なのである。これは音の大小と情報量が関係ないことを示している。蚊の泣くような小さな音であっても、正しく配置されれば情報の高濃度は達成できる。


 絵画、アニメーション、音楽は画面に属し、足し算によって情報濃度を高める芸術である。一方、写真と現代建築は壁に属し、引き算によって情報濃度を高める。例えば肖像写真というものは通常、被写体である人間以外の要素が映りこまないように撮影する。人間以外の何かが必要とされる場合も、被写体の身分や文化を表すいくつかの家具や調度品が、特別に意味を発生しない範囲内で並べられるに過ぎない。これは、人間の、とくに顔という「雄弁な壁」を扱う方法として正しい。手を加えずとも、そもそもの初めから情報濃度が高いものについては、いかに不用意な意味を発生させて全体としての情報濃度が下がるのを防ぐかという「引き算」が重要になるのである。だがここで、一人の人間の顔の情報濃度がいかに高いからといって、その顔を数百、数千も同時に並べてしまっては意味が無いということも理解しておく必要がある。単体で情報濃度が高いものは、単純に足し算することによって、往々にして全体としての情報濃度を下げてしまう。ラッシュアワーの行き交う人々を見ても何も感じないように、顔はひとつを取り出すことによって初めて情報濃度を高めることができるのである。私は先に壁や顔はそもそも雄弁だと述べたが、厳密に言えば、雄弁かどうかは見る側に委ねられているのであって、壁や顔の持つ固有値ではない。それゆえ写真家がすべきことは、我々の注意を一点に向けることによって、我々自身がそのものに対して情報の高濃度を感じるように仕向けることなのである。そうした技術をフレーミングやフォーカスと呼ぶ。

 無論、画面内を注意深く足し算していく種類の写真作品もある。建築も同じで、画面からスタートするか壁からスタートするかという違いによって、足すのか引くのかという方法の差がうまれてくる。だが現代建築に限れば、建築は壁からスタートするということを非常に意識的に方法化するようになったと言える。(中略)


――さて、無駄に硬い文章で疲れてきましたね。ここで一度中断して、突然ですが問題です!頭を切り替えるのに少し時間がいりますか?では10秒待ちます。……はい。では改めて問題です。この筆者によれば現代建築は壁から生まれるということですが、次の8種類の壁を皆さんなりに「情報濃度の高い順」に並べてください。ちなみにこの壁は、草原の真ん中にモノリス(高さ9メートル・幅4メートル・奥行き1メートル)のように大地に刺さっているものとします。選択肢は次の8つです!

1.コンクリート打ち放しの壁/2.レンガ積みの壁/3.タイル張りの壁/4.窯業系サイディングの壁/5.左官壁/6.吹付タイルの壁/7.ペンキ塗りの壁/8.下見板張りの壁

――1.打ち放しというのはコンクリートのまま仕上げないというものです。安藤忠雄のようなツルツルで精度の高い打ち放しもあれば、すぐに崩壊してしまいそうなボロボロの打ち放しもあります。2.レンガ壁は西洋で一般的に見られるもので、打ち放しと同じく構造材でありながらそのまま仕上げになっているものですね。タイル張り以降は全て、構造とは別に仕上げられた壁になります。3.タイル張りはよくお風呂なんかに使われるモザイクタイル等で仕上げられた壁、4.窯業系サイディングはいわゆる住宅メーカーが用いる「~風」という意匠つき外装パネルです。どんな色や素材のイミテーションも作れるというスグレモノですが、建築家はまず使いません。5.左官は、スタッコやモルタルを壁に塗る仕上げの方法で、土壁なんかもこれに入ります。6.吹き付けタイルは、左官を手でやるかわりに機械で壁に吹き付けるものです。7.ペンキは聞いての通り。8.下見板張りは木の板を張った壁ですね。日本の古い木造家屋に見られます。さて、答えをどうぞ。

……

……

――情報濃度が高いというのがわかりにくければ、それだけで見ていて気持ちいいかどうかで考えてくださいね。それが情報濃度が高いということですから。

……

生徒A「できました。私の答えは、打ち放し>レンガ>板張り>左官>吹付>ペンキ>タイル貼り>サイディング、です。」

――ふむふむ、他はどうですか?

生徒B「ペンキ>左官>吹付>打ち放し>タイル貼り>レンガ>板張り>サイディング、じゃない?私ならそうだなぁ」

生徒C「サイディング>レンガ>板張り>タイル貼り>打ち放し>左官>ペンキ=吹付、に決まってラァ!」

――皆さんありがとう。どうやら意見はわかれますね。でもそれも当たり前、実はこれ、性格診断なのでした~。なので答えはありません!

生徒A「……ちゃんと授業やってください。」
生徒B「ええー、なんだぁ。」
生徒C「チッ、意味ねぇや。答えて損した!」

――Aくん、あなたは「真正さ」を基準に物事を判断するタイプです。真正な授業じゃなくてすみませんね。Bさん、あなたは「微細な変化」を感じとる繊細なタイプです。Cくん、あなたはいろんなことに「意味」を求めるタイプじゃないですか?


 いやな先生である。それはともかく……壁の情報濃度というのは人それぞれで感じ方が違う。見る人の価値観や内的な要因に左右されるのである。ただ、多くの場合それは<意味濃度>と<非-意味濃度>のどちらを優先的に考えているのかという差に等しい。ある人が、何かの象徴に見えることをもって情報濃度が高いと言ったとすれば、それは「意味濃度が高い」の間違いである。もちろん<意味濃度>は情報濃度に包含されるが、日本国旗に見えることが情報濃度を下げてしまうと言ったように、情報濃度というのは<意味濃度>と<非-意味濃度>の総量であることを思い出そう。

 一方で壁の持つ情報濃度は、それを見る人の内的な価値判断の他にも、どの距離でそれを見ているか、その日の天気はどうか等の外的な要因にも左右される。白ペンキの壁を遠くから見れば画面に見えるかもしれないが、近くで見れば塗りムラや汚れが微細な情報として見えてくる壁になるだろう。また、荒々しい左官の壁も晴れの日には濃い影が凹凸を強調するかもしれないが、薄曇りの日はのっぺりとして見えるだろう。ようするに、壁は人の顔と同様に、観察されて初めて濃度が確定するという意味で、不完全な存在なのである。画面はそれ自体で完結しているが、壁は様々な外部の要因と結びつきを求める。先にデパートのテナント内に立てられた白いボード壁が画面に近いと言ったが、インテリアは外部環境が比較的不変であるという意味で、壁が周囲との関係を持ちにくい。逆に、太陽と風のある外部空間に置かれた壁というものは、その環境内でその瞬間のみ存在するという一回性、ベンヤミンでいうところのアウラに近いものを身にまとっている。雄大な景色の中に立てられた壁、それは微妙な光の加減や空気の汚れ、仕上がりのバラつきがつくる凹凸と影といった小さな変化を単純さの中に抱えている。だがそれも見る主体に正しくフォーカスされなければ、存在していないことに等しい。その情報濃度を感知し味わうことができるように仕向けてこそ、壁は芸術として完成する。

 ここで、人類の歴史を、<意味濃度>と<非-意味濃度>の二つの側面から解釈してみよう。その昔、人類は<意味濃度>を高めることに生きがいを感じていた。壁画で埋め尽くされた洞窟、巨大な顔や神々で彩られた各国の遺跡、聖書の様々なシーンを再現したキリスト教の教会等、人類は神話的・宗教的意味で囲まれることに喜びを感じていた。だが17世紀後半から18世紀にかけてヨーロッパを覆った啓蒙思想と18-19世紀の産業革命によって、神は死に、<意味濃度>は一度ゼロに戻されることになった。続く20世紀前半のモダニズムは装飾を廃し白い壁を好んだが、このときの白は啓蒙思想直系の観念的なゼロ記号であった。この時代を表すのはマレーヴィチの白であり、ヒルベルザイマーの建築群である。モダニズムの<意味濃度>はほとんどゼロだったが、では他方で<非-意味濃度>が注目されたかと言えば、そのような概念もまた存在しなかった。そもそもモダニズムは人間を相手にしなかったゆえ、情報濃度が高くなければならないという人間由来の定理に背くことも可能だったのだ。だが時代が下って20世紀後半になると、人間を疎外したモダニズムからの揺り戻しとしてポストモダンと呼ばれる潮流がやってくる。ポストモダンの芸術家は記号論の隆盛などに勇気づけられ、再び<意味濃度>を復権しようと考えた。だがそれは単なるリヴァイヴァルだった。数世紀後から振り返れば復古趣味として片付けられる程度のものである。唯一価値があったとすれば、来るべきコピー文化の到来を予測していたことだろう。だが、もちろん神の居ない世界で意味を振りかざしても、一度ゼロになってしまった意味を取り返せるはずもない。人類は二度、意味を捨てることになる。これに対して、21世紀に入ってようやく一般化したのが<非-意味濃度>という概念である。<非-意味濃度>は、<意味濃度>が人間の意識を充足するのに対して、人間の無意識のほうを充足する。それは耳にやさしく感じられるノイズが、母親の胎内で聞いた血流の音に近かったというような話である。<非-意味濃度>は人類に、意味ではない方法で、心地よさを与えることができる。それは木漏れ日に似た何かである。こうして現代において芸術家は、<非-意味濃度>をいかにして高めるかという技術に磨きをかけるようになった。とくに現代の建築家はその傾向が最も強い。それは建築家が、この世界を画面ではなく壁と捉えるようになったということである。

 意味というものは、それを感知するために訓練がいる。かつて意味の充足を求めたのは王族や貴族といった一部の訓練された人間だけだった。だが、現代では複雑な読み解きを必要とするような意味はあまり好まれない。そのかわりに、斑点やノイズといった意味を持たない情報を人々は求めるようになった。それらは受け身であっても、誰でも等しく享受できるのである。ここに、人類の歴史において芸術を受け取る人の数と質の変化が見て取れる。これを示すのが、コンポジションからグラデーションへ、という趣味の変化である。

 コンポジションとは、たとえば丸と三角を画面内に配置することである。丸と三角の描かれた画面は、丸と三角の描かれた位置によって、ときに緊張や弛緩をもたらす。その画面は、丸という意味・三角という意味・丸と三角があるという意味の三つの意味の他に、丸と三角の間(ま)、関係がもたらす第四、第五の意味というものを見る者に与える。コンポジションは非-意味の無限を作り出すことはできないが、意味の無限を作り出すことができるのである。しかし、コンポジションは現在、グラデーションに対して敗戦を続けている。なぜならコンポジションはその性格上、怠惰な観客にとっては2、3の意味しか表さず、沈黙と深い思考を愛するものだけが事物間に広がる間(ま)に無限大を見ようとするのだが、それはようするに「楽しむために能動的な参加を要求する」ということであり、芸術が大衆化された現代においてそうした条件はハードルが高いのである。

 一方、グラデーションは単純であるゆえに強い。グラデーションとは、たとえば白から黒へと徐々に変化していく帯である。誰が見ても、そこに展開される色は無限に微分可能である。グラデーションにおいては、無限がその神秘をまったく脱ぎ捨てて存在している。それは観念的ではなく視覚的に存在する無限である。もちろん一方向に白から黒へと移り変わるという最も単純なグラデーションは、単に「グラデーション」という概念を表現する記号、つまり<意味濃度1>としか捉えられない可能性が高い。ゆえに厳密には、無数の極点が多方向に向けて発散する波が干渉しあって織り成す複雑な水面のようなイメージが、正しいグラデーションである。それはたとえば、素地のコンクリートの表面を舐める光である。

 コンポジションとグラデーションは、次のような対比としてまとめることができる。

 コンポジションは<非-意味濃度>の無限を作り出せないが<意味濃度>の無限を作り出せる。
 グラデーションは<意味濃度>の無限を作り出せないが<非-意味濃度>の無限を作り出せる。

 画面にしても壁にしても、そこに多様な意味を与えたければコンポジションを、そこに人を快楽に導く情報量を与えたければグラデーションを用いるのがよい。そして現代のグラデーション優位は、無意識の優位、大衆の優位、視覚による快楽の優位を意味しているのである。(中略)


――はい、ここまで読んだところで、もう一度休憩。なんだかややこしい話になってきましたね。……でも、気にせず第二問に行っちゃいましょう!それでは問題です。現代の建築家は「この世界を画面ではなく壁と捉えるようになった」、言い換えると「この世にはすでに美しいものが満ちているんだから、それを取り出して見せればよい」と考えるようになった、と筆者は主張しています。では、次のうち、美しいのはどれでしょう。

1.花/2.木漏れ日/3.人間/4.扇風機/5.ボロ布/6.ドラえもんのお面/7.うんこ

……

……


生徒A「……選択肢が酷いです。」
生徒B「なに言わせようとしてるんですかぁ、やだー。」
生徒C「うんこが美しいわけねぇだろ!」

――あら、答えてくれませんでした。ま、その反応から想像すると、皆さん少なくとも7は美しくないと考えているようですね。でも残念!答えは、「全部美しいと思えば美しい」でした~。もちろん難易度は右に行くほど難しくなるでしょうけど、それを美しく見せる方法がないわけではないんです。そして、現代の建築家というのは、この1~7をいかに美しく見せるかということを考えるようになったんですね。まぁ、まだ、5辺りまでしか到達していないみたいですけどね!

 さっきから気になっていたが、この教師と生徒はなぜ私の論考の邪魔をするのだろうか。君たちは誰なんだ。それはいいとして……現代建築が画面ではなく壁から生れているという事実を最もよく表す徴候がある。それは、リノベーションの流行である。リノベーションとは今すでにある建築の構造をそのままに設備や内外装等を新しくすることであるが、なぜそれが流行したのかと考えると、新築するよりも安価だというメリットがまず思い浮かぶ。デフレやエコ思想の隆盛という社会的要因もリノベーションを後押ししている。しかし、流行という現象は経済性や社会状況という消極的要因だけで説明できるものはない。積極的にそれを選び取ろうとする個々の価値観の変化が加わって初めて、流行は流行となるのである。リノベーションが広く受け入れられたのも、「改築はときに新築よりも美しい」という価値基準が、設計者だけでなく消費者にまで一般化したからである。古くなって薄汚れ、傷付き、腐食し、劣化したありのままの壁や天井が美しいという発想が「普通」になったのである。

 建築は観念であることをやめ、現実に従属することになった。先に私は、太陽光があり、風があり、ノイズやばらつきに満ちた現実においては、建築家は引き算によって無限を引き出すことができると言ったが、同じことが使い古しの壁にも言える。そこでは、汚れたままで残すことが無限への第一歩となる。だが一方で、何ひとつ手を加えずに残された壁は、「ただの古びた汚い壁」という意味に固定される恐れがないとは言えない。現代において意味に回収されることは、情報濃度が低いということだ。そこでついに「白ペンキで塗る」という手法が最善となる。白く塗ることは、壁から汚い・古いというネガティブな意味だけを剥ぎ取り、心地良いキズや凹みや古びたテクスチャーだけを非-意味の情報として取り出すことができるのである。そして白ペンキはなにより非常に安価であり、施工も簡単である。今では建築家の作品も洒落たカフェも等しく白塗りが相場だ。それは、既存建物の微妙なキズや汚れを隠蔽するのではなく、目立たせるための白である。こうした延長にスキーマ建築計画のエポキシ樹脂を用いた一連の作品や、戸井田雄の<時を紡ぐ-Marks>といった作品を位置づけることができる。

 リノベーションの白は、既にある壁を前にした<受動的白>である。対して現代の建築家が新築において提案する白は<積極的白>である、と言いたいところだが、これもまた積極的な受動性とでも言うべき態度からの白である。どちらも、近代建築が積極的に用いた白が「観念としてのゼロ記号」であったこととは大きく異なる。見かけは同じ白い壁かもしれないが、我々は無という意味を持つ白ではなく、現実が持っている微妙な揺らぎを反映する仕掛けとしての白に惹かれている。例えば西沢立衛による<軽井沢千住博美術館>の白い壁は、いくつものガラスの中庭からこぼれた光に丁寧に反応し、白からグレーの間の無限の色を繊細に出力する。白い壁は環境の受信機なのである。

 ここで、白ペンキがいいのならば赤ペンキや青ペンキもいいのかと考える人がいるかもしれない。だが、残念ながら、殊に日本の現代建築家は色を使うことをためらいがちだ。それは赤や青という色が意味に結びついてしまう可能性を恐れているためである。それでは現代建築家はどのように白以外を用いるのかと言えば、「素地」という抜け道がある。ある素材を、素材そのままの色とテクスチャーで用いることを素地仕上げという。素地は「それはその素材である」という以上の意味を発生することなく、安心して非-意味濃度を高めることができるために、白と並んで重宝されるのである。

 建築が画面ではなく壁から生まれるということが意識されると、当然の帰結として白い壁と素地の壁の他に使えるものがなくなってしまう。それは情報濃度の定理がもたらした一種の不自由である。現代建築は、ほとんどがこの不自由に甘んじているのである。

 そろそろまとめに入ろう。問題はどこにあるのかと振り出しに戻って考えれば、ようするに<情報濃度>=<意味濃度>+<非-意味濃度>という数式が機能していないのである。<意味濃度>は、それを感知するために観客に求められるコストが高いこと、あるいは<意味濃度>を高めることが<非-意味濃度>の低下をもたらすというジレンマ等のさまざまな要因によって、現代ではかつての価値を失っているのである。だが建築の未来を考えるのであれば、「情報濃度の数式がいかにうまく機能するか」という難問は、避けて通れない。とはいえ、単に意味の復権を唱えるというのは愚かである。そうではなく、情報濃度の数式を機能させるためには、<意味濃度>と<非-意味濃度>の相関関係を断ち切り、互いを独立変数とする必要がある。無意識的で生理的な視覚的快楽を邪魔しない<意味濃度>と、意識的で理性的な知的快楽を阻害しない<非-意味濃度>を、同時に達成すること。数式が機能し、情報濃度が最高度に高まった時、マキシマル(最大限)な建築=マキシマル・アーキテクチャが実現されるのである。

――はい、以上で今日のテキストはおしまいです。「<意味濃度>と<非-意味濃度>の相関関係を断ち切る」だなんて、この人ずいぶん簡単に言ってくれますね。では、皆さん最後の問題です! 壁の世界では白と素地が強い、とのことでしたが、先生はまだ他にやり方があるんじゃないかと思っています。というか、すでにそれを実行している建築家がいます。では問題、次の3つの方法で新しい建築を生み出している建築家は、誰でしょう。それぞれ一人以上、いると思います。

A)誰も知らない素材で壁をつくる。
B)壁を粉々にする。
C)壁をなくす。

――それでは答え合わせはまた来週。壁に囲まれたこの教室で、会いましょう。


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番匠カンナの初恋 ――遊びと戦いの亀裂から

 番匠カンナは去年一年で二万件以上の建築を建てた。その全てが共同設計という形で、建てたと言っても実現したのが126件、ポチョムキン・シティに登録された建築が8552件、残りの10000件強は敷地を持たないヴァーチャル建築である。まだまだ新米と言わざるを得ないが、設計を始めた前年と比べれば20倍の竣工数となり、下半期には彼女の活躍がメディアにも度々取り上げられるようになった。なかでもハイライトは、人気モデラーのKEI氏との共同設計となったヴァーチャル建築“BUDOUKAN-NEO”が大人気アイドルグループのプロモーションに用いられたこと、もう一つはほとんど事件と言ってもいいのだが、渋谷スクランブル交差点の顔であるQ-FRONTの建て替え計画が、彼女の設計による建築に決定したことである。これらの実績が彼女を一躍有名にした。去年は飛躍の年、今年はさらなる進化の年となることだろう。

「番匠さん、スターになった今の気持ちは?」
「えっと……自分でも信じられません。でも、スターだなんてあの……まだ美術館や市役所や駅なんかはできる立場にないし、実際に建てたのも住宅だけです。もちろん住宅をつくるのは素晴らしいことですが、まだまだスター建築家なんて、大変おこがましいのです。私なんか弱小です雑魚です、すみません。」


