見出し画像

消えていたかもしれない私の存在証明

絶望するだろうな。今の自分の現状を昔の自分が知れば

時々そんな考えが頭の中をよぎる。


4年前に書いていた記事は太字ばかりで、確かに今の自分が書きたいと思っているようなものではなかった。

それでも今の私はこう思ってしまった。

「なんかいいな」

主観が入っていないかと問われれば、若干入っているのかもしれない。
「なんか」の正体をはっきりと書き表せない私は語彙力が低いのかもしれないと自己嫌悪する。それと同時に「なんか」という直感的なものを大切にしたいとも思った。

等身大のありのままの自分を鏡に映し出したかのような記事だった。
そのときの感情を着飾らずにそのまま表現していた。

だからこの記事は着飾らずに書けたら良いなと思う。

noteと出会ってから4年も経ってしまった。
早い。すごく早いと感じる。年を重ねるにつれてどんどん月日の流れが早く感じるというのは本当だった。

noteと出会ったのはコロナが流行した時期だった。
それまでは部活に時間を費やしてきたが、急に目の前に暇な時間が現れた。

今もそうだが、人前で等身大の自分を出すことは苦手だった。
でも頭の中では様々な意見やアイデアが常に飛び交っていた。
だから暇な時間ができると深く考えてしまっていた。

そんなときに出会ったのがこのnoteだった。
自分の考えを自由に表現できるnoteが私の暇な時間を埋めるのにちょうど良かった。

そこから部活動を行っても良いとなるまでの1ヶ月弱、頭の中の考えやその日の出来事を自分の感情を添えて自由に書いていた。
(4年前に書いた、タイトルだけや数行だけの下書きが何本もあるのは秘密にしておく笑 いつか書いてみるかも)

そして部活が再開されると、必死に毎日部活に打ち込んだ。noteのことなんて考えられないくらいに。そして私は書くことを辞めてしまった。
これは本当に今になって後悔している。
考えようとしなくても、いつも頭の片隅には「このときに辞めていなければ今よりも少しはnoteで有名になれていたんじゃないか」なんて夢物語が浮かんでいる。

次にnoteを投稿したのは約7ヶ月すぎた頃だった。
今も推している日向坂46のめいめい(東村芽依)を見つけたときだった。
というか2021年に投稿した記事は2本。そして2本とも日向坂46関連だった。

当時の自分に1言、言いたいことがある。

「バカヤローーもっと書くこといっぱいあっただろ」

って。

絶対にあったはずだ。高校生ならではの青春物語や甘酸っぱい恋の話が。いや、青春物語はあったかもしれないが甘酸っぱい恋の話は無かったかも……
まぁ、とにかく絶対に絶対にあったはずだ。
記憶力は良いから今でも書こうと思えば書ける(はず)。でも当時の感情をはっきりと映し出すことは、今のモヤモヤした自分にはできない。

しつこいかもしれないがもう1度だけ当時の自分に。

「バカヤローーーーーー」

ふぅ。ちょっとはすっきりしたはず。

そして2022年は1本。2023年はなんと0本。
お分かりだろうが、そんな当時の自分に向けて1言。

「生きることを辞めないでくれてありがとう」

こう言いたい。
慣れない1人暮らしやアルバイト、1からの人間関係の構築など。
大学生活でもそうだし、野球のクラブチームでもそう。
全員から良いように見られたい。そんな理想を実現させようとするあまり他人からの目や評価を必要以上に気にした。自分自身の心が擦り切れていっているなんて知らずに。

そして大学1回生の10月頃から大学に行くことが怖くなり始めて、徐々に行く回数が減っていった。書いている今も当時を思い出して、少し呼吸が浅くなってしまう。

アルバイトも1月頃に辞めてしまった。急に行けなくなってしまい、シフトの入っていた当日に辞めると伝えてしまった。本当に申し訳ないことをしてしまったと反省している。

でも1番反省しているのは、当時の自分の状態を両親にさえ言えなかったことだ。当然両親は何の問題もなく普通の大学生活を送っていると思っていただろう。だから一人暮らししていたアパートの家賃も払えなくなってしまった。

そして大学2回生の春学期も最初の頃は何とか通っていたが、限界を迎えてしまった。家賃が払えていないことや両親からの電話やLINEを無視していたこともあって実家へと戻ることとなった。
当然両親からは叱られた。黙って隠していたことを。自分が悪いから当然だと反省した。
でも心はとっくに壊れていた。


今もある1つの感情が私の中に芽生えた。

「消えたい」

そう思うようになった。死への恐怖はあったし拭いきれなかった。自分という人間が臆病で良かったと思いたい。
何もかも全て捨てて、過去も捨てて消えてしまいたいと思うようになった。

そうして家出をすることにした。
2023年の8月20日。まだまだ暑く外に出ることが億劫だったが、それでも消えたいという思いが強かった私は窓から家の外へ出た。

でも結局私は消えることはできなかった。

詳しいことは8月20日に書く。
結果だけ書いておくと、日付の変わった21日の午前2時30分頃、家へと帰ってきてしまった。

結局私は消えることすらできなかった。
そしてこの8月からクラブチームも休部という形で行かなくなった。いや、行けなくなったというほうが正しいのかもしれない。

そして9月の中頃、三男の中学硬式野球チームの臨時コーチを始めることになった。やっぱり野球は楽しかったし、改めて野球選手になりたいと強く思うようになった。

しかし、実家に戻ってきた頃から睡眠障害が私を襲った。
夜中に目が覚めて眠れない日が続いていたが、初期の頃は自覚が無かった。
徐々にそんな日が増えていった。
大学は行っているふりをしていた。なんとか必死に毎日両親を欺き続けた。
怖かった。人と関わることが。何度も消えたいという思いが私の心を浸食していった。

そして2024年から三男の中学硬式野球チームの臨時コーチを辞めた。睡眠障害が辛くなっていった。そして大学に行っていないことが両親にばれた。当然ばれる。当たり前だ。

そして3月、私は精神科に通うことになった。
通うという判断が遅かったと今になって思う。

でも、今まで通りの自分。家族が知っている自分を必死で演じていた。
そんな自分でいたかった。

そして大学も対面での授業は受けず、オンラインの授業のみを受けていました。

少し大袈裟かもしれないが、それまでは野球が私にとって人生であり全てだった。でもできなくなった。だから野球の代わりとなるようなものを探した。

そんなときに再びnoteと出会った。そして創作大賞2024が開催されていることを知った。

「野球選手は無理かもしれないが、自分の本を出版するというもう1つの夢を叶えられるかもしれない」

そう思った私は再びnoteに復帰を果たした。
書くということは性に合っていたのかもしれない。
自分の頭の中を書き出すことは楽しかった。
そこから私は毎日投稿を始めた。共同マガジンにも参加した。

少しでも多くの人に自分の記事を見てもらいたい。

ただその一心で今日までの87日間書き続けてきた。


そして今日で88日目。キリがいいからちょっと嬉しい。
そんな日に、なぜ私は書くのかを一言でズバッと書く。

私が今ここに存在している証明

大袈裟に見えるかもしれない。
スキやフォローをしてもらって承認欲求を満たしているだけなのかもしれない。実際に嬉しいし書いて良かったと思う。

LINEや電話でのやり取りが怖くてできない私が、自分自身の存在を証明するのはこのnoteという場しかない。

少しでも等身大の自分を表現できる場所に出会えたことに感謝したい。

もし出会っていなかったら私は今頃消えていたかもしれないから。

もしよければサポートお願いします。頂いたサポートはクリエイターとしてレベルアップするために使わせて頂きます!!