 「番匠カンナには注意しろ」というのが、建築批評家たちの語りぐさだった。番匠カンナの作品について何かを語ろうとすると、実際にできた空間のここが良い、ここが悪いということはできるが、それ以上に言うことがないのである。カフェ巡りが趣味のアマチュアブロガーならばいざ知らず、プロが手を出す旨味がない。それでも何か有効なことを言おうとするならば、社会現象としての番匠カンナを論じることはできる。たがそれもまた、出尽くした新書の山に蛇足の一冊を加えるばかりである。名前がなく、歴史がなく、意志がないものについて、建築批評で語れることは少ない。だから彼らは黙して語らないことを選んだ。触らぬ神に祟りなし。
 建築家たちにとっても状況は似たものだった。建築家たちは何より、番匠カンナに仕事を奪われることを恐れていた。しかし、ただの競合者であるだけならここまで大きな不安はなかっただろう。本質的な問題は、番匠カンナというイレギュラーの出現の意味を建築家たちが想像できなかったことである。というのも、番匠カンナの設計はどこかで見たような建物の陳腐なコピーばかりであり、そうでないものも悪ふざけかお遊びにしか見えなかった。ほとんどオリジナリティがなく、論理もなく、支離滅裂だった。また、あまりに多作であるため、いくつかの興味深い作品を除けば九割以上はゴミ同然だった。どう考えても建築家と呼ぶべきでないのである。だが、そんな建築家未満の番匠カンナが、日に日に存在感を増している。建築家たちにはそのことが理解できなかった。
 しかし、昨年四月に起きた二つの事件が、もはや番匠カンナを黙殺してはいられない状況に人々を追い込んだ。ひとつは例のQ-FRONTの建て替え計画、もうひとつは「カンナ掲載拒否事件」である。「カンナ掲載拒否事件」とは、大手建築雑誌に作品が掲載されることになった建築家が共同設計者として番匠カンナの名前を入れて欲しいと編集者に頼んだところ、作品の掲載を拒否されてしまったというものである。その建築家は怒り、ブログで出版社に抗議した。なぜカンナを建築家として認めようとしないのか、あまりの時代錯誤、旧態依然とした権威主義などとかなり激しく批判した。これに対し出版社は公式の回答を出さなかったが、勢いづいたのは「言論系」と呼ばれる建築家たちだった。インターネットやソーシャルメディアの隆盛を見守ってきた彼らはその建築家に加勢し、番匠カンナを絶賛した。番匠カンナが公共の概念を全く新しくするだろう、作り手と使い手の分裂が解消されるだろうなどといった議論が沸き起こり、建築界周辺は夏前頃から急速にざわつき始めた。

 Q-FRONTの設計案が正式に決定した九月、F川珪太は目に見えない運命に引き寄せられたのか、あるいはただのきまぐれか、番匠カンナについての態度表明となる短文をTwitterに投稿した。

「最近、何かと話題になっている番匠カンナという設計者だが、私は彼女を無視することができない。彼女は、建築界の癌である。癌は早期のうちに切除しなければならない。」

 メインストリームの一翼を担う建築家がついに口を開いた。しかも、これまでの誰よりも明確に、番匠カンナに敵対の刃を向けた。この投稿を目にした誰もがそう理解した。そして、その発言はネットを渦巻く議論に燃料投下する形となった。
 その日からF川のアカウントは炎上した。F川は、初めて無意味な罵詈雑言を浴びる感覚を味わった。また、他の建築家からは、真意を伝えるべきだという意見、ほとぼりが冷めるまで静かにしておくのがいいという助言、公開討論にご登壇お願いしますなどといったメッセージが煩く届いた。F川は発言を取り消そうなどとは全く思わなかったが、面倒なことになったと思った。所員の帰った深夜の事務所で、F川はメールソフトに届いた嫌がらせメールの削除をしていた。寄ってたかって個人的制裁を加える勘違いの正義漢たちは、この国の病理に違いなかった。俺はこの国のあるべき未来とはなにか、よりよい社会とはなにか、どうしたら人々が幸せに生きていけるのか。それを考えて建築の設計をしているのだ。なのに、この国は日に日に悪くなっている。皆、考える事をやめ幼児化している。この恥ずべき現代社会を根底から作り変えていくには、全く新しいコンセプトと強い意志による建築が必要だ。しかしそう考えると、番匠カンナという現象は一段と象徴的だ。いま俺に向って誹謗中傷する顔の見えない人間たちと、番匠カンナの共同設計者たちは、きっと同じ人間に違いない。成長を放棄し、野心もなく、毎日同じように同じ仲間と遊んでいればいいという意志なき人間たちの群れを、番匠カンナが先導しているのだ。
 F川は深くため息をつくと帰宅の準備にとりかかった。だが、PCをシャットダウンしようとしたとき、綺麗さっぱり整理したはずの受信フォルダに未開封のメールが一通残っていることに気づいた。差出人は、KANNA@xxxxxx.comとあった。

――F川珪太様 はじめまして。カンナです。いま、私のことでいろいろなご意見が出ていることは知っています。賛否両論、どちらも大切なご意見です。私はすべてを受け止めて、これから私自身がどのように変わっていけばいいか、日々考えています。F川様のご意見についても同じです。私は、怒ってメールをしただとか、そういうつもりはないのです。ただ……ひとつだけ私の方から、お聞きしたい質問があってメールさせていただきました。
 F川様。もしご自身のお好きな敷地に、お好きなように何かを建てることができるとしたら、どこに何をつくりますか? そして、誰と一緒につくりますか?
 突然の質問でとても失礼だと思います。ですが、もしその答えを教えていただけるのであれば、添付したファイルをインストールしてみてください。準備が整ったら、ファイルを実行してください。ちょっとの空き時間で構わないのです。私はF川様と一緒に、建物をつくってみたいのです。 番匠カンナ

 F川は、新手の嫌がらせだと思った。だが冷静に考えれば、わざわざそれらしいメールアカウントを取ってまで迷惑メールを送ってくる熱心な人間がいるとも思えなかった。F川は好奇心から、添付ファイルをコピーし、インストールすることにした。インストールはものの数秒で終わった。画面がぷつりぷつりと二回ほど点滅すると、画面に見慣れた渋谷の街が映し出された。


* * *


「最近、九時には上がれだなんて、どんな風の吹き回しだろう。」
「でも、おかげで充実した生活が送れるよ。頭もスッキリするしやる気も出る。ダラダラと深夜までやってた今までが馬鹿だったのさ。」

 すっかり所員がいなくなった夜の十時頃、F川事務所はすでに消灯していた。しかし、その薄暗がりの中にF川はいた。F川は黒革張りのLC4に深く寝そべり、脱力したように宙を見つめていた。だが、F川が見つめているのは事務所の天井ではなく、渋谷だった。

「本当にここでいいのですか?」
「ええ、ここで。」
 F川はカンナにそう伝えると、一歩二歩、雑草の生えた空き地に入っていった。左右にむき出しになったビルの側面が聳え立っている。
「ここはもうリアルでの建設が決まった場所だから、いま人気はないのですけど。」
 カンナは脇に抱えた書類に目を通し、登録ボタンを押した。
「プロジェクト名を決めて欲しいのです。後で変えられるので、仮でもよいのです。」
「じゃあ、『あり得たかもしれないQ-FRONT』で。」
「ありえたかも……っと。これで完了! 竣工まで一緒に、よろしくね!」

 そこは、渋谷のスクランブル交差点に面するQ-FRONTの敷地だった。どうしてもこだわらずにはいられない場所だった。というのも、ちょうど五ヶ月前、F川は勝利を確信していたQ-FRONTのコンペで落選したのである。それも、F川のみならずコンペに提出したすべての建築家が落選し、代わりに選ばれたのが番匠カンナと無名のモデラーたちだった。それは建築界にとってあってはならない事件だった。
 F川は鞄からコンペの提出図面を取り出した。そしてひとしきり周りを見渡した。細部まで完璧に渋谷だったが、F川とカンナの他に人影はなく、街はひっそりと静まり返っていた。

「……これはちょっと寂しいな。」
 F川がそう言うと、カンナが真っ直ぐにF川の目を見て言った。
「F川さん、当たり前なのです。これは嘘の渋谷。本当の渋谷は……。」

 カンナがそう言いかけると、異変が起きた。何の前触れも無しに、巨大な地鳴りと震動が街を包み込んだのである。そして次の瞬間、信じ難いことに、ビルというビルが皆揃ってズルズルと地の底へ沈み始めた。F川は仰天し、思わず頭を抱えてうずくまった。激しい土煙を上げながらまず渋谷駅が完全に大地に飲み込まれ、続いてペンシルビル群、さらにはヒカリエやマークシティなどが、高さの低いものから順に底なし沼と化した大地に消えていった。そして、咽びかえるような砂埃が晴れる間もなく、今度は一層大きな轟音、砂煙とともに、カラフルな巨大構造物群がせり上がってくるのをF川は目撃した。火花を滝のように垂らしながら無数の構造体が勢い良く突き上がり、二人を狭い地上に取り残した。揺れが収まってようやくF川は辺りを見渡し、再度仰天した。F川とカンナを取り囲む巨大構造物群は、そのひとつひとつが建設現場だった。遥か遠くまで、視界のすべてが工事中だったのである。

「私たちの渋谷へ、ようこそ! ここはポチョムキン・シティの生産サイド。名も無き匠たちの夢の世界なのです。」

 その建設現場群は、現実の現場とは比べものにならないほど色彩豊かだった。というのも、躯体工事と仕上げ工事が区別なくパッチワークのように混在し、部分的に完成した場所にはすでに人々が住み始めていたからである。F川は、巨大化したおもちゃ箱に放り込まれたような気分だった。

「シティのプロジェクトは、すべてがこの世界で生まれます。あ、この世界とは言っても、もちろん渋谷だけじゃないのです。日本は離島まで網羅していて、外国は約130カ国。それからこの渋谷も、いま見えているのはひとつの可能性としての渋谷です。とくにこれは、人気順で表示した渋谷。本当はもっともっと、いろんな渋谷があるのです。一番のオススメは、やっぱりタグ検索なのです。例えば、もっと評価されるべき渋谷とか、プロの犯行の渋谷とか、腹筋崩壊の渋谷とか、もっと絞って、東方シリーズの渋谷とか。どれも渋谷なのですけど、もう全然世界が違くて、全部ほんとうに素敵です。ちなみに、今見えているこの渋谷では、数十のグループが工事をしています。例えば、あれは有名な『弥生建築団』さん、あっちは『MSSP』の四人、その奥に『パンサル』さん、それからそれから……。」

 カンナは嬉々として説明を始めたが、F川はカンナの言葉をよそに、ついさっきまで渋谷の中心にあったQ-FRONTの敷地が、全く見たことのない建物に囲まれていることに衝撃を受けていた。右手の西武百貨店の壁があるはずの場所には、建設中の都市型遊園地らしきものが建っていた。3階ほどの基壇の屋上に、絡まった蛇のような超高層ジェットコースターが乗っているのが見える。一方、左手にはノイシュヴァンシュタイン城に似た建物が鎮座している。

「これは……渋谷でもなんでもないじゃないか。」

 F川は手に握っていたコンペの提出図面を思わず放り投げた。こんなものは意味がなかった。そこはQ-FRONTの敷地には違いなかったが、周囲の状況が何もかも違うのであれば何のための設計だろうか。現実に建てられなかった俺を、このニセモノの渋谷までもが馬鹿にしているのだろうか。
 F川が楽しそうでないことを感じ取り、カンナは驚いた。カンナは地面に捨てられた図面に駆け寄って拾い上げ、砂埃を払って慎重に言った。

「この図面の建物を、F川さんは作りたかったのではないのですか?」
「作りたかったよ。現実の渋谷にね。」
「ここではダメですか……。」
「ダメだよ。ここは何もかも違う。周りが不確かじゃ、設計なんてできない。」
「F川さん。もし自分の好きな敷地に、好きなように何かを建てることができるとしたら、どこに何をつくりますか?」
「俺は変わり果てた渋谷じゃなくて、元の渋谷のこの場所に建てたかったんだ。でなきゃ、何をやっているのかわからないだろう。」
「……わかりました。では元に戻すのです。」

 そう言うと、工事中の渋谷は、まるで悪い夢から醒めたかのように、瞬時に静かな元の渋谷に戻った。続いて、ぽうという音がして、F川の体の周りにリングメニューが浮かんだ。

「クリエイティブモードでは、すべての資材が無尽蔵に使用可能です。形鋼のアイコンを選択してみてください。例えばそこにH-400x400があります。この更地に、立ててみてください。」

 F川は言われたとおりにした。右手に手のひらサイズの重みのないH鋼を握ったF川は、恐る恐る地表を指さした。すると、ぼすっ、という音がして、敷地のほぼ中央にまっすぐに鉄骨柱が立ち上がった。見慣れた渋谷のど真ん中で、更地に一本、高々と柱が立っている。F川とカンナは、青空に投げ出された柱の先端を見つめた。そして、数秒の沈黙の後、F川は唐突に高笑いを始めた。カンナは怪訝な顔をしてF川の横顔を見つめた。

「これは、面白い。決めた。俺はここにあり得たかもしれないQ-FRONTをつくろう。」


* * *


 五ヶ月前、Q-FRONTの建て替え計画の設計者に番匠カンナが選ばれた。ポチョムキン・シティに竣工したプロジェクトを提出したグループが、建築家たちを差し置いてコンペの一等を勝ち取ったのである。選考委員に建築家のいないコンペだったこともあり、主催者であるディベロッパー社長の一声で決まった。しかし、カンナはリアルプロジェクトとしてはまだ住宅が建ち始めた段階であり、大きなものや公共的なものを実現した試しがない。そこに突然、渋谷の顔である。もちろん共同設計者はどこの誰かもよくわからない匿名のモデラー集団だ。それだけでも一大事である。しかし、最大の問題は別にあった。その計画はそもそもリアルプロジェクトではなく、イマジナリープロジェクトの、それも到底実現不可能な建築だったのである。その匿名モデラー集団は「サンドボックスMOD」というサードパーティが開発したプラグインを導入し、物理演算オフの状態でつくっていたため、計画は構造的に完全に破綻していた。なにせ、宙に浮いた土ブロックからたくさんの樹木が生え、ところどころにガラスもはまっていない部屋が詰まれているような高層建築である。商業施設としても床面積が致命的に足りていないし、設備のことなどまるで考えていない。当たり前だ。設計者にとっては好きな建物を渋谷のど真ん中に建てたいという、ただのゲームのつもりだったのだ。連絡を受けたカンナは揺れた。これはまるで建築の姿をなしていないし、非公式プラグインが用いられていることもあり、すべての責任を負うことができない。だが、一方でこれは明らかにカンナにとっての正念場でもあった。誰かの好きという気持ちによって生まれた想像が、誰かの好きに届き、それが別の応援者達によって楽しく実現されていくという理想的なありかたが、最高の場所で世に問えるチャンスだった。
 カンナはすぐに設計者に連絡を取った。設計者は建築について詳しい知識がないので、もし本当に実現するなら自分は身を引くと言った。だが、カンナは彼を顧問にすることを決定、今後の様々な実現プロセスに本人の希望の上で参加してもらうことにした。それからディベロッパーに条件の整理を依頼し、用途や床面積やレンタブル比などの基本的な数字を出してもらった。カンナは双方の承認を受けた上で、シティを舞台とした再コンペティションを開催することを決定した。もちろん諸条件はシティにアップロードし、自動計算されることになる。カンナとの共同設計が前提だが、参加はすべての設計者に開かれる。六月末に登録がスタートし、夏休み期間を挟んで、審査は九月一日からの一週間ということになった。
 結局、Q-FRONTの再コンペには、ばかげたものや作りかけのものも含めて約五千二百案が集まった。この夏休み期間、ポチョムキン・シティへのアクセス数は急上昇し、カンナの知名度はさらに高まった。審査は最終的にディベロッパーと最初の設計者であるモデラー集団、建築関係者を含めた審査委員による公開討論で決定されることになっていたが、その前の段階で大事なのは閲覧数だった。五千二百案もの提案を全部見る人などいない。それらは日々、一般ユーザーの閲覧数、コメント数、マイリスト数によって順位が決定され、上から順に表示することができる。シティを訪れた人は自らの足で渋谷駅前を歩き、表示した計画案の建物の外観を眺めたり、実際に内部に入ってくつろいだりする。そうして気に入ればマイリストに登録するのである。また、コメントは建物の好きな場所に書き込める。「これはよい眺めww」「GJ」といった賞賛やツッコミもあれば、もちろん荒らしもよく訪れ、トイレはたいていネトウヨの落書きで埋まる。閲覧数やコメント数は一概に良し悪しを決められるものではないが、それでも「何が注目されるのか」ということに関しては一目瞭然の結果を示してくれる。ディベロッパーにとっては、どのような建物がどう興味をひくのかということをシミュレートできるため、最終決定は審査委員の手でなされるとはいえ、この匿名の投票者たちの出した答えは無視できないほど大きいのである。
 九月七日の審査会をもってコンペが終わり、ひとつの計画案が選ばれた。最優秀案を含めどの案も完全に条件を満たしたものはなかったが、ここからの調整は新しく選ばれた設計者に限らず、全く別のプレイヤーによってもブラッシュアップされていく。構造の無駄を見つけ出してはよりよい解法を示す者、家具やサイン計画を勝手に提案する者、既にある3Dモデルを使ってヴァーチャルなイベントを企画する者。計画案は瞬時に遊びの道具と化し、真面目も不真面目も集めながらさまざまな派生プロジェクトを生んでいった。これらの新着アイディアを日々チェックし、大量のポップアップコメントを掻き分けながら建物の隅々を散歩するのは、施主にとってこれ以上ない楽しみである。
 最初のコンペであれだけ悔しい思いをしたF川だが、もちろんシティを舞台とする再コンペには参加しなかった。かわりにF川は、例の「カンナは建築界の癌である」という敵対宣言をネットに投稿した。私怨と思われても仕方のないタイミングだった。


* * *


 十月。F川は毎日、夜の十時になると決まって渋谷に現れた。そして、あり得たかもしれないQ-FRONTを、自らの手で少しずつ建てた。F川はコンペ提出時の図面と睨み合い、慎重に一手一手を決めながら建設していた。カンナはF川が時折見せる苦悶の表情のようなものを珍しげに観察しながら、ほとんどの時間を積み上げられた建材の上に腰掛けて過ごした。唯一、F川に尋ねられたときだけ、建蔽率・容積率・斜線制限・高さ制限等の各種制限の境界表示をしたり、構造シミュレータを走らせたり、電気ガス水道等の最短経路検索、リアルタイム積算等を手伝った。
 作業中のF川はほとんど無言だった。ああ、そうだね、ちょっと待って、じゃお先に。それだけで毎日の三時間の作業が終わった。また、F川は大量にスケッチをした。現場の床に捨てられた大量の紙くずを見て、時折カンナはどうしようもなく開いて見てみたい気持ちになった。しかし、気軽に触れていいものかわからず、いつも伸ばした手をすっと引っ込めるのだった。

「F川さん、何を書いているのです?」
「ああ。」
「F川さん、ここ斜線制限引っかかってます。」
「そうだね。」
「F川さん、この黒御影は水磨きでよいのですか?」
「ちょっと待って。」
 そして定時がくるとF川は決まってこう言うのだった。
「じゃお先に。」

 あるとき、カンナはいくつかの別の敷地について、建設中、もしくは竣工後のプロジェクトを表示することをF川に提案した。F川にとっても賑わいのない渋谷は少なからず気味の悪いものだったため、自らが指定した敷地についてはランダム表示することが許された。その結果、F川によって無価値と判断された渋谷駅周辺の建物は、日替わりで見知らぬ建物に切り変わった。作業の合間にF川は、その見慣れない建物を見つめることが多くなった。

「サンダー貸して。」
「いいよ。はい。」
「サンキュー……てアブね!誰だよ鉄骨落としたの。死ぬだろww」
「ごめん操作ミスったwww」

 工事現場では、数人の匠たちが馬鹿騒ぎしながら、見るも無残に支離滅裂な建築をつくっていた。

「カンナ、あれは?」
「前に言った『弥生建築団』なのです。彼らの人気はすごくて、毎日のライブ配信は平均して3000人が視聴しています。私もよくからかわれて、動画でネタにされています……えへへ。」
「配信?動画?」
「工事の様子を配信するのです。みんな大好きなのですよ、仲良し男子グループの会話って、馬鹿で、おもしろくて。」
「工事なんか見て楽しいのか?不思議な奴らだな。」

 そう面白くなさそうに言うと、F川は作業場に戻っていった。F川のそっけない態度には慣れつつあったカンナだが、いつもの寂しさに紛れて、自分が少しだけ腹を立てていることに気がついた。どうしてF川はいつも一人で、誰とも関わろうとせず、周りを馬鹿にしたような話し方をするのだろう。それはF川の性格なのか、あるいは有名建築家は皆そうなのか、カンナにはどうしてもF川の態度や考えがわからなかった。だが、そんなふうにカンナがモヤモヤとした気持ちになったのには理由があった。正直に言って、カンナは、少しずつ姿を現し始めた『あり得たかもしれないQ-FRONT』が好きになっていたのだ。その建物は何にも似ていない、不思議な魅力のある建物だった。シティ広しと言えども、カンナの知る限りこれほど新鮮な想像力に満ちた建物は他になかった。本当は、カンナは他の匠たちに自慢したかったのである。いま私は、有名な建築家と一緒に、見たことのないものを作っている。しかし、カンナはその興奮を素直に表現することができなかった。気難しいF川のそばにいて、ぐっと抑えるしかなかった。せっかく目の当たりにしている喜びが、非公開設定の内側で完結し、さらに言えばF川の内側だけで完結していることが悲しかった。私、何も出来てない。何も関われてない。そんなモヤモヤと焦りが、カンナの心に少しの反発心を生んでいた。

 別の日、F川がシティにアクセスすると、カンナは何かを隠しているような様子でもじもじしていた。いたずらでもされたかとF川が辺りを見回すと、渋谷駅が知らないデザインの建物に変わっていた。

「カンナ、渋谷駅を変えたね。あれは元のままの約束だったけど。」
「ごめんなさい、どうしても見せたくて……。実は、あの渋谷駅は昨日竣工したのです。ちょっと、騙されたと思ってついてきてください。」

 F川は交差点を小走りに渡って行くカンナを追い、ハチ公像を横目に見ながら真新しい渋谷駅の前に進んだ。駅は8階建てほどの複雑な建物で、各層に設けられた緑豊かな屋外テラスがまるでアスレチックの遊具のように三次元的に繋がっていた。そして各階フロアは、どこもかしこも大勢の人でざわついていた。
 突然、甲高い銃声がひとつ鳴り響き、各階にいた人々が悲鳴とも歓声ともつかない声を上げながら、蜘蛛の子を散らすように一斉に走り出した。

「これは一体……?」
「鬼ごっこなのです!『渋谷駅竣工記念・超☆鬼ごっこ大会』が、この新しい駅を使って行われているのです。二十人の鬼から一時間逃げ続ければ、勝ちなのです!」
「あ、あぁ?」

 背中を押され、F川が正面玄関から渋谷駅に入ると、真紅のカーペット敷きの大広間に通された。気づけばカンナの姿はなく、正面の大階段から鬼の面をした人物が二体、勢い良く駆け下りてくるではないか。笑い声を上げながら全力疾走する人々。F川は怖くなって、初めて見たばかりの知らない建物の中を次々と駆け抜けた。アーチ窓の続く外廊下、蓮の花の咲く水盤の飛び石、菱形のチェック柄のタイル床、金色の釦と青のヴェルヴェットのソファ、アニメのキャラか何かの重厚な天井画、枯れすすきの空中庭園、巨大なコンクリートの柱に螺旋階段、有機EL床のプラットフォーム。息が切れるまで、すっかり自分が何階のどこにいるのかわからなくなるまで、F川は走った。そしてF川はいつしか、見知らぬ巨大な建物のなかを駆け抜ける快感を覚えていた。これまでの人生で、こんなに自由に建物を感じたことはなかった。ただ追いかけられて走るという単純さのなかで、あらゆる部屋、あらゆる段差、あらゆる通路や吹抜が生きもののように感じられた。そのとき建物は、純粋に形で、表面だった。
 走り疲れたF川は、学校の教室のような部屋に入るとばたりと床に倒れた。ひんやりとした木の床に寝転んで大きく息をしていると、どこか懐かしい気分になった。ああ、俺はなにか大事なことを思い出した気がする、とF川は思った。不思議と充実した気分で上半身を起こすと、ちょうど入り口の引き戸がガラリと開いた。そこには、鬼ではなくカンナが、屈託のない笑顔で立っていた。

「F川さん、みぃつけた!」


 どうやらF川はおかしくなった。F川事務所の所員は、以前とは明らかに変わったF川を間近で見て、そう結論づけた。それまでF川が口うるさく言っていた、敷地の読み込みやダイアグラムの重視、問題の整理と明快なコンセプトの表現といったことに、彼自身が全くと言っていいほど興味を示さなくなったのである。そして何より「見たことのないもの、他人とは違うものをつくろう」という鬼気迫る意気が感じられなくなった。では、代わりにF川が何か新しいことを考え始めたのかといえば、これといって何もないのである。F川自身が混乱しているように見えた。また、九時過ぎにF川が何をしているのか、暗闇の中で目を開けて寝ているのを見たなどといった噂が立ち始めていた。
 あるとき、F川が長期出張に出た隙を見計らって、数人の所員たちが普段は立ち入らないF川のデスクに忍び寄った。所員たちはお互いの顔を見合わせ頷くと、そっとF川の机の引き出しを開けた。綺麗に整理された書類の上に、女の子の絵が描かれたPCソフトが雑然と置かれていた。所員たちはギョッとした。それは番匠カンナだった。あの硬派なF川の趣味は、カンナだったのだ。何となくそんな気はしていたけどね、と言って、一人の所員がカンナを手にとってジロジロと眺めた。そしてパッケージを裏返し、宣伝文句を読み上げた。

――“番匠カンナ”はデザイノイドと呼ばれる女の子です。ちょっと普通の女の子と違うのはいつも安全帽を持ち歩いていること。苗字の「番匠(ばんじょう)」とは古代朝廷に仕えた建築職人のことで、中世になると今で言う大工をそう呼ぶようになりました。番匠には租税負担がなく座を形成することもなかったため、彼らは個人単位で建築プロジェクトのあるところに集まっていました。「番匠たちのゆるやかな繋がり」は、時を超えて、現代のソーシャルネットワークを前提に活躍する個々のクリエイターたちの姿に重なります。ひとりひとり、つくりたい気持ちを持った職人たちがインターネット上に集まり、みんなで建てることを楽しむ。私たちの描く未来を「番匠」という言葉が示しているのです。そして「カンナ」の由来は、大工道具の鉋(かんな)。同名の花、カンナの花言葉は「妄想」。これは人間だけが許された“好き勝手な想像”という喜びへの、惜しみない肯定を意味します。さあ、番匠カンナと一緒に、あなただけの建築の世界へ!


* * *


「F川さん、F川さん! 今日はどこにいるのです?」

 カンナが『あり得たかもしれないQ-FRONT』に向って問いかけると、知らない匠が答えた。

「F川さんなら、セルリアンの手伝いしてますよ。今日こっちは僕に任せてもらってます。」
「そうなのですか。ありがとうございます。」

 十二月。見上げればF川のQ-FRONTは当初の面影もなく、出鱈目に改変されていた。カンナはQ-FRONTに背を向けると、急いで走り去った。その日はしとしと雨が降っていた。京王井の頭線のブリッジを潜り抜け、歩道橋で幹線道路を渡り、雨に濡れて黒ずんだ坂を駆け上がった。何か変だ。F川さん、そんな人じゃなかったはずなのに。
 息を切らしてカンナが『新生セルリアン/まごころを、君に。』の建設現場に着くと、F川は鉄骨から鉄骨へと跳び回りながら、大勢の匠たちと汗を流していた。現場は匠たちの蒸気で曇っていた。カンナが声を掛けるとF川はこちらを見て笑顔で手を振った。昼休憩の時間になると、二人は傘を差して、渋谷駅を望む最上階のデッキプレートの先端に並んで腰を掛けた。

「F川さん、Q-FRONTはいいのですか?」
「あっちは大丈夫。この前意気投合した太吉って奴に任せてるから。」
「F川さんの図面とは違うものをつくっています。」
「それでいいんだよ。誰かがつくったものに誰かが応えて足し引きする。予想を裏切る意外な空間が、一人で考えるより二倍のスピードで生まれていく。連歌みたいなものさ。」
「F川さんは変わったのです。F川さんは自分の意志を曲げず、余計な邪魔が入ることをとても嫌っていた……。」
「そうだったかな。よく覚えていないな。」
「そうだったのです。私覚えています。あんなに苦しそうな顔をして建物をつくる人にこれまで会ったことなかったから、それがとても印象的で……。」
「苦しそう? まさか。俺にとって建築は楽しいからやっているんだよ。」
「そうでしょうか。九月の始め、F川さんが初めてシティに来た頃、F川さんは私に言いました。ギリシャ建築風、陳腐な和モダン、形ばかりのゴシック教会、漫画やアニメのトレース。シティの建物はどれもどこかで見たような建物の焼き直しでつまらない。ほんとうの建築はお遊戯とは違うのだと。……私、今までそんなことを言われたことなかったから、毎日が楽しかっただけだから、悩みました。私がつくっているものって、ほんものの建築ではないのかな。苦しみながら孤独につくっているF川さんには、ほんものの建築が見えているのかな、って。」
「シティに来てもうすぐ三ヶ月。俺は気づいたんだ。俺は、難しいことを喋りながら建築を高尚なものだと自らに言い聞かせていた。でも、結局やっていることは、差異を生み出す競争なんだよ。とにかく新しく、人と違うことをして、勝たないと。これは生き残りを賭けたゲームなんだと。別に誰もそれに気づいていないわけじゃないんだ。皆、この不毛な差異化競争を知っていながら、ただ抜け出す術がないんだ。でも、ここへ来てはっきりとした。建築家がこぞって差異を競うゲームに絡め取られていて、果たしてほんとうにいいのだろうか。この先数百年に渡って、建築家が苦しい競争を続ける姿を想像して、ゾッとしたのさ。それは俺たちの目指す未来なのかと。」
「でも、ここも、シティも競争は競争なのです。人気や不人気は正確に数字で出ます。ただ、違うのは、苦しくて建てる人はいません。ここには好きでやっている人しか来ないのです。」
「そう。シティは現実よりよっぽど平等かつシビアだね。民主主義のシステムだ。でもゲームだから、やりたい奴だけがやっている。楽園だよ。それからね、俺が特に気に入ったのは、何かをつくるときに組織づくりではなく作品づくりが先立つところなんだ。普通、建築家は自由に建築を建てることが出来ない。まず頼まれて、チームをつくって、最後に作品を生み出す。今まで疑問に思わなかったけど、ここじゃそれが逆で、まず個人が作品をつくる。組織づくりなんかしなくても、ただただ俺が好きで勝手につくったものに、自然と人がついてくる。ファンだったり、他のプレイヤーだったり、いろんな知識を持った技術者だったりね。その違いがわかるかい? 本当に興味を持って好きで関わりたい人間だけが集まってくるんだ。理想的だよ。付き合いや政治的理由で、何をつくるかも決まっていない段階で集められる組織と比べて、これがどれだけ合理的か。俺はこれを作品先行型と呼んでいて、旧来のやりかたを組織先行型と名づけた。作品先行型は、来るべき未来社会のつくりかただよ。」

 F川は勢い良く、興奮した様子で話し続けた。しかし、この時カンナは、F川が喋れば喋るほどどこかに遠ざかっていくのを感じていた。かつてカンナを否定していたF川が心を開いてくれている。シティを好きになってくれている。見知らぬ人と笑顔で建物をつくっている。本当は嬉しいはずなのに、この気持ちは何だろう。とってもおかしなことなのです。

「カンナ、なぜ現実ではそれが機能しないか。わかるかい? 答えは、現実世界では、無名の人間が作品をつくったところで人に見てもらえないからだ。作品先行型社会は、作品が簡単に衆目にさらされる状態でこそ可能な社会なんだよ。じゃあ、なぜシティではそれが可能なのか。君だよ、カンナ。君が無名の作家たちに名前を貸しているから、誰もが無名の作品にアクセスできるのさ。無名の男が俺の作品を見ろと言ったって、余程のことがないかぎりただ痛いだけ。あ、そう、で終わり。でもそれが、カンナの最新プロジェクトだっていうことになれば、数十万単位のカンナファンの目につく。少なくとも、つく可能性がある。中身が同じ作品でもね。俺はこれを有名性の外部化と名づけた。作家がストレスのない活動を続けるにあたって必要とする有名性、つまり自分の名前が他人に知れているということを外部に委託するんだ。そうすれば匿名のまま自由にできるし、人に見てもらえる。これは画期的なことさ。カンナ、ようするに、君は人格を持った人間であるかもしれないが、同時に巨大メディアなんだよ。」
「……はい。」
「そしてもうひとつ、ここには批評がない。」
「……ひひょう?」
「シティのように、至らなさを楽しみ、笑う文化の真逆の存在さ。俺たちを競争に駆り立て、つまらなさ、至らなさ、ボロが出ればすぐにそっぽを向く。そのくせ奴らの面白さの基準なんて、現代にキャッチアップしているかどうかでしかない。新しいものを見る目があるわけでもない。そんなくだらない連中が喋る言葉が批評さ。現実では誰もが批評家だよ。少しでも面白くないことをやれば、つまらない奴の烙印を押しにやって来る。俺たちはいつでもあいつらの鼻を明かしてやらないと気が済まないのさ。くだらないだろ?」
「F川さんは、私の知らない苦しい世界で戦ってきたのですね。」
「そうだよ。でももうやめた。至らないものと笑いに満ちた世界のほうがいい。不毛な戦いより永遠の遊びがいい。ここが未来だ。そう教えてくれたのも、カンナ、君だよ。」
「……うーん……なのです。」

 カンナは黙り、眼下に広がる支離滅裂な渋谷を見つめた。下階からF川を呼ぶ匠の声が聞こえると、F川は短く挨拶して仕事場に戻っていった。カンナはしばらく俯いたまま、雨粒が垂直に落ちていくのを見ていた。数百、数千のカンナの共同設計者たちは、今日も賑やかに動きまわっていた。


* * *


「番匠さん、やはりプリツカー賞は視野に入れているんですよね?」
「プ、プリッツですか!?……急にお菓子の話をするなんて、変な人なのです。」

 大晦日。この日はポチョムキン・シティのお祭りである。一年間に竣工したすべてのプロジェクトから、優秀なものや話題を巻き起こしたものを表彰しにカンナがやって来るのだ。今期は運営の気合が入っているのか、渋谷のスクランブル交差点に一万もの椅子を並べ、更地になったQ-FRONTの敷地にド派手な地鎮祭セットが組まれている。紅白幕と注連縄で飾られたお立ち台の上から、玉串を持った神主スタイルのカンナがこちらに向って手を振っている。数万に膨れ上がった無名の建築家たちが、走り回ったり花火を上げたり、会場は笑い声と熱気でお祭り騒ぎである。隣から太吉が、こんな雰囲気のなかで自分たちのプロジェクトが選ばれたら最高だろうな、と言った。そうだな、とF川も答えたが、その声をかき消すように一際大きな歓声が上がった。ステージに立ったカンナが頬を紅潮させ、白い腕を空に向かって精一杯伸ばして大きく息をする。そして声高に叫んだ――「今年の年間グランプリ作品は!!!……ドゥルルルッルルルルルルルルッ、ずーん!……チーム・イレブンの『ヴェストマン諸島・Ellidaey島改築プロジェクト』に決定!!!なのですっ!!!」
 祭りが最高潮に達したとき、ハチ公前広場では丸太や鉄骨柱が何本も空に向かって掲げられた。笑いを取ろうとしたプレイヤー集団が表彰式の間に櫓をつくり始めたのだ。周囲にいた匠たちが我も我もと駆け寄って、即興のバラックが組み上がっていく。三六〇度どちらを見ても巨大開発の進む渋谷の交差点で、ニョキニョキと生えるようにして滅茶苦茶なタワーが立ち上がっていく。
 ステージに背を向け笑っているF川と太吉の後ろで、カンナがメガホンを取った。

「今日は、みなさんに告知があるのです。もうみなさんご存知だと思うのですが、Q-FRONTの着工が決まりました! これは私たちにとって初めて現実に建てる商業施設、それも渋谷のどまんなかの、すごく素敵なプロジェクトなのです。あの……今日は、そのことについてみなさんにお伝えしたいお話があります。ちょっとだけお時間ください。」

 カンナは一息ついて、渋谷が静まるのを待った。騒々しかった街が徐々に落ち着きを取り戻すと、数万の視線がカンナに集まった。

「新しいQ-FRONTを建てることを夢見た人は、私たちの他にもたくさんいました。最初のコンペに提出した、たくさんの建築家の方々です。私は、コンペと呼ばれる競争で自分が建築家の方々と競いあうことになるとは、夢にも思っていませんでした。そして、みなさんの知っているように、そのコンペで、このシティで生れた建築が一等賞を取りました。でも、それから、いろいろな方にいろいろなことを言われました。お会いしたことのない方に嫌われたりもしました。私は、建築家の方々は、私が未熟だからまだお話をしてくれないのかなと思っていました。……でも、それから何ヶ月かが経って、私は初めて私のことを嫌っている方と会って、ちゃんとお話をしました。話してみると、本当に知らないことばかりなのでした。建物をつくることが、ときに楽しいだけではないこと、孤独につくる時間があること、行き当たりばったりではなく最初に完成図をつくること、自分のアイデアが汚されないように守ること、マイリスやコメントの数を気にしないこと、批評というものがあること、難しい話をすること、必死に見たことのないものをつくろうとすること、他人とは違うもの、新しいものをつくる競争に人生を賭けていること……。その人と話していて、初めはどうして苦しいほう苦しいほうに進むのか不思議だったり、怖かったりしました。なぜ笑顔でつくらないんだろうと思いました。でも、もしかしたら、その人が見ている世界は、私がまだ見たことのない広い世界なのかもしれない。私もいつかもっと広い世界に飛び立てるのかもしれない。だんだんとそう思うようになったのです。その人と一緒にいて、その人が頑なに自分の決めた建物を一人でつくる姿を毎日見て、私、どこか憧れていたのです。楽しみだったのです。どんな建物ができるのかな、完成したときに、私のなかにどんな気持ちが湧いてくるのかな、って。いろいろ想像しながら完成の日を待っていたのです。
 でも……その人は突然いなくなってしまいました。ある日を境に……ううん、たぶん私のせいで、その人は見慣れた風景のなかに溶けていってしまいました。その日から毎日、最初の設計図からどんどんずれていく建物を眺めました。私はそれでも現場に行って、掃除をしたり、材料を整理したりして待ったのです。でもその人は、他に楽しみを見つけてしまって、もうその現場に戻ってきませんでした。白状するのです。いけないことですが、その時初めて、自分の手で柱を立ててみました。現場のゴミ捨て場から拾ってきた紙くずを広げて、いくつものスケッチを見ながら。何枚ものスケッチを並べていくと、ちょっとずつわかるのです。あぁ、ここでこんなことを考えていたのかな、とか……。それから、えっと……。何の話してるんだろう……。」

 スクランブル交差点、道玄坂や宮益坂へと続く車道、真新しい渋谷駅、地下鉄出口の屋根の上、夢の詰まった無数の建設現場。いつもと様子の違うカンナを黙って見守っていた数万の匠たちは、固唾を飲んで次の言葉を待った。一方、F川は群衆の中で凍りついていた。今、大勢の人々が見つめるステージ上のカンナが、他でもない自分のことを話している。それも、自分が全く気づかないうちに近づいて遠ざかった何かについて話している。どうしてカンナはこんなことを今話すのだろう。自分がここにいることを知って話しているのか、いないと思って話しているのか、どっちなんだろう。F川は、なぜか続きを聞きたくなかった。聞いてしまえば何かがはっきりと終わり、同時に始まってしまいそうだったからだ。その時、カンナの目はキラキラと輝いていた。泣きそうなのか、感極まっているのか、夢や希望に打ち震えているのか、それとも悔しいのか寂しいのか、すべての季節が一度に来たような表情をしていた。

「あの、怒らないで聞いて欲しいのですが……私、その人に恋をしていたのです。その人と、その人の建物に。ごめんなさいなのです……。でも、今はもうその気持ちは消えました。そもそも私が恋なんて、変な話なのです。出過ぎた真似なのです。そう……。だけど、この数ヶ月で、私はいろんなことを思うようになりました。欲張りになりました。私……もっとたくさん建物をつくりたい。見たことのないものをつくってみたい。建築や建築家のことをもっと知りたい。いろいろな世界をもっと見たい。いろいろな人とお話したり、雑誌に載ったり、批評家の方に褒められたり、してみたい。
 ……そして、それでもやっぱり、私は一人で難しい顔をするよりも、みんなと笑っていたい。こんな私ですが、これからもずっとずっと、よろしくね――。」

 カンナがそう言い終えると、ポツポツと始まった拍手が段々と大きくなり、しまいには笑い声と歓声がポチョムキン・シティの青空を埋めた。カンナの突然の告白は、ようするに失恋話だった。数万人の匠たちはホッと胸を撫で下ろし、すぐに「一途だが恋愛下手な番匠カンナ」というキャラ設定が追加された。ざわついたスクランブル交差点の真ん中で、F川だけが呆然と立ち尽くしたまま、ステージを降りていくカンナの横顔を遠くから見つめていた。

 その夜は、年越しのカウントダウン、新年の花火に初詣といつまでも宴は続いた。しかし、そこにF川の姿はなかった。置いてけぼりを食らった太吉も初めこそF川を心配したが、すぐに諦めて別の仲間と夜の渋谷に繰り出していった。終わりなき遊びの世界は、誰のものともわからない笑い声で満たされていた。その日からしばらく、F川はシティに戻ってこなかった。
 一ヶ月後、F川は例の建築雑誌に巻頭論文を寄せた。論文は、カンナ作品に関する初の本格的な建築批評だった。その語り口はF川らしい中立かつドライなものだったが、どことなく希望に満ちた明るさがあった。F川は再びカンナを巡る議論の中心に立ったが、ネット上の議論には姿を現さなかった。皆不思議に思ったが、その時F川は一ヶ月ぶりの渋谷にいた。F川は新しく入った仕事の相談をしに来たのだ。少し朽ちかかった『あり得たかもしれないQ-FRONT』に辿り着くと、恥ずかしそうに照れ笑いするカンナが待っていた。

「カンナ、仕事だよ。」
「……はい!」

 それから二人は大きな図面を広げ、まだ誰も見たことのない建築について何時間も語り合った。おもちゃ箱のように混乱した渋谷で、知らない笑い声に包まれながら。


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NPC-Loos ――早さと遅さの亀裂から

私が作った室内がまったく写真うつりが悪いというのは、私が最も誇りとするところである。
――アドルフ・ロース

 1870年生まれの建築家ロースのいいところは、建築史においてモダニズム世代の少し上に鎮座しているところだ。神経質そうなチョビ髭面、次々に放たれる悪態、ヒトラーを彷彿とさせる名前。著書『装飾と犯罪』で有名なロースは、全ての建築的騒乱の上空、宙に浮いた場所からうわついた建築家たちを叱責する。お前が作っているのは薄っぺらな流行、ただの化粧ではないのか。装飾で飾り立てる建築家なんか死んじゃえ!

 ロースと私は、ウィーン市中心にあるアメリカンバーの突き当りにあるいつものテーブルで建築について話していた。話すとは言っても、ロースが何かについて怒り私がそれを聞くというスタイルだ。その日、若手建築家について苦言を並べていたロースの隣で、私はカバンに忍ばせてきたあるものを探していた。音楽プレーヤーである。おかしな話だが、私は怒りに震えるロースを普段から見ていて、いつかアニソンを聴かせてみようと思っていたのだ。過剰で虚飾に満ちた、騒々しい足し算の音楽、アニメソング。それも往年のプログレや実験音楽のような高尚さとは無縁の、とびっきり低俗で商業主義的なものを集めてある。装飾は犯罪だと言い切る彼がどんな反応をするのか楽しみだ。会話の途切れるのを待って、私は音楽プレーヤーを渡した。シャカシャカと音漏れするイヤホンの横に櫛目の通った鬢髪。ロースは未知の音楽を聴きながら黙りこみ、しばらくして眉間に鋭い皺を寄せた。ああ、だめか。やっぱりこういうのは嫌いなのだ。新刊はきっと『萌豚と犯罪』だ。私は言い訳を考えていたが、予想を裏切ってロースはこう答えた。

「これ何処で聴けるの?」
「……え。どこって?」私は驚いて聞き返す。
「ふつう人は何処でこの曲に出会うの?」
「あぁ、それならテレビのアニメ番組だよ。番組のオープニングやエンディングの曲。」
「なるほど。それでわかった。劇の幕開けはおそらく1分30秒、どう?合ってる?」
「え、そうだけど。……それより感想は?」
「ハイテンション過ぎてちょっとついていけないな。これがあれか、萌えというやつなのか。でもまぁ、それがテレビという大衆向け媒体で、それも短時間の発表しか許されていないのであれば、落ち着きなくなるのも仕方ない。90秒で人を惹きつけながら起承転結を盛り込むんだから、過剰になるに決まってるさ。」

 はあ。また言い出した。それからロースはいつものようにマス・メディアについて語り始めた。マス・カルチャーにおいて、作品は作者個人の意志とは別に、それが流通するメディアによってもデザインされるということ。それをロースは、ウィーン分離派やファッションを例にあげてひとしきり説明した。この話を聞くのはすでに三度目だ。それから、自分の建築作品を「写真うつりが悪いことが誇り」と言ったのは、建築において写真というメディアが犯している罪、つまり「写真というものが建築をデザインし始めること」について告発するためだったという。人はほとんどの建築作品を写真という形で見る。実物が遠くにあったり個人住宅だったら見ることはできないからだ。しかしそれが逆転して、よい写真を撮るために建築をつくるという行為が横行しているという。だが、残念ながら人は写真ほど純粋なものの中に住むことができない。家主にとっては思い入れのある家具も、ダサければ写真から排除される。家主自身も不細工であれば、同様に写真から追い出されてしまうのだ。

「ただでさえ余計なことしかしない建築家が写真と組んだら悪の最強タッグだよ。僕は自分の建築を写真にして雑誌には載せない。実物を見て貰いたいから見学会を自分で企画するんだ。」
「へぇ……でも写真うつりが悪いからいいって、もうちょっと言い方を変えたほうがいいよ。ヒガミだと思われたら損だよ。」
「やっぱり?それみんなに言われる……。」


 一週間後、ロースはなぜかやたらにアニソンに詳しくなっていた。ロースいわく、神前暁の『もってけ!セーラーふく』やTom-H@ckによる『けいおん!』シリーズ主題歌、ヒャダイン名義でも有名な前山田健一の楽曲などは足し算デザインの究極であり、音楽界広しといえども似たジャンルのない独特の進化を遂げているという。それらは90秒という制約をむしろ積極的に活用して、大胆なまでに過剰さを追求している、とロースは分析する。饒舌に語るだけあってどうやら気に入っているようなのだが、ロースが強調するのは、「聴かれる時間」という作曲家の外にある現実が、結果として楽曲の骨格を決定してしまっている点である。アニソンの流れるアニメ番組はOP1分30秒、本編22分、ED1分30秒、CM5分で成り立っている。よって、OPやEDで用いられる音楽は1分30秒きっかりで1コーラスを終えないといけない。この1分30秒という時間の中に、イントロ・Aメロ・Bメロ・サビを収め、他に負けないインパクトや飽きさせない小技を押し込んでいく。作曲するにあたって決めるべき多くのことが、この「聴かれる時間」によって決まっているというのだ。だがこれはアニソンに限らず、商業音楽であればどれも似たような制約を受ける。カラオケで何度も歌われる音楽が6分超ということは考えにくいし、長いイントロや間奏もだめだ。さらにロースは続ける。音楽界も建築界に似て数多くの楽曲コンペによって成り立っているが、コンペ要項は時間的制約に限らないという。「会いたい、会いたい」のように単純で繰り返す歌詞、すぐに覚えられるメロディ、BPMはミドル~アップテンポ、HAPPY&ENERGYな感じ、絢香のあの曲に似たイメージ等々、注文は商業音楽として流通しやすい形式に落としこむことを要求する……。いったいどこでこんな知識を得てくるのかとすっかり感心している私にむかって、作曲家は大変だ、自分は建築家でよかったとロースは言う。音楽とは違って、建築は、建物それ自体は一人に届けばいいのだ。ジョセフィン・ベーカーの家は彼女が楽しめればいい。だが、油断はできない。次の仕事を得るために、雑誌やインターネットに取り上げられるために、建築家たちは巻頭を飾るべき写真選びに必死なのだ、とロースは言う。

「なるほどねえ。でもさ。」
「何?」
「アニソンに詳しくなってもモテないよ。」
「まじか。」

 ロースはモラヴィアのブルノ生れで大学はドレスデンだったが、9歳で父親をなくしたこともあり、23歳からの3年間をアメリカの叔父のもとで暮らしている。幸運にも彼は、1893年のシカゴ万博で異彩を放っていた建築家、ルイス・サリヴァンを知る。サリヴァンはフランク・ロイド・ライトの師であり、「形式は機能に従う(Form ever follows function.)」という名言を残したモダニズムの父だ。人間、生涯にわたって追求するテーマには二十代のうちに出会うと言われているが、ロースも多感な時期にアメリカを知り、シカゴの鉄骨建築を知り、サリヴァンを知ったことで、その人生の多くの部分が決まったのだろう。気性の激しいロースが「装飾は犯罪である」と言うとき、その背後に「形式は機能に従う」という言葉がうっすら透けて見える。


* * *


 別の日、私はロースとMQのクンストハレで開催中の『現代日本人作家による作品展』に出かけていた。会場には、石上純也の<四角いふうせん>と<ガラスのドーム>、鈴木康広の<椅子の反映>や<ファスナーの船>ほか数点、トラフの<NIKE 1LOVE>や<空気の器>といった、日本の若い建築家や若いアーティストの作品が展示されていた。私は日本人なのでどれも知っていたが、ロースは今回初めて知ったようだった。だからなのか、会場を出た時にはすでに、ロースは何か話したそうな顔をしていた。

「面白かった。日本人は思ったよりウィットに富んでいるね。」
「それだけ?どれも装飾や化粧などとは無縁の、最低限の要素に最低限の操作を加えただけの、美しい引き算のデザインでしょ。きみの好きな。」
「引き算じゃなくて2だと思った。」
「……に?」
「全て2だよ。四角い、風船。ファスナーの、船。空気の、器。どれも結びつくはずのない1と1が、ハッとするような純度で結合している。だから2だ。」
「そっか、椅子の反映も椅子の影と音符、NIKE1LOVEも靴と水槽の魚。どれも2だ。気づかなかった。」
「でしょ。天才じゃね?」
「別に。」
「そうかい。ところで、僕たちは何分間会場にいた?」
「うーん、1時間くらいかな。」
「それなら、出展作品が30だから一作品平均2分。それが僕たちが一つの作品を見た時間だ。」
「意外と短いな。アニソンと変わらない。」

 ロースはなぜか本を書くと口が悪くなり、そのせいで人付き合いのトラブルをよく起すのだが、本当は気弱で優しいやつである。でも時々鋭いことを言うから話していて楽しい。そのロースにとって、アニソンや現代アートは背後に同じメディアの問題を抱えているらしい。たとえば今回の「2」だが、2は単純明快さにおいて比類ない力を発揮するという。それは広告デザイン的である。なぜなら、2は「時間のない」見る人に瞬時に事態を理解させることができるからだ。人々の目を数秒間惹きつけるだけの視覚的インパクトと、その数秒内で作品と人とのコミュニケーションを完了させることのできる単純さ。ここでの2は対立ではなく、融合である。それが誰も気づかなかった融合である場合、またはあり得るはずのない融合であった場合、人々は作品が言わんとする全てを私は理解しているという自信と安心感に満ちながら、尚且つ新鮮な驚きを楽しむことができる。もちろん本当は長い時間作品に対峙して、そこに時間的な変化や多重に編み込まれた意味を見つけて欲しいと作家は思っているだろう。でも彼らは、意識的にか無意識的にか広告デザイン的手法を用い、作品への導入の敷居をぐっと下げる。広告は、テレビCMで15秒、街のポスターで目に入る1秒という世界で争っているから、伝えたいことを簡潔に見せるのが基本だ。アートもまた、うつろいやすい人びとの興味を一瞬にして掴む技術が重要になってきている。

「例えば今の展覧会に僕のミュラー邸のリビングルームの写真が出展されてたらどう?」
「無視する。」
「いやちょっとは見てよ。」
「ちょっと見て、無視する。」
「それ逆につらいよ。でもさ、伝えたいことがぱっと伝わらないものはこういう形式の展覧会には向いていないんだ。とくに作品と呼ばれるものが大量に流通するようになってから、人はアート作品すらもテレビ番組のようにザッピングするからね。一作品に割く時間は減るし、そりゃ複雑な僕の建築は無視されるよね。建築は複雑なほうがいいのにね。」
「“私が作った建築がまったく瞬時に理解できないというのは、私が最も誇りとするところである”とでも言いたげだね。またヒガミ?」
「ヒガミじゃなくて、関係ないと思わない?アート作品として面白いことと、写真としていいことと、建築が素晴らしいこと。それはどれも否定すべきじゃないけど、単純に、関係ないんだよ。建築は建築。」
「ベアトリス・コロミーナ女史が、ル・コルビュジエはそれがうまかった。建築をどのようにメディアの中で見せていくか心得ていた。でもロース、君はそれが下手で、というかそれが現実なのに見ないようにしている、と言っていたよ。」
「ベアト……リアリズム気取りの女め。現実と真実は別だよ。」

 確かにロースにも一理ある。過剰な足し算で成り立つアニソンも、2で成り立つアートやインスタレーションも、根本は同じザッピング問題を抱えている。例えば、日に1万もの作品が投下される動画サイトにおいて、視聴者は「どれが見るに値するか」ということを、他人の評価プラスはじめの数十秒程度で決める。その数十秒に「これから起こるであろう魅力」を込められない動画はザッピングの力に押し流されてしまうのだ。現代において人類は、おそらくかつてないほどの時間を「作品を見ること」に割いている。そんな作品過多の世界では、一瞬が作品の価値を決めてしまう。たとえば、私が怠惰なだけかもしれないが、現代アートの展覧会に行って「映像作品(上映時間:45分)」と書かれた作品に出会うと、私は20秒くらい見て華麗にスルーしてしまう。何を急いでるのかよくわからないが、私はなんとなく急いでいる。現代はそういう時間感覚で動いているので、作品の方は、その込め方が足し算的であるか引き算的であるかという違いこそあれ、一瞥の中に全てを表現しないと厳しいという事態に追いやられている。そういえば昔、パリのどこかでソフィ・カルの展覧会を見たが、よくわからない手紙やありきたりな写真や小物が大量に置かれているだけで意味もわからず、つまらないのですぐに出てしまったことがある。

「それはきみがフランス語を読めないだけでしょ。」
「うう……。」
 ロースは私のソフィ・カル話を一蹴して、話を戻す。
「でもさ、本当に、建築は瞬時にわからないほうがいいんだよ。ああいう展覧会や、写真として良くないほうがいいんだよ。」
「ほら、やっぱりヒガミだ。」
「くぅ!」
「なんでもメディア論に持ち込んだらおしまいだよ。どんなジャンルにだって制約はある。それを前提としてみんな頑張っているんだし。それに制約があるから面白くなるんじゃない?」
「学校の先生みたいなことを言うね。じゃあこちらも譲歩する。百歩譲って美術館とか役所とか一時的にしか行かない建物はいいとしても、住宅は瞬時にわかるような2のデザインじゃ駄目だ。」
「まず瞬時にわかるってどういうこと?例えば妹島和世の<梅林の家>は瞬時にわかる?」
「わかる。もちろんいろんな場所から思いもしないいろんな見え方がするだろうけど、建築家が決めたルールが一個で、それが貫徹されていれば、それは1でしかない。そんなのは一日住めば誰でも完全に理解できちゃうんだよ。でも住宅は、それと付き合う時間が長い。50年同じ家に住むこともありうる。そんな建物が、瞬時に作者の意図がわかるものだったり、一日でだいたい全ての体験をし終えることができるものであっていいわけがないよ。」
「ふつうの住宅メーカーが作ったふつうの家は?」
「住む人が自由でいられるという意味では分離派の連中よりも妹島よりもずっといい。」
「頭固くない?」

 なんだか喧嘩になってきた。でも、私も口では煽っているが、煽ったほうがいい答えが返ってくるからそうしているのだ。ロースはメディア受けのいい建築をバカにしているが、文章となれば彼の書くものこそメディア受けがいいのだ。そう、ロースは頭がいい。私は議論に応戦しながら彼の言ったことを考えてみる。たとえば、「一生のうちで10分しか関わりを持たない何か」を楽しむのに必要な驚き数を<1びっくり>としよう。すると、一泊二日利用の旅館は<288びっくり>、月に3回各6時間利用する図書館は年間<1296びっくり>、50年住む家は<262万8000びっくり>が必要になる。一方で2つの要素がつくりだせるびっくりを1として組合せ数列で考えると、3つだと3、4つだと6となる。この計算だと、旅館が必要な要素は約25個、図書館が必要な要素は約51個、住宅が必要な要素は約2293個ということになる。さらに面積あたりで割れば、住宅が人間に供給し続けるべきびっくり数は他を圧倒することになる。私は数学が好きなので、ロースと議論しながらそんな意味のよくわからない暗算をしていた。ロースはまだ喋っている。

「人付き合いでも同じで、何を秘めているかわからない謎があったほうが、友達だって異性だって長く面白く付き合えるでしょ。でも、大量の人間をザッピングしなきゃいけない企業の採用担当にとっては、履歴書という一瞥に価値を込められる人を信頼せざるをえない。つきあう時間は、その長さによって作品に相応のものを要求するんだよ。」


* * *


 ウィリアム・メレル・ヴォーリズという、建築界ではたいした評価を得ていない建築家がいる。ヴォーリズの建築は折衷的で、古臭い様式に囚われていて、新しいものを作ろうという意志を感じにくいのだ。しかし、一方で建築界の外に出てみると、ヴォーリズはとても評価が高い。中でも最近で一番評価しているのは、日本の現代思想を牽引する内田樹である。内田は、ヴォーリズの設計による<神戸女学院大学校舎>が、薄暗く、目的地にたどり着くために複数の経路があり、隠し階段があり、唐突に開ける明るい部屋があることをもって素晴らしい建築だという。それは建築家が建築を評価する基準にはならないが、内田はそこに学びの構造との一致を見ている。学ぶための校舎に、学びにおいて出会うのと同じ数だけのびっくりが隠されていて、生徒ひとりひとりがそれらと違った出会い方をするように仕向けられているというのだ。謎に満ち溢れたヴォーリズ建築は、多感な若者たちが長く付き合う建物として正しいというのである。もう一つ、ヴォーリズ建築でさらに有名なのが<豊郷小学校>である。こちらはアニメ『けいおん!』の舞台であり、その筋の方々にとっては聖地である。この学校建築は、階段の手すりにウサギとカメの童話をモチーフにした彫像が乗っかっていることで有名だ。『けいおん!』にトンちゃんと呼ばれるカメのキャラクターが出てくるのもこのせいである。
 ヴォーリズが建築界であまり評価されないのは、二つの理由による。一つは「古い様式建築を無批判に援用すること」、もう一つはウサギとカメのような「直喩を平気でやること」だ。この二つ、実はどちらも同じことで、「建築家が、自分自身で考えたものではないものを利用している」ということだ。建築家は、自らの思考を、意志を建物の隅々まで行き渡らせなければならない。ヴォーリズはそれを怠っているのではないか。だが、ロースの考えに味方すると、建築家の意志が貫徹されることのほうが危険だということになる。

「正直、一個の住宅を任されたとしても、キッチンはキッチン屋さんがやればいいし、トイレはトイレ屋さんがやればいいと思うよ。僕には居間とか客間を頼んでくれればいい。」
「それは嘘でしょ。自分の作品で他人に好き勝手にやられたら嫌でしょさすがに。」
「いや、問題ないよ。むしろそのほうがいい。家中を一人の建築家が決めた様式や装飾で覆ってしまうのだけはダメだ。あれは住む人間に対する侮辱だよ。住む人の十年とか数十年のあり得たはずの余白を、建築家は丁寧に自己表現で埋めていってしまうんだ。」
「ハル・フォスターもきみへのオマージュで、100年後は“様式”や“装飾”のかわりに“デザイン”が全てを覆い尽くしていると言ってた。名前が変わっただけで一緒だってね。とはいえ、やっぱり自分でキッチンもトイレもやりたいというのが本音じゃないの?建築家なら。」
「まぁ……そ、そうかな。」
「ほらやっぱり。でも、全部君がつくるとなったら、どうやって君の意志が建物の隅々まで行き渡るのを防ぐんだい?つくるためには細部までデザインするんだから、意志が働くのは止められないよ。」
「それは、素材だね。素材の意志を僕の意志に拮抗させるんだよ。木も大理石も、それを装飾としてではなくきちんと使えば、建築家のコントロールを越えて素材が語りかけてくるような何かが生まれる。」
「うーん、わかるような気もするけど、でもその素材をうんぬんするかわりに、平面とかヴォリュームをいじって建築家の思いもよらない複雑で豊かな風景を生み出そう、というのが現代建築でしょ。そこに差はない。」
「ある!」
「なんで断言できるんだよ。つーかロースこそ近代建築の系譜の最初にいるわけで、装飾をやめてヴォリュームの構成で建築をつくり始めたのは君ではなかったの?建築を簡素にしたのも。」
「装飾はやめたけど素材を使わないなんていつ言った?それに簡素と複雑は両立する!ほんとうの複雑さは、真正さの内にあるのだ。」
「ぐぬぬ……」
「うぬぅ……」

 こんな具合で議論が続き夕飯の時間になると、私たちはカフェを出て街に繰り出す。ここはオーストリアの首都ウィーン。だが一体、ウィーンで人はどんなレストランに入って何を食べるのだろう。日常風景を知りたいと思っても、仮想都市ウィーンはディテールが欠落している。残念ながら私自身も本当のウィーンを訪れたことがない。ロースと私は肩を並べて、書割のファサードが連なるポチョムキン・シティを歩く。

「話の角度を少しだけ変えよう。」私は提案する。「建築はメディアを通してしか大多数の人に見てもらうことができない。それを前提として、ロース、きみは例えばミュラー邸やトリスタン・ツァラ邸をどう見せる。」
「本当は質のわかる少人数にだけ実物を見てもらえればいいから、ホームパーティが一番だね。でも君の質問に乗っかってみよう。写真は一つの手段としてはありだけど、むしろ建築のメディアが写真しかないことが問題だと思う。活動写真はどうだろう?」
「映画のことね。どんな?」
「うーん、家主の視点で、一日を撮って見せる。」
「うわーそれツマンネ。」
「じゃあ定点カメラで、居間に落ちる窓からの光を一日撮って、早送り。きっと写真よりは空気感が伝わるよ。」
「渋すぎる。却下。」
「じゃあ、ジョセフィンと私とでチャールストンを踊る。」
「建築どこいったんだよ。開始10秒で他の作品にザッピングするよ。そうだな……たとえば、ヘルツォーク&ド・ムーロンはCGアニメーションでビルが空から降ってくる映像をつくってたな。あとはBIGが、竣工した階段状の巨大集合住宅にスタントマンを二人呼んで縦横無尽に走らせてた。意味ないけど面白かったよ。」
「うわーチャラいよそれ。コマーシャルな臭いぷんぷんするよ。」
「面白いものが勝つ。」
「面白くないよそんなの。」


 ロースは1933年に無一文で死んだ。ミュラー邸を建ててから3年後の62歳だった。生涯に三度20代女性と結婚し、離婚した。48歳で癌を患い、50歳にはほとんど耳が聴こえなくなり、死の5年前にはロリコン疑惑さえ取り沙汰された。ブルジョワ界で活躍したインテリ建築家の、寂しい最期である。

「ロース、きみは、ほんとうのロースのことを知ってる?」
「知らない。というか、知らなくていい。」
「友だちとして一つ忠告。ル・コルビュジエみたいに少しはうまくやりなよ。」


* * *


 NPCロース(ノン・プレイヤー・キャラクター・ロース)は、建築好きのハッカーがポチョムキン・シティに放った10人の建築家MOBの一人である。彼らは各都市に住み着いていて、死んでしまった建築家の思考パターンを踏襲した会話プログラムに従って話をする。彼らはカンナ経由でシティにアクセスした場合にのみ現われる。他のプレイヤーの目撃情報によれば、パリにはNPCコル、ベルリンにはNPCミース、東京にはNPCタンゲがほっつき歩いているらしい。広大なシティで彼らを見つけるのは非常に困難だが、一度出会って友達申請すれば会話相手になってくれる。私は何気なくウィーンを散歩していた時に偶然NPCロースを発見したのだ。嬉しかった。初めて見つけた建築家MOBだった。さらに、あるプレイヤーと会話中の建築家MOBは他のプレイヤーから姿が見えないようになっているため、彼らを見つけた人は一時的にであれ巨匠を独占できるのだ。私はいつか10人全員をコンプリートし、気弱なNPCコルや、笑いを取ろうとするNPCミースや、国家を背負わないNPCタンゲといった、誰も見たことのない巨匠たちの姿を見てみたい。メディアに現われる建築家はいつもカッコつけていて鼻につくが、本当に出会って話せばみんな何かを真剣に悩んでいるはずで、その姿を見ればいやでも好きになる。凡百の建築家は知らないが巨匠というのはみな真面目だ。それが知れるというだけでもカンナにログインする価値があると思う。

「どうだい?これが僕の自慢のミュラー邸だよ。」

 建築家MOBを作ったハッカーは物事をよくわかっている。建築家MOBと会話状態にあるプレイヤーは、その建築家の名作にジャンプできるのだ。私たちは瞬時にウィーンからプラハに移動し、小じんまりとしたトラバーチンのポーチに立っていた。
 玄関をくぐって、まず迎えたのは多色彩の廊下だった。緑色の大判タイル壁、テラコッタの床、廻り縁と巾木の赤いライン、真紅のラジエーター。予想もしなかった赤と緑のトンネルの先には、窓からの光を受けた白いエントランスホールが見える。光を求めて進んでいくと、新しい色に出会う。深青色の天井だ。床は引き続きテラコッタの赤土色、壁はロースお得意の四角形モチーフによる白塗りの木パネル。天井の深青色と合わせて渋みの効いたトリコロールカラーである。だが、この完璧な色彩のなかで最も美しいのは、振り返ってクロークルームのナチュラルな木の色を見たときだった。素地がかえってビビッドに見えるのは面白い。突き当りの階段を登ると有名なリビングルームに着く。ここからはメザニンのダイニングルーム、婦人用のプライベートルーム、奥の螺旋階段へとスキップフロアで繋がっている。私たちはまず天井高3.8mのリビングルームに入った。見渡せば、壁や柱を覆うモスグリーンのチポリーノ・マーブルと臙脂色のカーペットが、どちらも細かな柄によって部屋に心地よいノイズを与えている。淡めの色彩にまとまめられた部屋から中二階を仰げば、ダイニングルームの濃厚なマホガニーの天井が見える。濃淡の対比が巧みだ。一方、家具で一際目立つのは丸みを帯びたヴェルヴェットの一対のアームチェアである。およそ考えられる色の組み合わせとしてこれ以上ない美しい対比をなしている、オレンジと透き通るような藤色。そこから先ほど見上げたダイニングルームへは階段七段。リビングの半分ほどの面積のこの部屋には、直径2mのマホガニーのテーブルが中心にすえられ、壁二面はリビングと上階への階段に向って開け放たれている。窓のないもう一面の壁には、二つのソリッドな棚に挟まれて閃長岩のサイドボード、その上にはチェコの画家Jan Preislerの油絵5点が掲げられている。床はヘリンボーン貼りのフローリング、マホガニーの天井はやはり格子のモチーフである。ダイニングの奥のキッチンは、また驚きを与えてくれる。今度は一転して白いタイル壁のモダニズム風。ロースいわくアメリカの機能的なキッチンを目指したという。鮮やかな黄色に塗られた軟木のキッチン家具は、作業台の天板と椅子の座面のみ深い紫。だがこの白を基調とした黄色と紫の補色空間も、木口に現れる素地の色が緩衝帯となっているため上品さを失わない。加えて目に飛び込んでくるのは、あえて赤く塗ったレンジフードの骨組みである。ぼてっとした家具の足に対して唐突に細い線が強調されている。一方、同じフロアの反対側、リビングから十段の場所には婦人用のプライベートルームがある。床はグリーンのカーペット、レモンウッドの美しい柾目を垂直に用いた壁と棚。同材ながら貼り方を45度振ることでさりげなく際立たせたドア。ここは床面が二つのレベルに分かれていて、さらに三段上がった上階は婦人たちの午後のお茶会用とのことだ。狭いニッチに小じんまりしたU字形のソファがすっぽり収まって親密な空気を醸し出している。下階は休憩用か。部屋を通り抜けて中央の階段室に出る。右に折れて四段下がれば今度は紳士用の図書室である。ここは深い色のマホガニーと、対面するレザー張りソファ二台による焦げ茶色の小部屋。シンメトリー配置も手伝って物々しい雰囲気である。そんな中でやはりロースが上手いのは、中央の暖炉をデルフト陶器タイルの白と青で縁取ったことだ。唐突に爽やかだ。さらに暖炉の上には、九枚の正方形鏡がわずかに金色に輝いている……。
 どこまでも長くなってしまうので、この辺でやめておこう。ロースの色使いと素材使いの重厚かつお茶目なセンスは、枚挙にいとまがない。私は屋上への階段を登りながら、ロースに感想を伝えた。

「いやぁ、痺れたね。椅子が。」
「椅子かよ!」
「いやいいよ、あのアームチェア、ぼってりとしてて愛らしかったなぁ。あとさ、色のセンスあるねキミ。」
「どんだけ上からなんだよ。家具とか色を褒めてくれるのも嬉しいんだけど、建築についてはどう?」
「素晴らしいよ、99点。」
「なんか1点足りてないんですけど。」
「あの白いファサードについてる窓の鉄格子、一部だけ中国風のパターンになってるけど、あれどう見ても装飾だよね?」
「いや、あれは鉄を使った鉄らしい表現だから、その……。」
「……ロース。」
「な、なんだい?」
「装飾は?」
「……犯罪。」

 折りたたまれた腸のような、移り変わっていく舞台のように濃厚な室内を通り抜けてきた私たちは、ようやく屋上テラスに到着した。プラハ城を切り取るはずのピクチャーウィンドウは、隣家の植木のせいで絵が一部欠けてしまっている。私はこの建築がロース一人から生れたものなのかと考え、ため息をついた。ここには、忙しい人々のためのアートはひとつもなかった。どの一部分も、早さではなく遅さのためにあった。複雑さが住む人のための余白をつくっていた。だが一方で、メディアが求めるフレッシュな驚きやスピーディな共感は、ちっとも与えられそうになかった。

「確かに、写真撮るの忘れてた。」
 私がそう伝えると、ロースは珍しく笑った。「大丈夫、何度でも来れるさ。僕らはもう友達だからね。」

 私たちは欄干に身を乗り出して風を浴びた。モルダウ川両岸に広がるプラハ市街を一望に見渡すと、赤い屋根の連なりの先に点滅する地平線が見えた。


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ナマモノナマエ ――畏怖と安心の亀裂から

 雲間から未来の都市と思われるビルの重なりが見える。黄昏に染まったビル群が互いに深い影を投げかけ合い、都市を暗闇に沈めている。貨物やガラクタが漂う空中から設備機械に覆われた屋上を見下ろすカメラの視点。切り替わって、黄色い霧が立ち込める都市の遠景を捉えた望遠レンズが、一際汚れたアパートにズームしはじめる。次の瞬間、勢い良く、ひしめき合う建物の谷間から空へと、金色の鉱石としか言いようのない何かが膨張しはじめた。音を立ててみるみるうちに成長する異形の多面体が、都市のあらゆる隙間から爆炎のように立ち上がり、身を捩りながら黄ばんだ空を埋め尽くす。
 唐突に場面が切り替わり、床面に「PLACELESS」と書かれた真っ白なタイル貼りの一室で、痩せた黒い犬が歩きまわっている。壁も床も天井もひとつづきになったカプセル状の部屋の隅で、60cm角ほどの純白の正方形タイルの一枚から、白濁した水銀のような液体が立ち上がり蠢いている。部屋の別の一角、垂直に揺らめく白いカーテンの向こうには、部分表示されたターナーの幻想的な絵画が生れたばかりの銀河のようにまどろっこしくうねっている。と、そこへ金髪の女性が現れ宙空のタッチスクリーンを操作する。部屋は強制的に無機質な白に戻され、何事も無かったかのように平静を取り戻す。彼女はリラックスしたいようだ。続けて彼女がハイドパークのテンプレートを選択すると、部屋にある数百の白いタイルが一斉に一方向に向ってスライドし、10mm程あった目地がみるみるうちに細くなって消えた。タイルは段々と光り輝く公園の情景になりかわっていくが、タイルごとのロード時間の差によって不思議な光景がうまれる。すでにシームレスな午後のハイドパークが彼女と黒い犬をすっぽりと包み込んでいたが、いくつかのタイルは中空に点々とかさぶたのように残ったまま液状化と点滅を繰り返している。足元を見れば、芝生がいま種子から発芽したかのようにみずみずしく揺れている。彼女は――部屋に居ながらにして、同時に――夕暮れ前の公園にいた。

 建築アニメーションスタジオ立ち上げメンバーの面々は、記念すべき最初の映像作品のための会議で脱力していた。

「ええと、ゴールデンエイジっていう、ポール・ニ、チョルス?……ニコルスか、の作品。」
「……うむ。」と神妙に頷くイア。つまらなそうにするロヴ。画面を見つめたままのチム。皆の反応を心許なさそうに待つピク。冷めてカピカピになった鍋を囲んで、なんとも言えない空気に投げ出された四人。
「あのさぁ、だから、こういうのはもう十分なわけ。」と、ロヴが口火を切った。
「どうしてこう、建築系のSFはユートピアやディストピアから離れられないのかな。題材はお決まりの過度に情報化された未来社会で、あとはそれを楽観的に描くか悲観的に描くかという選択問題にしかならない。それが美しいのはわかるけど、だから何?いまさらって感じ。」
「2011年のベスト建築アニメーション受賞作品なんだけど……」そう言いながら、ピクはきまり悪そうにしょげた顔をしている。ロヴも言い始めてしまった手前続けざるを得ないといった感じで、次の言葉を探している。映像は終盤、ショッピング中のダウンロードエラーでAR建築が強制シャットダウンされるところに差し掛かっている。
「いいか、三十にもなった俺達がわざわざ集まって映画を作ろうなんて言っているのは、そうとうな覚悟が必要だということだぞ。ティーンが夢を語っているんじゃない。スタジオを構えるにあたっての処女作になるんだ。俺達は見たことのないSFをつくらなきゃならないんだ。」
「……も、もっとポジティブなやつが良かったかな。」ピクが答える。
「ポジティブとかじゃなくて、俺らにとってこういうのは前提みたいなもんだろ。70年代じゃないんだからさぁ。」
 ぽつん、とシンクに捨てられた空き缶に水滴が落ちる。ロヴが続ける。
「例えばさ、『電脳コイル』は俺いいと思うわけ。もちろんそれは超えなきゃならないんだけど、あれはARとか未来の技術をアニミズム的なものと結びつけているのが面白いと思うんだよね。データやバグに妖怪や幽霊を感じる元気な子どもたちって、それまであんまりやられてこなかったテーマだったし。」
 ピクが答える。「あ、こないだ見たアニメで「ヴィクトル・オルタのホテル・タッセル!」って言うと部屋がホログラムでその通りになる、というのを見たよ。そういう感じかなぁ。」
「……だから、そうじゃなくてさ。」

 ロヴ、イア、ピク、チムの四人は、近未来の建築を題材にしたSFを撮ろうとしていた。SFというジャンルは、どこかに「こわさ」がないと成り立たない。だが「こわい」と一言で言っても、ロヴの興味は恐怖ではなく畏怖のほうにあった。お決まりの機械やコンピューターに対する恐怖というのは、それらが人間より進化した生命体として自意識を持ち、完全に人間を超越してしまうのではないかという存在論的な恐怖でしかない。あるいは未来社会において人々はプライバシーを知らず知らずのうちに手放しているのだという警告や、記憶や手仕事を外部化した人間の末路を憂うといったような類の話も、すでに飽き飽きするほど描かれてきた。技術がもたらす危険、過度に情報化された社会の実害からくる恐怖というのは、それを避けねばならないというありきたりな議論とセットである。未来都市や建築が舞台のSFは、映像こそ日々進化するものの、いつも同じ世界ばかりを描いているのである。
 しかし、ロヴは、もう一つ描くべき世界があるのではないかと考えていた。その世界は、誰もが経験しているはずの世界だった。その世界のこわさを描くためには、恐怖ではなく「畏怖」がしっくりきた。畏怖は恐怖とは全く異なり、利害とは無縁の、存在に対する尊敬の念が起こす不可思議な感情である。もっと言えば、畏怖はこわさと同時にある種の心地よさを持つものである。太古の昔、人間が万物に対して感じていた畏怖という感情。子供の頃、自分の周りに広がっていた世界。それがSF設定のなかで描けないか。いや、描かれるべきだとロヴは考えていた。

 未来志向の建築家は、昔からユートピアかディストピアしか描こうとしなかった。とくに1960年代以降、その傾向は一層強まった。

――このような環境は、記号の群が明滅し、ゆれ動いている、とりとめのない場として成立しているといえよう。(…)しかもその記号が、空間のなかで占める位置の順列に決定性がなく、発生の序列も可変的で、不確定である。古典的な意味における可視的秩序は、まったく頼るに値しなくなる。(磯崎新『建築の解体』1975年)

 確かに彼らの建築は、来るべき未来を見事に予見していた。彼らの未来を最もわかりやすく可視化したのは、例えば2009年にサービスを開始したセカイカメラである。セカイカメラで目の前にある世界を覗くと、そこには約40年前に磯崎新が見たままの景色を見ることができた。カメラ越しの現実空間に、エアタグと名づけられたふき出しが宙を漂いかわいらしくゆれるのである。現在このような技術はARと呼ばれている。ARつまり拡張現実(Augmented Reality)は、仮想現実(Virtual Reality)とは違って、この現実上に別のレイヤーを重ね合わせる。よって、近い将来ARが人間の目と同化すれば、人類は平行するもうひとつの現実を手にするのではなく、いくつもの情報レイヤが重なった単一にして複数の現実、いわば「多層現実」を手にすることになるだろう。めいめいが欲しい情報だけをその都度選択し表示する世界。現実はついに人類共通のものであるという幻想を打ち捨て、徹底的に個人的なものとなる。それはユートピアであり、ディストピアである。

――ここで用いるキットは、出窓にとりつけられる箱形の部屋やカンヴァス、テントなど、なんでもとりつけられる自在型の支柱のようなものから、裏庭にぶらさげる装飾スクリーンのようなものも含んでいる。このスクリーンを下げることで、隣のおかみさんの洗濯物をみるかわりに、スイスのアルプスの光景がみえるという具合だ。(ピーター・クック「アドホックス」1972年)

 明るいか、暗いか。違いはそれだけで、建築家のSFはいつも同じ世界を描いてきた。つまらない言葉で言えば、情報社会である。それは、未来の建築がただの装置の集合体になってしまうこと、イノベーションの先端から建築家が退場を余儀なくされることへの恐怖を、他ならぬ彼ら建築家自身が感じていたからなのかもしれない。だが、ロヴにはそれが建築家が描くべき未来には見えなかった。

 チムはさっきから積み木で遊んでいる。彼は議論なんかそっちのけで、熱心にピラミッドをつくっていた。

「畏怖というものをテーマにしたい。」とロヴは言った。

 ふとした拍子にチムの指先が別のブロックに触れ、ピラミッドが一部崩れ落ちた。チムは小さく呻き声を上げて、またすぐに黙って修復していく。

「SFが描いてきた情報社会の恐怖はもう飽き飽きだ。誰もが子供のころに見た、あのこわくて豊かな世界の広がりを、未来都市を舞台に描きたいんだ。」
「ロヴ、そろそろビジュアルの話をしようか。」イアが口を挟む。「言いたいことはよくわかる。でもそれは映像としてどう表現されるんだい?主人公はどんなやつで、どんな建築に住んでいるんだい?……わざわざSFを撮る以上、それはかつてみたことのない圧倒的な視覚的インパクトがない限りやる意味が無い。」
 ロヴは、わからないけど、と前置きをしつつ答えた。
「……例えば液晶スクリーンに、例えばホログラムに、例えば巨大サーバーに、例えば目に見えない情報の濁流にも畏怖する、そんな人間たちの未来世界を描きたいんだ。」


* * *


 この世界の種明かしをしよう。

1)
我々の生きている世界はすべて、<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>という二つの世界でできている。この二つの世界は、同じものの表裏をなしている。同じ景色が、人によって<ナマモノの世界>に見えたり、<ナマエの世界>に見えたりするのである。例えば一個のトマトがあったとすれば、それはナマモノとしてのトマトと、ナマエとしてのトマトという二重のあり方でこの世に存在している。

2)
<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>は表裏一体だが、その関係は対等ではない。一般的に人間も人間集団も、成熟するにつれ、つまりコドモからオトナになるにつれ<ナマエの世界>で生きるようになる。トマトをナマエとして捉えるようになる。

3)
ナマモノからナマエへは、逆の場合よりも容易に移行する。というのも、ナマモノは簡単に「名づけ」によってナマエに変化するからである。名づけを行うのは人間自身であり、生存上の必要に応じて行われる。ナマモノをナマエに変えようというインセンティブとその結果起こる現象をまとめて「情報化」と呼ぶ。これは、ナマモノがナマエに変化する際にその情報量が著しく圧縮されることに由来する。

4)
ナマモノとナマエの本質的な違いは、ナマモノが「その場で食べる」ためにあるのに対して、ナマエは「誰かに伝える」ためにあるという点にある。ナマモノの価値はその瞬間に自ら経験することにあり、ナマエの価値は誰かと交換することにある。人間は、誰かと何かを交換したいという欲望あるいは必要に従って、ナマエを必要とするのである。よって、ナマエは「名前」に限らず、交換可能な形に変換されたすべてのものを指している。

5)
ナマモノの経験は通常、五感の区別なく全的に体験される。一方のナマエは、それを受信する仕方についても明確である。ナマエは、交換においての情報のロスを避けるため、それが何であるか、どのように扱われるべきかというメタ情報を含んでいる。

6)
ナマモノの経験は、それが経験者にとって未知の情報を含んでいる場合、「畏怖」の感情を引き起こす。ナマエの交換においては、それが交換者間にとって未知の情報を含んでいる場合、「恐怖」の感情を引き起こす。ナマエの交換において情報が不正確であることはすなわち危機として認知されるためである。

 この<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>という二つの世界をより直感的に理解するためには、<ナマエの世界>であるコンピュータについて考えればよい。まず、コンピュータの中にナマエのないファイルは一つとしてない。また、それらはどのように扱われるべきかという情報、つまりファイル形式を表す拡張子をナマエの一部に持っている。また、それらのファイルを作り出すのは人間である。人間は、例えば自然の景色を、例えばレストランで食べた料理を、画像ファイルとして保存する。つまり、名づける。データとなった景色や料理は名づけられ、初めに持っていた情報量を著しく落とす。また、画像ファイルであれば、五感のうちの視覚による受信のみが可能である。こうしたナマモノからナマエへの情報化は、誰かに伝える必要のためになされる。誰かとは、未来の自分を含んだ他人のことである。最後に、せっかく名づけた画像ファイルが破損していた場合、コンピュータはそれをエラーとして我々に教えてくれる。そのとき我々は、伝わるべきものが伝わらないという実害を前にして恐怖するのである。
 コンピュータは便利な例えに過ぎない。<ナマエの世界>はコンピュータの中の話に限らず、広く未開社会から現代社会まで存在する。一方、<ナマモノの世界>とはどのような世界か。例えば、以下は家についてのある男の記憶である。

 ――父方の祖母の家は文房具屋だった。私は、この家にただよう異様な空気を子供心に感じ取っていたらしい。
 商店街に面した一階の文房具屋はやたら暗かった。冷たいコンクリートの土間に、この上なく質素なガラスの陳列棚がいくつか置かれていて、青白い蛍光灯が積み重なったペンやら紙やらをかろうじて照らしていた。ペンやら紙やらがたくさんあると「変なにおい」がするんだと子供の私は思った。換気もあまりされていないため空気は地層のように居座っていて、今になって考えるとただ「かび臭い」ということになるが、当時は「文房具がたくさんあるときのにおい」だとしか思わなかった。店の奥にはこれまた暗く狭い居間があって、そこには神棚があった。神棚というのはへんだ。壁の高いところにあって、子供には届かない。そこに呪文のようなものや、いつから置いてあるのかわからない食品やコップがある。普通に考えれば、居間にこんなヘンテコなものがあるのは居心地のいいものではない。子供の私は「よくわからないけど触れてはいけないもの、まだ知らなくていいもの」だと思った。いま目に見えているものだけがこの世の全てではないことを、直感的に感じ取っていたのかも知れない。
 敷地は完全な直角三角形をしていて、どんづまりの鋭角部分に風呂とトイレがあった。どこも昼間なのに暗かった。居間の横にある階段で二階に上がると幾分明るかった。街路側は畳のがらんとした部屋だった。そこはいつも「もぬけの殻」だった印象だ。屋上に上る階段が奥の鋭角部分にあるので、そこまでは廊下で、廊下伝いに収納があって、この収納にはNゲージか何かの精巧な鉄道模型が入っていた。屋上行きの階段につく。この階段がどんなであったかはよく覚えていないが、上がろう。そうして辿り着いた屋上というのもまたへんだった。外から内に入ってまた外へ出ると、この世から少しズレた感じがする。そこには金魚鉢が無造作に置かれていた。屋上にポツンと置かれたその鉢はくすんだ青色の陶器で、しゃがんで覗き込めば、水なのか藻の塊なのかわからない底なしの闇があって、かろうじて赤い魚影が潜んでいた。十年も生きていたそうだ。都会の屋上で輪郭のおぼろげな朱色の生き物が、十年間、真っ黒な水のなかにいる。そういうものも、この世にはあるのだ。
 私は今も、この家の「ガラスのはまった木の引き戸がガラガラと音を立ててレールの上を動くときのにおい」を思い出すことができる。これは今では間違った文章ということになるが、たしかにそのような経験があったのだ。日常生活から遠いところにいた祖母と、その家。薄暗がりの中の記憶は、感覚が溶け合った状態で記憶されている――。

 この文章は<ナマモノの世界>についての記憶である。ナマモノの経験を他人に伝えるためには少なくともこのくらいの紙面を割く必要があり、スピーディな交換に向いていないことがよくわかる。<ナマエの世界>では不要となる情報である。
 さて、この家についての記憶には、<ナマモノの世界>を理解するための大事なポイントがいくつかある。ひとつは、全体を漂う「畏怖」のムードである。古い家には圧縮される前の情報(ナマエのない情報)が満ちており、子供が感じ取れるのは、その情報の意味内容でも処理方法でもなく、ただそれが高濃度だという予感だけである。「よくわからないけど触れてはいけないもの、まだ知らなくていいもの」という、ナマエなきものに対する尊敬と諦観の念こそが、畏怖である。このように<ナマモノの世界>は、畏怖という感情によって「適切な距離を取る」という仕方によって経験されるべき世界である。
 もうひとつは、この記憶が匂いについて多く言及していることである。<ナマエの世界>は基本的に視覚か聴覚で構成されるが、<ナマモノの世界>では嗅覚や触角が大きなウェイトを占める。だが、より強調すべきは、嗅覚や触角、視覚や聴覚を含めた五感が十分に分離していない状態で体験され記憶されている点である。ようするに<ナマモノの世界>は、整理整頓できない世界、情報化を拒む世界である。

 これが我々の生きている<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>である。だが、もっと単純に二つの世界の違いを言い表すなら、こうなる。<ナマモノの世界>とは、「私」と無縁に存在する世界である。<ナマエの世界>とは、「私」に奉仕するために人工的に創りだされた世界である。


* * *


「畏怖というものを、未来を舞台にして描きたい。」とロヴは改めて言った。
「例えばいま俺はこわいと思うことがなくなっている。今住んでいる家の中のどこを見ても、街へ出て歩いても、こわいものが見当たらない。それが何でそこにあるのか問われるようなものがどこにもない。例えば家には電気をつけるためのスイッチが、見やすい場所、手の届く場所にある。俺は、そのスイッチの存在理由があまりにも見え透いていることに腹が立つんだ。あれは、押すと照明がつくというただそれだけの情報でしかない。0と1しかないただの情報のくせに、この世に生意気にも形として存在することが許せないんだ。それから、商店街なんかもっと最悪だ。どの看板も俺に向って、馬鹿でもわかる言葉で話しかけてくる。目に見えるあらゆる形や文字がすべて俺とコミュニケーションを取ろうとするんだ。しかも、全く同じように俺以外の人間ともコミュニケーションを取ろうとしながら。……なんであんなものばかりで街中が埋まってしまったんだろう。この世の目に見える形態はことごとく、子供をあやすための赤ちゃん言葉に支配されているんだ。」
 他の三人が口を挟む間もなく、ロヴは吐き捨てるように言った。
「見え透いたものに畏怖する余地はないし、そんな世界と俺はつながりたくないんだよ。」

 それからしばらく気まずい沈黙が流れたが、黙っていたピクが恐る恐る口を開いた。
「なんだか……違うんじゃない?ロヴは、周りが悪いとばかり言っているように聞こえるよ。」
「何が?」
「だって、スイッチや看板とそういうコミュニケーションを取っているのは、ロヴのほうも同じだからじゃないかな。」
「同じって、だから何が?」
「生きてる世界が。」


* * *


 この世界の成り立ちについて、もう少し続けよう。<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>という二つの世界は、交わることのない別世界なのだろうか。ソシュールの言語学を援用することで、実は両者が本来はグラデーショナルに連続する世界だということがわかる。
 ソシュールの言語学では、ナマエを、名づけられたものの内容=<シニフィエ>と、内容を表象する音声や文字=<シニフィアン>の二つに分離して考える。また、一対のシニフィアンとシニフィエのセットを<シーニュ>と呼ぶ。シーニュはナマエと同じである。このようにナマエを分解することで、一口にナマエと言っても、シニフィエが閉じ込めた情報量の多寡によりバリエーションがありうることがわかる。閉じ込めた情報量が大きければ僅かな仲間内でしか通用しないナマエが生まれ、小さければ大勢と共有できるナマエが生まれる。例えば、子供たちが「秘密基地」というナマエに込めたシニフィエは、少人数の仲間内であれば、場所を指し示すばかりでなく、そこで遊んだ記憶やその場所の風や匂いまでを保存することができる。だから「秘密基地」と聞いただけで、子供たちはニヤリと悪びた笑顔を浮かべるのである。それは、大人が「犬」というナマエを運用するのとでは、交換されている情報量が違う。
 一般的にナマエの交換可能範囲とシニフィエの情報量は、一方が増えれば他方が減るという関係にある。これで、<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>を、コミュニケーションの規模の問題に変換することができるようになる。ナマエの交換可能範囲を広げれば<ナマエの世界>に近づき、狭めれば<ナマモノの世界>に近づくのである。
 しかし、実際のところ、ナマエの交換可能範囲は急速に広がる一方である。これが「グローバル化」と呼ばれる現象である。言語や通貨やライフスタイルや考え方が統一されるに従って、ナマエはより規模の大きな人間集団で正しく交換されるべく、情報量を限りなく落としていくのである。いや、正確には逆で、単純なナマエのほうが先頭に立って、人類を統一していったというほうが正しい。しかし、どちらにせよ、多人数向けのナマエは情報量を落とすしかなく、そうしたナマエによって都市や建築が構成されていくために、我々の世界はどこへ行っても同じようにわかりやすい風景に収斂していくのである。同時に、本来は連続していた<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>が、事実上、二極化して分断されてしまったのである。


 ロヴは何も言えなかった。よく理解したというわけではなかったが、なぜかピクの言葉が弾丸のように頭蓋を撃ちぬいてしまったのだ。見かねたイアが取り繕う。
「ピク、君だってスイッチと看板の世界から抜け出してはいないだろう。そんな方法があったら誰だって知りたい。」
「ご、ごめん。僕は別に自分が特別だって言ったわけじゃないんだ。ただ……僕は昔からチムを知っているんだけど、チムは僕たちとは違う世界にいるように感じるんだ。」

 チムは自分の名前を聞いて、嬉しそうに三人を見て満面の笑みを浮かべた。チムの腕の中には、大小さまざまなピラミッドが所狭しと積み上がっている。

「チムの目から見た世界は、きっとチムに話しかけて来てはいない。そんな気がするんだ。それはロヴが言う畏怖の世界かもしれない。でも、チムにとってそれが居心地のいい世界なのかどうか、僕にはわからない。」

 チムはつくることの天才だった。チムのPCにインストールしたソフトは、すべて三日も経たないうちに使いこなした。食事の時間も忘れてモニターにかじりつく有様で、チムのハードディスクはいつも雑多なファイルで埋めつくされていた。あるとき、「無題」や「名称未設定フォルダ」ばかりが並ぶのを見かねて、保存日時がそのままファイル名になるようにピクが設定してあげた。それ以来、チムのハードディスクは西暦下二桁から秒までの12桁の数字の羅列で埋まっている。ピクの楽しみは、一日の終りにチムのハードディスクに素潜りすることだった。膨大なデータをスクリーニングして四人で共有すべきファイルにラベルを貼っておくのである。データの海の中にはときおり見たことのない美しいイメージや音が紛れ込んでいて、ピクいわく、それを見つけたときは、人類初の発見に出会ったような高揚感があるのだそうだ。
 ロヴはぼんやりとした頭のまま、チムのことを思い出していた。そして、ふと我に返った。チムはチムにしかわからない世界で生きているかもしれないが、それは誰にでも真似できることではない。スイッチと看板の世界で我々は生きて行かなければならない。そう思うと、ロヴは確信した。

「……確かに、チムはそうかもしれない。でも俺らはチムになれるわけじゃない。だから俺は、やっぱり周りが悪いと言いたい。あの風景をつくっているのは人間自身だ。とくに建築家だ。街も家も、もっと俺に話しかけるべきではないんだ。俺らはもっと、誰かのためではなく、自分ひとりか、あるいは少人数の仲間内で通じる言葉をつかって、世界の一角をそれぞれが作り変えていくべきなんだ。」


* * *


 一般に「グローバル化」と呼ばれるものは、ナマエの交換可能範囲が広がっていく現象である。なぜグローバル化が起きるのかと言えば、交換可能範囲の広いナマエを作り出した者が利益を得る構造になっているからである。しかし、そうした理由は市場経済における競争原理の説明にはなっているが、ナマエの説明にはまだ不十分である。というのも、ナマエは他人との交換のためだけに必要とされるわけではないからである。実は、名づけの裏には、もっと逼迫した理由がある。その理由とは「安心」である。

 例えば神さまの時代に、人は何をどのように名づけたのか。倫理学者の菅野覚明によれば、昔の日本では、神さまの訪れの多くは天災や疫病や不作として認識された。すると、ときの天皇は物知り人(占い師や祈祷師)にこう訊くのだ

――何の神の御心であるか。

しかし占ってもわからない。だから天皇は「国土のどの神も忘れることなく祭ったのに、天下の公民の作る物を生育させず傷うのは誰の神であるか」と、「誓ひ」をして問う。すると、「悪い風、荒い水の災いによって作物を傷うわが名は、天御柱命・国御柱命である」という夢の告げを聞くのである。こうして名前がわかれば、その神さまをお祭りして一件落着である。わからないもの、こわいものを名づけることは、すなわち人間に「理解の仕方のフレーム」を与え、安心をもたらす。

 あるいは、人類の過去と未来について考えぬいた人物に、先史学者のアンドレ・ルロワ=グーランという人がいる。彼もまた、人間の知恵とは「自然の混沌の中心に、ただひとり存在する人間の苦悩を鎮めるような解釈を省察し、探求すること」だと言っている。ルロワ=グーランによれば、人間の世界認識の方法には二種類ある。それは動的に次々と踏破していく巡回型の認識と、留まったまま自分の周りに輪を描いていく放射型の認識の二つであり、狩猟生活から定住生活への変化によって後者の認識が優位に立ったという。放射型の認識は目と耳をもってなされ、世界は視覚情報と聴覚情報に変換される。続いて、手(身ぶり)と口(言葉)が視覚情報と聴覚情報をコピーする。定住者は一点に留まったまま意識を無限遠まで拡張することで世界を認識し、同じ物を自らの周りに再現することで手中に収める。ローマ皇帝ハドリアヌスが遠方の建物と風景を蒐集するのと、グーグルがあらゆる情報をアーカイブ化しいつでもアクセス可能な状態に整理していくのとは、等しく定住者の世界認識によるものであり、彼らが求める「安心」に基づくものなのである。
 また、定住者は手持ちの神話体系――それは宗教であっても科学であっても――に未知のものを組み込んでいく。たとえばルロワ=グーランは中国の都について次のように述べる。

 ――古代中国においては、中心と東西南北の方位基点に対応して、五つの要素、五つの天、五種類の動物、音程、匂い、数、生贄の場所、身体器官、色、味、神々がある。そこで明らかになるのは、南、夏、鳥、焦げた匂い、炉、肺、赤、苦さ、数字の七、去声などが共通の特質をもっていて、一方から他方へ影響を及ぼすことができるということである。そのとき人間は、完全に時間と空間のなかにきちんと組み入れられ、人間の安全は全面的となる。(『身ぶりと言葉』)

 定住者は、すべてのナマモノをその社会固有のダイアグラムに分類し、ナマエに固定する。ただひとつのナマエの体系によって世界を整理すれば、これ以上「こわくない」ことはないからである。
 このようにして作られた<ナマエの世界>は、宗教や科学など、およそすべての人工物を生み出す母体となった。人工的楽園、<ナマエの世界>とは、もはやそれ自体が人間の作品であり叡智の結晶のようなものである。しかし、一方で<ナマエの世界>が人類に提供する安心は、<ナマモノの世界>を人間から遠ざける。ナマモノへの不安をナマエで解消しようとする限り、<ナマモノの世界>は失われていくしかないのである。


 それでは、失われていく<ナマモノの世界>をもし取り戻すことができたとして、その中で生きていくことは人間にとってどれほど意味を持つことなのか。
 次の三つは、名づけの逆、つまり<ナマエの世界>から<ナマモノの世界>に還ること、そしてナマモノの経験の意義について、さまざまな言葉で書かれたものである。

――何かを分かるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる。(原研哉『デザインのデザイン』)
――神はある日突然に出現する。景色は一変し、私たちの生は動揺する。一変した風景が元に戻り、私たちが「記憶と常識」とを回復するまでの時間こそが、私たちの神の経験である。この神の経験は、私たちが普段何気なく送っている生や、取り立てて意識することのなかった日常の風景を、(…)意識的に問い直していく契機となる。(菅野覚明『神道の逆襲』)
――他者は「我が家」に混乱と不和と紛争と確執を引き起こす。他者との出会いとは、「我が家」という安定的な知解のシステムが解体し、私が絶対的な「単独者」として孤立するような経験である。というのも、到来した者の言葉は、私の理解や共感を超えているにもかかわらず、その理解できない言葉を、私はそれでもなお一個の「主体」として引き受け、聞き取らなければならないからである。(内田樹『ためらいの倫理学』)

 段々と文章が難しくなっているが、どれもナマモノとの遭遇が「自ら考えること」のトリガーになると言っている。ということは、人間はナマモノに囲まれて生活している限りにおいて知的生命体でいられるということである。<ナマエの世界>が人間の創造物だとすれば、<ナマモノの世界>は人間が考えはじめる場所である。<ナマモノの世界>は、人間が人間であるために、失われてはならない世界なのである。また、完全な<ナマエの世界>を築こうとする人間らしい創造的な行為が、達成と同時に知的生命体であることを放棄してしまうという矛盾を抱えていることもわかるだろう。
 しかし、<ナマモノの世界>が必要だとして、それを失いつつある人間はどのようにしてそこへ再び至るのか。実は、この三つの文章にはもうひとつ隠された共通点がある。三者ともナマモノ(=未知・神・他者)の訪れを、「おののき・動揺・混乱・不和・紛争・確執」といった穏やかではない言葉で表し、ナマモノに出会う主体に「受け入れ、耐え、見方を変え、自らの頭で考えぬけ」という厳しい要求をしているのである。もちろん正しいが、それは<ナマエの世界>のオトナを動かすには、あまりにハードルが高い要求である。だが、ここでオトナではなく、コドモがナマモノに触れたときのことを想像してみよう。果たしてコドモは「おののき・動揺・混乱・不和・紛争・確執」を感じるだろうか。コドモはもっと日常的に、見えないもの、わからないもの、聴き取れないもの、自分に向けて語りかけては来ないものに囲まれて生きている。そんなコドモが感じるのは、無垢な好奇心であるか、あるいは無垢な無関心である。なぜなら、コドモは「何かをもう少し深く認識」したり、「意識的に問い直し」たり、「一個の「主体」として引き受け」たりする必要がないからである。そこには、オトナには感じられない気負いのない明るさがある。わからないものに囲まれている安心というものがある。もしこの安心モデルを社会において構築することができれば、ナマエは不要になる。地球を覆いつくそうとする<ナマエの世界>に対して、これは有効な手立てとなりうる。
 ただし、ナマモノとコドモによる社会は、宗教や科学も不要、成長も不要という社会でもある。これもまた達成されることによって人間から遠ざかってしまう世界であることは、十分留意しなければならない。

 まとめよう。この世界は<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>でできている。人間とはその二つの世界を行き来する旅行者のことであり、同時に<ナマエの世界>の創造主であるが、交換したいという欲求、安心への切望から<ナマモノの世界>は不可逆的に失われていく方向にある。人間が注意しなければならないのは、<ナマモノの世界>と<ナマエの世界>の不均衡である。であれば、人間が次になすべきは、もはや前提となりつつある<ナマエの世界>の内側で<ナマモノの世界>を見つけることであり、それは安心のあり方を再構築することによって可能である。もっとはっきり言えば、人間は「わからないもの、知らないもの、触れられないものに囲まれて生きる心地よさ」を、もう一度組み立てなければならないということである。建築家は世界を形作る職業として、これをよく理解していなければならない。ついでに言えば、ARがもたらす「多層現実」はそのための強力なツールとなるだろう。

「さぁ、イメージの話をしよう。未来都市はどんな見た目をしている?」

 イアが急かすように問いかけた。するとピクがすっと立ち上がり、右手を差し出した。手のひらにはチムのハードディスクが眠っていた。

――未来都市はここにあるよ。


* * *


 色とりどりの秘密基地が星雲のようにオーバーラップしながら地表を覆っている。チムは暗くなり始めた畦道を早歩きに歩いていた。そこは地平線まで田んぼが続き、圃場に張った水面のいくつかから外壁のない不定形の摩天楼が生えている。頭上に浮かぶ遊具のような構造体からは本や小物が空中に向って放たれ、別の場所では夕焼け空を背景に水蒸気が立ち上がっている。チムは、大小さまざまなピラミッドでできた船団が光を受けながら遠くの地平線に沈んでいくのを見ながら、その日の夕飯について考えていた。
 畦道を二ブロックほど進んだ頃、突然吹きつけた春の旋風を顔に受け、チムは思わず瞬きをした。目を開けると、チムは左右に幾重にも積層された食卓のつらなる仲見世にいた。仕事を早く切り上げた大人たちが酒盛りをする中、チムは見慣れた看板を探しだすと脇で右に折れ、小径に入って左目を三回、右目を一回ウインクした。その僅かな間にチムは三通の手紙を受け取り、右手に開封済みの手紙を握ったまま家の門の前に立っていた。そこは、地上72階の庭園に建つビルの22階のテラスに建つ6階建のアパートの最上階である。チムは共用廊下の窓から見慣れた大都市の夜景を右目で見て、それからちらっと左目も確かめた。大丈夫、まだ集まってない。満点の星空の下で、ロブとイアがグラウンドに寝っ転がって仲間を待っている。「ご飯食べたらすぐいくから!」そう声をかけると、ロヴが小さく手を挙げた。チムは両目を開けて窓から離れ、玄関のベルを押した。「ただいま!」チムは元気にそう叫ぶと、オレンジの外灯の立ち並ぶ廊下を抜けて、家族の待つリビングに駆けていった。


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夏目先生と幸田先生 ――構築と即興の亀裂から

「いいですか皆さん。皆さんの精神には数本の登り棒が聳えています。小学校の校庭の隅にある、あの登り棒です。数や太さは人それぞれ違いますが、皆さんは今そのうちの一本に掴まっています。あるいは器用な者は二本、三本同時に手を伸ばしているでしょうし、ここまでいくとただの横着者か怠け者ですが、全ての棒にハンモックの縄を引っ掛けて悠々と寝ている人もいるでしょう。しかし、どう重い体を預けようと、この登り棒の周囲はどちらを見回しても深い霧に包まれ、足元を覗いても底は知れず、見上げてもその先端は雲に覆われて窺い知ることができません。unvisibleなわけです。皆さんはいま大変な状況にいるわけです。さて、これは唐突に何の例えが始まったのかといいますと、今日私が最初にお話ししたいもの、つまり皆さんや私の内にある精神がどのように成り立っているかということの喩えです。今日はまず精神、そして人生について、文学者の私が日々考えていることを、皆さんにお伝えしようと思います。
 それで、この大変な状況が精神を表すとして、棒は何を表しているかといいますと、皆さんが生きていく上で自らが信頼を置いた規則、ルールということになります。皆さんは人生の様々な局面での選択や日常での振舞い方を、自分でこうしていれば大丈夫だと考えるルールにしたがって決めているのです。このルール、棒がたくさんあればいろんな問題に答えることができるでしょうし、太い一本があれば大抵のことは事足りる場合もあります。例えばいま、文学者になろうかあるいは建築家になろうかと悩んでいる男がいるとしましょう。彼の周りにはさまざまなことを言う人がいます。皆このように生きるといい、と彼に登り棒を渡そうとします。その中に彼の信頼できる友人がいれば、それはとても丈夫な登り棒に見えるでしょう。他にもアドバイスをしてくれる友人の数だけ大小さまざまな棒があるでしょう。しかし、彼はそれらに掴まるべきでしょうか。皆さんどうですか。・・・私の答えは、時にはそれもありだが、どのみち大変危険だということです。周りがどんなに親切に、確かだと思えることを言ったとしても、それはその人の人生において信頼がおけるということであって、悩んでいる彼にとっても同じということはないのです。彼は他人とは別の人間なのです。もちろん安全である可能性もありますが、同じくらい危険である可能性も高い。私なら、そんな半々の可能性に自らの体を預けるのはいやなのです。しかし、実際に何が危険なのかと申しますと、そのルール自体の内容が危険だということではない。現にそのルールでうまくいく人もいる。危険なのは、そのルールが、ほかならぬ彼自身から生み出されたものではないということなのです。それが彼自身の内的必然性によって自ら築き上げたものでないのならば、キリストの言葉も孔子の言葉も科学の方程式も、一様に危険なのです。わかりますか。そこには実感がない。そんな登り棒はいくら太かろうと、鋼鉄でできていようと、遙か下方で根腐れを起こすに違いないのです。ですから、二本・三本に掴まる者も、十本百本にハンモックを掛け渡して万全のつもりで寝そべっている者も、その登り棒が彼自身によるものではないという一点において、ある日突然に崩れ去る可能性を拭えないのです。殊に私の時代は日本という国そのものがそうでした。みな登り棒を西洋から借りてきたのです。カタカナ語を喋っていれば褒められるという時代でした。私が16歳のときにオープンした鹿鳴館も同じ精神から生れたものですね。でもそれはみな西洋の借り物です。それではいつまで経っても危ういのです。浮華を去って摯実につく、上辺の華やかさを捨てて真摯に自分に向きあわなければ、大変なのは自分なのです。
 皆さんに言いたいのは、もっと安全に生きてください、ということです。そして安全に生きることは、自分自身の内的な確かさからしか不可能なのです。Self-Confidenceです。実は私も随分とフラフラして来ました。学校はいくつも転々としました。大学時代は何をしたいかも定まらず、友人の意見でころっと志望を変えることもありました。全く興味もないのに教師にされてしまったこともありました。英国留学などもしましたが、あれは自分のない人間にとっては最低の経験でした。もちろんそれらの経験が悪かったとは言いません。ですが、いつまでも続けていたら身がもたないのです。空虚なのです。そこで私は、自分が安全に生きていけることとは何かと考え、ついに自己本位ということに思い至ったのです。自分の内的必然性にしたがって、自分で決めた価値観によって生きること、危険だと思われるかもしれませんがむしろそれが一番安全だとわかったのです。自己本位、とくにこれは文学者や芸術家の命、コアですよ。自己本位がなくなれば、文学者や芸術家は無価値です。技術屋や会社勤めが自己本位じゃ困りますが、あなたがたの将来就かれる仕事も半分以上は芸術でしょうから、きっと同じです。私はそれで、私が私なんだ、私が生きたいように生きるんだと考えて、まず『文学論』を書き上げる決意をしました。残念ながらこれは失敗に終わりましたが、それでもよかった。なぜなら、このとき自分が掴んでいたのは紛れも無い、自分自身で建てた登り棒だったからです。それはもう棒なんてものではない、カリフォーニアのセコイアほど大きく私を支えるものです。私はその時から強くなりました。セコイアは幹周が三十メートルありますから、中をくり抜いて家をつくることだってできる。安心というものを初めて感じたのです。何しろそれまではいつ折れるとも知れぬ冷たい棒に手足で掴まっていたわけですから、その違いたるや歴然としたものです。
 ただ、それで問題がなくなったかと言えば、あと一つ大問題が残ります。それは飯を食っていくということです。だけどこればっかりはなんともならない。自分一人で決められることでもない。食えなくて死ぬというのは惨めですが、それでも芸術家は死ぬ覚悟でやらないと無価値ですから、これは相当な板挟みです。しかし、そもそも技術屋や会社勤めが生み出すような意味での価値を生まない生き方を選んだのですから、そこは価値が認められるまでやり抜く以外にないのです。中途半端が最も危険です。道中は相当孤独でしょうが、自己本位を貫いた先には必ず固有の価値がある。そのとき、そうして生み出された価値は、自分自身にとってだけではなく、必ず誰かの感覚に響く類の価値である。私はそう信じているのです。私が自己本位でいることが、他人にとっても価値あることになる。そんな素晴らしいことが他にありますか。芸術が目指すべきはそこしかありません。私は、いかなる時にでも自分で考え自分で生きること、それを実行しています。それは文学者として私が示すことのできる人間の価値を、いつの日か誰かの心に届ける仕事をしているということなのです。皆さんも芸術を目指すのでしょうから、皆さんの確固不抜とした精神が、百年後でも二百年後でもいい、誰かの心の支えとなるということ、そのことをしっかりと想像して離さずにいてください。」

 十五号教室はしんと静まり返っていた。静けさの勢力には三種類あって、単純に迫力に気圧されたA群、俺たちは建築学科なのだが文学について語られてもどうしたらいいんだと煮え切らないB群、質問タイムの到来を予測して手を挙げるつもりもないのに緊張するC群の三つである。教卓に貼られた「課題発表一:夏目漱石先生」という題字がエアコンの風でひらひらと揺れている。何枚かのガラスで減衰した蝉の喚き声が、次の展開までの時間を埋める。そろそろ張り詰めた空気も居心地悪くなってきたという時、受講者席から白い腕がすっと延びた。

「質問してもよいでしょうか。」
「どうぞ。」
「ひとつ気になっている点がありまして、質問させていただきます。さきほど先生は、自己本位の大樹にどっしりと居を構えることができたから強くなったとおっしゃいましたが、私が思うに、むしろ先生は、登り棒がたくさん霧の中に伸びているその絵を、画面を、大樹の中からではなく霧の中に浮かんだ一点から見下ろしていらっしゃる。そこにいることができるから先生は強いのではないですか。自分の精神を、別の自分で見下ろすことができたなら、全体が把握できるから倒れない。これはまだ考えがまとまっているわけではないのですが、そこが先生がお書きになられた猫の視点であり画工の視点なのではないでしょうか。」
「これはいきなり本質的な指摘です。あなたは自己本位であることよりも、客観的に自分を反省することのほうが重要なのだと言っている、そう解釈しました。」
「そうです。先生は自己本位を実践されていると思いますが、そこで戦っている自分と、それを徹底的に見つめている自分と、先生は常に二重なのではないでしょうか。さらに言えば、先生の本体はやはり霧の中の一点の方にあるように思います。自己本位の巨木を立てて孤独でありながらも着実に登ろうとする男を、先生は近くで見守っていらっしゃる。」
「ふむ。その視点が、自己本位によって獲得できたものなのか、あるいは別の鍛錬によってしか得られないものなのか。短い話では済まなそうだから、あとで拙宅へおいでなさい。きみ、名前はなんというのかね。」
「愚蓮来人です。先生の作品では草枕を愛しています。すみませんがもう一言。私が兼ねてから尊敬いたしますのは、草枕の画工に非人情美学というルール、あるいはコンセプトというものを担わせた上で、その画工というコンセプトを転がしていく先生の手つきなのです。草枕は一見、画工の一人称の物語に見えますが、本当はその遙か上空に画工を操る先生自身が常にいます。画工がコンセプトを体現しているように見せかけておいて、実は先生の方がコンセプトを握っているのですから、いくら那美が攻撃を仕掛けようと、絶対にコンセプトはゆるぎません。草枕という作品は、作者によって完璧に美しくコントロールされているのです。長くなってすみません。何が言いたいのかと申しますと、私は草枕という作品を先生による建築だと考えているのです。」

 愚蓮来人の顔は紅潮し、声は上ずっている。平素大人しい彼が、人前でこれほどの剣幕で喋るなどとは誰も予想していなかった。それにしても彼は何を言っているのだろう。全く分からなかったが、きっと草枕を読んでいればわかるのだろう。

「ありがとう。君とはもっと話がしたいが後がつかえてしまうので、続きはエスキースで話しましょう。愚蓮君、いいですか。それでは……他にここまでで質問がなければ、課題の説明に参りたいと思います。私はこの建築学科でどんな課題が学生に課されているのか、全く知りません。実は私も大学の時分に建築家を目指してはどうかと思ったこともあったのですが、結局やめました。だから的外れかも知れません。まあ、あえて私が学外から呼ばれたのですから好き勝手に考えてきました。課題のタイトルは、「私の好きな建築」です。あなたの好きな建築を、あなたの好きな場所に建ててください。それだけです。」

 これには会場もざわついた。教室は初めて体温を取り戻し、あちらこちらでヒソヒソ声やため息が漏れた。そんな直球があるだろうか。

「おかしい、こんなことでは意味が無いという方は、他の課題もあるようですし気兼ねなく他を取ってください。私の課題を選択した方については、私はこれから3ヶ月間、数回しかないかと思いますが、あなたがたの考えを聞いて話相手になろうと思います。評価はどれだけその建築が好きかということと、3ヶ月の間にどのように考えを進めたかという点で下します。それ以外は考慮しません。何を建てようとどこに建てようとそれで点数が変わることはありません。ただし、注意深く、それが本当に自分自身の好きな建築なのかどうか、心の声に分け入って分別することです。受け売りや他人の借り着は不要です。以上です。それでは選択される方は来週の火曜日に製図室で会いましょう。」

 一旦、休憩。
 後で愚蓮と話してみよう。特に注目もしてこなかった奴だが、何だか面白そうだ。作者によって完璧に美しくコントロールされたものが建築なのだと、確かそう言っていたな。よろしい。それでは次の先生も文学者だが、彼がどう反応するのか見てみよう。そんなことを思いながら教壇を目を向けると、紺色の和服を着たおばさんが立っていた。


* * *


「皆さんこんにちは。わたくしね、いまたいへんに動揺しているんでございます。今日まさかわたくしの前に夏目先生が講演なさるなんて、これっぽちも聞いていなかったんです。ほんとうになんと申しましたらよいのやら、わたくしは鍋のおしりを洗ってきた横町のおばさんで、物を書くようになりましたのも44歳になってからなんです。それも、ぜひこれだけは言っておかなければということもなく、ことばもへたですし、何より頭が悪いものですから立派なことなど言えやしません。どんなに背伸びしてみても、わたくしのどこを叩いても、皆さんの記念になるような有難いお話なんか出てきやしません。ですからほんとうに困っちゃった。主催者の方も先に言ってくださっていたらお断りするなり、せめて前座にさせてもらえないかとお願いましたのに。意地悪ですねぇ。ですが、わたくしもこうして皆さん静かにとてもお行儀よく聴いてくださっているのですから、ナニクソという気持ちで、わたくしにできるお話をしなければと思います。
 夏目先生はわたくしのたいへん厳しかった父、幸田露伴と同じ慶応3年の生れです。ですから、何となくわたくしが父のあとに登壇しているような気もしまして、どこか気が引けるんだか締まるんだかわからない思いでいま喋っています。夏目先生、といま申し上げましたが、父からは無闇によその先生方を先生と呼ぶなと言われてきました。なんでも殊に自分が死んだあとに、残った子が先生といってそうした方々のところへ行くのは意味が違うというのです。それは相手に何かそれだけの見返りを求めているようで、自分が亡くなったあとにまで迷惑をかけるべきでない、とこう申すのです。先生は学校の先生とお医者さまだけにすれば文句は言うまいという、まぁそんなむずかしい家で育って参りました。
 わたくしのことは皆さんあまりご存知ないでしょうから、一寸だけ自分の話をします。わたくしは先ほども申しましたように44歳まで家をほどんで出ず、家事ばかりをやっていました。一度は結婚もしましたがうまくいかず、出戻りで長らく父の傍らで生活をしてきました。その父の教育というのがとにかく普通でなくて、たとえば小さい頃、わたくしが刃物を怖がればオノを突き出して、これで薪を割ってみろといいます。それではじめは怖かったんですが、父は教えたことを徹底的にやらないと「オケラの水渡り」といって軽蔑するんです。オケラと言っても、もう東京じゃ見られないから皆さん知らないでしょう。オケラは変な虫でね、対岸をめざして泳いでいても、泳ぎがへただから真ン中で帰ってきてしまうんです。おまえはそれだと言うんです。わたくしムッとしましてね、それで無心に薪を割っているうちに刃物も怖くなくなったんです。でもそれで褒められることなんてありません。「自分でやってもみないで心配することほどつまらぬ心のロスはない」ですよ。それに、普通は親に叱られた子は黙って聴くのが偉いでしょう。父は違うんです。「親に小言をくらって口返答の一つもできないようなやつはロクでなしだ」と言って反発しないとさらに叱られますから、わたくしもいつも大いにやり返しました。でも腹の虫が収まらないからって台所の皿やコップにまで八つ当たりして、がちゃがちゃとやる。そしたら今度は「自分の怒りを物に移してやがる。自分の感情を自分の心の中で処理できぬほど愚劣なやつはない」と冷たいんです。こんなことが掃除、洗濯、料理のすべてに対して日常茶飯事でした。障子のはたき方一つ取っても、父はこう言うんです。「はたきの房を短くしたのは何の為だ、軽いのは何の為だ。第一おまえの目はどこを見ている、埃はどこにある、はたきのどこが障子のどこへあたるのだ。それにあの音は何だ。学校には音楽の時間があるだろう、いい声で唄うばかりが脳じゃない、いやな音をなくすことも大事なのだ」とこの調子です。ただ、父がはたきを握ると、たしかに適確に障子の桟だけをしゅっしゅと狙うんですから、わたくしはいっつも感服させられていました。ほんとうに父はしつこい人間でしたが、わたくしも強情でしつこい子でしたから、怒られてはわめいて、それでも父が納得するまで、言われたことをできるまで何度もやりました。そんな変な家に育ったものですから、わたくしも相当ひねくれたおばさんになってしまいました。
 そんなわたくしが物を書くようになったのは、父が死んで、初めて人から書いてみないかと頼まれたからなんです。嬉しかったですねぇ。それまでわたくしは父の陰で人目につかないように生きていましたから、他でもないわたくし個人に誰かから何かをお願いされるということが、ほんとうに新鮮だったんですね。初めて人の愛をわけていただいた気持ちがしました。それで専門家でも何でもないわたくしが生前の父について書くことになったんですが、元来わたくしは物を書くのが好きではなく締め切りまで放っておくような性質でしたので、できあがった物も、まぁ手抜きとは言いませんが、ほんとうに苦労して吐くような思いで書いたというわけではないんです。ことばも全然知らないから、ひどいものです。でも、どうしてだかそれを読んでくださった方々から褒められたんですね。努力せずにやったものが褒められることほど恥ずかしいことはありません。そのまま満足して書いていくとすれば、これは恥知らずです。わたくしは父に厳しく教え込まれたあの日々と同じ強度で書くことに向き合えていないのが恥ずかしくて、それで一度、父の死から三年後ですね、断筆宣言をしました。それからこれはわたくしの気性のせいなんですけどね、あれは親の血だから書けたんだ、とこう言う人がいるんです。もう腹が立ちまして、血だというんなら血でないところで生きてやれ、と思いましてすぐにバイト探しに出たんです。わたくし思ったことは即座に行動しますのよ。いつだったか菜の花を見たいと思ったらもう居ても立っても居られなくなって、着物を売ってタクシー代にして「菜の花が見れるところに行って頂戴」と運転手に詰め寄ってね、でもまだ2月だったんです。菜の花なんかどこにもありゃしないんです。運転手もさぞかし困ったでしょうがわたくしも困っちゃいました。まぁそんな具合ですよ、出来が悪いなりに行動力はあるんですね。それで話を戻しますと、バイト探しをした挙句、芸者屋に奉公に行っちゃったんです。結局それで『流れる』を書きました。父を題材にすることなく、自分で見たものを書きました。また、わたくしの十九で死んだ弟の看病の失敗談を『おとうと』に書きました。わたくしはいつも、自分で見たものしか書けないんです。それも何でもというわけではありません。わたくしは気も短く持続もできない性質なので、心に何かわっとこみ上げる瞬間、その瞬間を掴まえたときにだけ書くことができるんです。」

 夏目漱石につづいて、幸田露伴の娘、幸田文。建築学科にこれ以上ないだろう高名な文士が二人もやって来て課題を出すという。本年度この学校にいた者は、末永く伝説の学年として語り継がれるだろう。そんなことを思ってふと愚蓮来人の席のほうに目をやると、彼は俯いてノートに何やら熱心に書き留めていた。幸田先生の話を聞いているふうではなかったから、おそらく夏目先生の課題をもう始めたのだろう。

「わたくしの自己紹介はこのくらいにして課題説明のほうに参りたいのですが、いや、ほんとうにこれは困りました。わたくし建築なんて何も知りませんのよ。どういうわけでわたくしに頼まれたのか、おそらく塔に関わったことを勘違いされたんでしょうねえ。塔というのは斑鳩の法輪寺三重塔のことですが、わたくしなぜかこの塔の再建に深く関わるようになりましてね、その頃は西岡さんの親子や地方からやってきた若い大工さんの仕事を近くで見て、話をさせてもらうのが楽しかったんです。ほんとうに見ているばかりで、多少のお金の工面はお手伝いしましたが、建築だなんて難しいことこっちは思っちゃあいないんです。ただ焼けてしまった塔を何とか再建したいという男たちがいる、そのことに打たれてしまいましてねえ、それだけなんです。皆さんは建築の設計でしょうか。西岡さんが随分やりあっていた竹島先生のような図面を描くお仕事でしょうか。でもわたくしが身近に見てきたものは塔を建てた職人たちなんです。ですから正直に申しますと、設計の方が何に感動して何に打ち込んでいるのかよくわかっていないんです。それは許して頂戴ね。できれば皆さんのその真剣な眼差しがどんなことに注がれているのか、どんな苦労をしてどんな喜びがあるのか、わたくしも知りたいんですのよ。それで課題ですけども、まず木を見に行きましょう。エゾマツの倒木更新もよいですが北海道じゃ人が集まらないでしょうから、木曽にひのきを見に行きます。これはわたくしの課題を取ってくださった方でもそうでない方でも、誰でも参加したければ言ってください。交通費は出ませんから自由ですよ。ただ、木も面白いんですが、なにせわたくし自身が一度見たものですから、わたくしもどうせならまだ見てないものを見てみたい。建築には木造のほかに鉄骨造とコンクリート造というのがあると聞きましたので、鉄工所と生コン工場にも行きましょう。これを1ヶ月の間にやります。それから皆さんには好きな素材を一つ選んでいただいて、その素材ひとつでワンテキのお家をつくってもらいます。ワンテキって犬のことですよ。こう呼ぶと可愛いでしょう、ワンテキ。でも犬小屋だなんてバカにしてと思わないでくださいね。建築をつくりたいでしょうけど、3ヶ月しか時間がないから犬小屋にします。これがわたくしの課題です。質問、何かありますか?」

 さて、教室はふたたび静まり返っている。唐突に現れた謎のおばちゃんに皆面食らっているのだろう。だがここは私の出番である。

「質問をしてもよいでしょうか?」
「どうぞ。」
「私は兼ねてから先生の作品の大ファンで、文章のあまりの巧みさ味わい深さにとても感銘を受けてきました。例えば『流れる』を読んでいますと、読んで音にしても、ただ文字を目で追っても、とても美しく惚れ惚れとします。先生の作品はさっと適当なページを開いて読んでも幸せな気持ちになれます。」
「あら、こんな若い男の方に惚れ惚れなんて言われたら、わたくし勇気が湧いてきた。ありがとう。」
「こちらこそありがとうございます。先生の文章に出会えたことは私にとって本当に大事なことなんです。少し持論をぶってしまいますが、私が思うのは、先生の文章は音楽だということなんです。たとえばお台所の話をされるときも、ひねりや奇を衒った表現などは一切無く、ただ野菜や鍋や包丁といった具体物をありのままに活き活きと書かれています。でもそれは単に現実を描写しただけのレポートとは違って、先生がどういう魔法を使っているのか、具体物を通して先生の感情や考えや人となりまでもが見えてくるんです。一体どうしてでしょうか。それと私はいつも先生の食べ物についての文章を読むと、瞬時に腹が減ります。おそらく書き手がある経験をした瞬間と、それを振り返って文章にした瞬間と、読者である私が文字を読む瞬間と、私がそれを追体験する瞬間。その4つの瞬間が、完全に同時なのです。先生は、具体物に瞬間を閉じ込めて未来に送ることのできる、タイムマシンのようなお方です。そして先生の書くものは、その具体性、一回性、そして同時性が音楽と似ていると思うのです。」
「ありがとう。それだけ褒められると照れますね。」

 私の顔も紅潮していただろう。人前で喋るのは嫌いじゃないが、物怖じしない自分というのを変に意識して耳が熱い。ふと愚蓮来人の方を見ると、彼は私の質問など一向に気にする様子もなく、まだ何かをノートに書き続けている。これはどいうことか。私は変だと思った。愚蓮はほとんど人と話さない奴だったが、風のうわさで彼が凄腕のピアニストだということを私は聞いている。だから私が音楽について話すのをほとんど無視し続けているのは不自然だ。どうやら私ははっきりと愚蓮のことを意識していた。少し彼を釣ってみようと思った。

「長くなって申し訳ないですが、私は建築は音楽であるべきだと常々考えています。あるコンセプトを貫徹し、全てを明晰な思考のもとに従わせるような建築はもう古い。どんな一部分を取り出しても、そこには全体とは無関係に具体物との交感があるというのが未来の建築です。私は建築のこれからを考えた時、先生の文章が大きなヒントになるのではないかと考えているのです。」

 それは鋭い、真っ直ぐの目だった。私が言い終わるのと同時に、矢のような視線が愚蓮から私に向けられていた。私は瞬時にそれが宣戦布告だとわかった。

「そこで質問ですが、先生は音楽とどのように関わってこられましたか?私の知る限り、先生の叔母にあたる幸田延さんは最初期のピアニストにしてヴァイオリニストでしたね。1895年に作曲されたヴァイオリン・ソナタは日本初の西洋音楽と聞いています。安藤幸さんもヴァイオリニストの草分けですね。先生のお父さんは二人の最先端音楽姉妹に囲まれていたから、当然さまざまな音楽的素養がおありになっただろうと想像しています。」

 幸田先生は愚蓮と私が繰り広げている心理戦など知るよしもなく、テキパキと答える。

「父がどれだけ西洋音楽を知っていたか、正直なところわたくしにはよくわかりません。音楽について書いた文章というのも殆ど無いんです。ただ、器楽よりも声楽、ヴォーカルミュージックの方が好きだったみたいですね。音幻論なんていう父独自の日本語論も書いていましたし、ことばが好きなんですね。その影響は確実に受けています。」
「そうですか。ありがとうございます。」

 私は席につく。もう一度ちらと愚蓮を見ると、彼は先ほどまで座っていたはずの席にいなかった。

「それでは他に質問がなければこれで終わりにします。静かに聞いていただいてありがとう。さよなら。」


* * *


 製図室に戻るとさすがにがやがやしていた。私はひとり自分のデスクへ戻って『流れる』の一節をA4用紙に印刷し、三つ折にして封筒に入れ、表に筆ペンで「果たし状」と書いた。自分の言葉は何ひとつ添えていないが、彼ならば私が言わんとすることを理解するだろう。私はさっと封筒をポケットに忍ばせて、愚蓮のところへ向った。

「愚蓮くん。ちょっとここいいかい?」
「……何?」
「君はどの課題を履修するか決めた?」
「夏目先生の課題。」
「そうか。ところで、君が凄腕のピアニストっていうのは本当?どこかで演奏しているなら今度聴きに行きたいと思っているんだけど。」
「……演奏はしていない。」
 ピアニストなのに演奏はしていない? 面倒だからそう言っているのだろうか。
「ピアノを弾くと聞いたんだけど?」
「ピアノは弾く。でも演奏はしない。あの、忙しいからもういいかな。」
「……これ。読んどいて。」

 私は果たし状を愚蓮のデスクに置いた。私はものすごくイライラしていた。どこまでも取り合わないというならそれもいいだろう。だが果たし状まで受け取って平静を保てるか、勝負だ。私はそれ以上何も言わずに自分の席に戻り、カバンをぐっと掴んで製図室を出た。


「果たし状

――主人は子どもに纏られながら、膝を割って崩れた。子どものからだのどこにも女臭い色彩はなく、剥げちょろゆかただが、ばあばと呼ばれる人の膝の崩れからはふんだんに鴇色がはみ出た。崩れの美しい型がさすがにきまっていた。子どもといっしょに倒れるのはなんでもない誰にでもあることだが、なんでもないそのなかに争えないそのひとが出ていた。梨花は目を奪われた。人のからだを抱いて、と云っても子どもだが、ずるっ、ずるっとしなやかな抵抗を段につけながら、軽く笑い笑い横さまに倒されていくかたちのよさ。しがみつかれているから胸もとはわからないけれども、縮緬の袖口の重さが二の腕を剥きだしにして、腰から下肢が慎ましくくの字の二ツ重ねに折れ、足袋のさきが小さく白く裾を引き担いでいる。腰に平均をもたせてなんとなくあらがいつつ徐々に崩れて行く女のからだというものを、梨花は初めて見る思いである。なんという誘われかたをするものだろう。徐々に倒れ、美しく崩れ、こころよく乱れて行くことは。――幸田文『流れる』より抜粋。」

 それが封筒の内容だった。これは主人公の梨花こと幸田先生が奉公先の芸者屋で見たある光景を記したものだ。ストーリーなんかどうでもいい。この一節だけを読んでも感じられる音楽。それが愚蓮にわからないはずもないだろう。これは構築ではない、一度きりの即興演奏だ。自分で事物に分け入って得た感動をそのままに表した言葉の音楽だ。霧の中の一点から見下ろす神の視点では、このようなものが書けるとは思えない。草枕とやらは、きっと超然としていて人の心に迫る類のものではないだろう。だが私もバカではない。敵の素性を知るためには研究も必要だ。相手の身になって考えるのが功を奏することもある。さっそく神保町へ行って『草枕』を買ってくるとしよう。


 次の日、私の机に一通の手紙があった。

「――恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。――夏目漱石『草枕』より抜粋。

 梨花もまた詩人であると、私は思う。」

 それが愚蓮来人からの返事であった。正直に言って、私は唸った。前日の晩に夏目先生の『草枕』を一気読みしたところ、これが案外と言っては失礼だが面白く、そしてハッとするほど美しかったのである。第三者の視点から劇中に起こる一切を画として見るという「非人情美学」のコンセプトは一貫していたが、強固なコンセプトに従って高みから人物や事物を配置していくという感情のないものではなく、実際はとても澄んだ夏目先生自身の感情を感じたのである。とくにラストシーン、戦争に向かう久一を送る那美さんの「憐れ」を見た画工が「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と那美さんの肩を叩くシーンは、画工、つまり夏目先生の那美さんに対する恋心を感じずにはいられないのである。コンセプトは最後まで崩れることないが、同時に、徹底的に「引いて見る」からこそ見えてくる感情があった。私はどうやら誤解していたらしい。夏目先生は一時建築家を目指したというから、ロンドン大火後に立派な大建築を建てたクリストファー・レンのような人になりたいのだと思っていた。だが夏目先生は別に、西洋的な構築をしたいわけではなかったようなのだ。
 『草枕』を愛する愚蓮は、幸田先生の『流れる』も同じだという。同じだと思って考えてみれば、確かに『流れる』の主人公・梨花は自ら芸者屋に飛び込みその悲喜こもごもを間近で見てはいるが、彼女もほとんどといってストーリーに介入しない主人公なのである。醜くも美しくもある置屋の女たちに混じって共同生活していても、そこに根を下ろし感情の利害の中で生きているようには見えない。梨花は観劇する人なのである。梨花もまた、徹底的に引いて見る「非人情美学」を実践しているのである。どうやら私は幸田先生のこともまた誤解していた。幸田先生は生活することを叩きこまれ、俗世で生き、一人称の感情の発露を大切に書いてきた人だと考えていたのだが――実際それはそうなのだが――それでも、どこか超然としていると言われれば納得せざるを得なかった。芸者屋に奉公した梨花も、非人情であるからこそ詩人たり得たのだ。

「愚蓮くん。ちょっとここいいかい?」
「……何?」
「君は人前で演奏をしないと言ったね。それは詩人になるためかい?」
「そうだ。」
「僕は夏目先生と幸田先生を、コンセプトの人と感情の人と対比させて考えていた。建築の人と音楽の人でも、構築の人と即興の人でもいい。でもそれは違った。」
「……。」
「二人共、徹底的に見る人だった。君の返事を読んでそう思ったんだ。この世界の美しさを感じ取れるのは、非人情に見つめる第三者だけだということがわかった。」
 愚蓮来人は黙っている。私は続ける。
「だがこうも思った。やはり文学は文学、彼らには見る対象としての現実がすでにある。だから第三者ということもありえる。しかし僕らはどうだろう。僕らは建築を学んでいるが、建築には見る対象となる現実がない。現実を自らの手でつくるのが建築だ。だがそうなると一体、建築家はどのように詩人たり得るのかい?」
「……構築。」
「……。」
「建築家にとっての見ることは、やはり構築だと思う。」
「……それはピラミッドを建てるという意味でも、セントポール寺院を建てるという意味でもないね?」
「そうだ。智に働けば角が立つ。Rationalであればよいということでもない。」
「僕は構築といえば、西洋的な論理によるものだと思っていた。でも違うんだね?」
「……ああ。」
「なんだかわかりにくいな。端的に言うと、僕はコンセプトというやつが建築をつまらなくしていると思っている。コンセプトは出資者への方便としては便利だが、それを貫徹すればするほど建築は静的になる。」
「確かに、普通に考えればそうだ。だが君も読んだだろう。『草枕』は非人情美学というコンセプトを建てているが、静的ではない。なぜなら、そのコンセプト自体が文中に登場し、茶化されているからだ。非人情美学の小説を書きたかったなら、ふつうは黙って書けばいい。何も文中に非人情という語を登場させなくてもいいはずだ。でも夏目先生は、画工に不自然なまでに非人情、非人情と言わしめ、その微妙な感情のゆらぎをさらなる高みから見物している。それが面白い。それを僕は構築と言ったんだ。」
「なるほど、自分で建てたコンセプトが破綻することも含めて楽しむ、といったところか。それは確かに最近の建築家にはできない芸当だ。皆、自分の建てたコンセプトに愚直すぎるからね。とはいえ『草枕』は、シニカルでスノッブなポストモダン建築に似ていなくもない。それに比べると、幸田先生は始めからコンセプトを持っていない。美しい言葉で見たままを記録するだけだ。その方が現代的ではないだろうか。それを僕は構築に対抗して即興と言ったんだ。」
「どちらが現代的かなんてどうでもいい。忠告しておくが、君は幸田文にはなれない。即興は血の滲むような鍛錬があって始めて可能なんだ。44年間家事を叩きこまれた人間だから、ただ家事について書くことが作品になりうるのだ。君は簡単にコンセプトを捨てるというが、その覚悟が僕には見受けられない。」

 愚蓮はやはりなかなかの難物だ。適確に人の嫌なところを突いてくる。こんな奴から美しい建築が生まれるとは思えないが、そんなに自信があるなら見届けてやろうと思った。

「言われなくてもわかっているさ。じゃあ僕はそろそろ席に戻るから。君の構築とやらがうまくいくことを祈るよ。」

 私がそう言い残すと、愚蓮は黙って体を自分の机のほうに戻し、鉛筆ホルダーを手に取って俯いた。愚蓮の丸く屈めた肩越しにスケッチブックを覗くと、幾重もの書き損じの線が手汗で滲んでいるのが見えた。


 建築家はどのようにして非人情になれるのか。第三者であることが許されず、利害の渦の中に飛び込まざるを得ず、かと言って自らの決定だけですべてを決めることができない類のやっかいな芸術において、それでも非人情は可能か。
 それにしてもワンテキの家とは難儀な課題が来たものだ。「犬小屋の構築」じゃ笑い者だ。ここはひとつ、犬の気持ちになって道を這って歩こうか。飯を床の銀皿で食ってみようか。電柱にマーキングでもしてみようか……。うーん、どうも私の登り棒は貧弱だ。そんなことを考えていたら、気がついた。私がなすべきは「Self-Confidence」だ。やれ構築だ、やれ即興だなどと、どちらが優れているかと皮算用しているようでは、ようするに利害に囚われているのである。自分というものが覚束ないから、未来の建築はこうであるべきだ、こちらのほうが優れた建築だなどという人情たっぷりな喋り方になってしまうのだ。自分でこれだけは確かだと言えるものを一つでも手に入れられたら、私はいかなるときも利害の外から見ることができるようになるだろう。第三者になることができるだろう。よし、すっきりした。一人で熱くなって喧嘩を売って愚蓮には恥ずかしいところを見せたが、おかげでわかったことがある。

 ――Self-Confidence。それが非人情への道だ。それが詩だ。


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第三部へ続く
https://note.com/hattorikazuaki/n/n40ba5c4243c7

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