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美人画ルネサンスに挑んで・泥眼

オッス!オラ服部!
こんな書き出し懐かしい!?はっはっはそうだろう、学生時代から長年やってたブログを愛読下さっていた(今もあります。)稀有な皆さんは待望の日記だろう、そうだろうと思う。そうだろう?
そうだろうとも、そうだろう。そうだろうなあ、そうであって欲しい。

そうだと言ってくれよおおお~~~~~~~
^▽^

長い文章をあんまり書かなくなって、ツイッターとfacebookはやっていたけれどなんせSNSはツイッターと言えどもすごく人の眼が気になるじゃないですか、つぶやきとか言ってんのに、そごくつぶやきにくくて職人技を生み出せるわけでもないし、リアルタイムで流れてくる利点があれども監視し合っているようなのもしんどいなと感じてきていて、特に近年物騒じゃないですか。こわがりなんで、内弁慶なんで。
だからツイッター使いこなすの難しいなってずっと思ってたんですよね。
なので流行に便乗してnoteなるもの始めて見ようと思いました。
でも、noteの使い方も全然分からないので、noteは格好良くおりこうさんに使わないといけない空気があるけど実際それは無視です。
日記を書くかもしれないし作品のことを書くかもしれないし、ちょっと分かりませんけどとりあえずまずやってみることに価値を見出す人間なので、様子見して下さい。
そうやねん、今の時代は様子見って不向きなのかな?
すぐに感情を発露したり決めてかかって判断して切り捨てていく場面をよく見るけど、
いや、もうしばらく様子見てみようやて思うんですけどほんな悠長なって感じですか?
みんなもっと高速で生きてるんかな。わしだけか?こんなにちんたらのんびりしてるのは。
わからん。
何もわからん。

何もわからんけどまあとりあえずなんかやってみますわ。
何卒宜しくお願い致します。


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現在、阪急うめだ本店9階にて開催中の、秋華洞さん協力展
 『美人画ルネサンス』
わしも参加させて頂いております。

この展覧会の企画協力をされている東京銀座の秋華洞という画廊は、今日まで物故作家(肉筆・浮世絵)・現代作家共に「美人画」を取り扱われていて、その秋華洞さんにおける現代作家扱いの発端および今日の美人画ブームの立役者となられた池永康晟さん、同じく岡本東子さん、大竹彩奈さん等美人画及び女性画を長年にわたり育てて来られた場所で、わたしも3年強お世話になってきました。
そのような画廊さん、作家さん方にとられこの『美人画ルネサンス』は云わば悲願の展覧会で、「ルネサンス」という語は非常に熱い気持ちを込めてつけられたと推察します。

そんな美人画・女性画を描かせたら超一級の皆様の展覧会になぜわしが参加させて頂くかということですが。
上記の様に以前からご縁を頂いておった中で、服部に女性を描かせたらどうだろうと期待して下さった、これに尽きます。
昨年12月から2週間、銀座蔦屋書店にて『令和・京・美人』なる関西作家5人による美人画へのアプローチ展が開催されましたが、それもあって、どう美人画に挑むのか楽しんで下さったのだと存じます。
厚く御礼申し上げます。

で、わたしが女性を描くことについてですがこれはもうほんとになんといったらいいんだろうね~~~~~~~~~
一言で言うと、
「厳しい!」
これに尽きます。
男性像を描くということはわしにとって自画像を描いているようなものだとはさんざん言ってきていますが、これは植物を描くでも鶏を描くでもまあ最終一緒なんですよね。
じゃこれが女性像を描いて可能なのか、ていうと厳しくて。
高校生までなんかは女の子描くの大好きだったんですよ。
雑誌なかよしから始まって、漫画描いたり萌え絵なんか描いたりして、女の子かわい~!って描いてたんですけどそれは何だったのか。

わたし服部しほりは生物的に女性であり、女性の自覚もあり、社会的にも女性で生きているのですが、いまだに女性としての違和感・生きづらさがあって、
これに対抗したり解消に向け働きかける運動が多く見られたりする中わたしは男性の姿を借りて供養を試みようとしていたのですがこれが出品作品「泥眼」につながります。

と、唐突・・・!


■ 泥眼

泥眼.6F

この作品は題の如く能面「泥眼」を描いています。
能、好きでよく見てました。
娘が生まれてからは一度も行けてません。
泥眼は能の演目『海士』に使用される能面なんですけど、母親の面なんですよね。


奈良時代。幼少期に母と死別した大臣・藤原房前(子方)は、僅かな情報を頼りに、亡母終焉の地という讃州志度浦を訪れる。そこへ一人の海女(前シテ)が現れ、房前の母はこの浦の海女だったと明かす。房前の母は、わが子を藤原氏の嫡子とすることを条件に、龍王に奪われた秘宝“面向不背珠”を取り戻すべく海に潜り、自らの命と引き替えに珠を取り返したのだった。その様子を再現して見せた彼女は、自分こそ房前の母の霊だと明かすと、自らの思いをしたためた手紙を房前に渡し、海中に姿を消してしまう。
手紙には、冥途で苦しむ母の言葉が綴られていた。供養を始め、亡母に法華経を手向ける房前。するとそこへ、龍女の姿となった母の霊(後シテ)が現れた。彼女は、法華経の功徳によって救われたことを喜ぶと、女人成仏の奇蹟を目の当たりに顕わすのだった。

銕仙会 より http://www.tessen.org/dictionary/explain/ama

上記が演目概要なんですけど、
この女人成仏というものが、これを描けばもしかしてできるんじゃあないかと期待を抱いて描くに至ったというわけですね。

仏教には「変成男子」という考えがあって、女が成仏する為には一度男に変身してから成仏に至るというものなんです。
は?
tと思いますけどこれはまあ古い考えなのでそこまで目くじらたてないでくださいよ、様子見ですよ。
「Repeat after me, 様子見.」

でまあいろんな経緯からそう思うわ~と思って男性を描いてきたわたしだったのですが、結果、いや結果ってかまだ死んでないんですけど成仏できなかったんですね。
いや死んでないんですけどね!?
気が早い!様子見しろってか!?確かに!

まそんで、なんや男になってみたって全然成仏できひんやんけ、ってか男も全然成仏してなさそうやんけ、だまされたーーーーー!!!(自発的です)
ということでこの泥眼を描くに至ったと。
(ということで、ってどういうことでになったかって分かりますか?
(こんな感じで文章続きますよ。
(ゾッとしますか?

この作品を描いている数日間、女性を描いているという感覚がすごくあったんですよ。
描けている、という自覚か。
日に日に姿が顕わになってゆく女。
基本的に夜に制作していたので、闇の中で顕在化する能面の無・表情。
一筆一筆、したためてゆく中で女とわたしが通じていく感覚。
あ、女、描けたかもしれない。
そう思えました。

普段男性像を描く際に墨線に色は入れないんですが、
女性像という事で墨線の上から朱を入れています。

泥眼s.6F

手、きれいに描けたと思います。
このクッション模様なんかは液だまりを利用してラフに描いていますね。
手と対照的に見せる為です。
髪は細かく描いていません。ここがメインではないので。
まゆげはめちゃくちゃ描きました。大切なところなので。

泥眼s2.6F


さて、そうして女性画を描いたところで成仏できたかというとまだ挑戦は始まったばかりなので何とも言えないんですが、
今回描いた5点に関しまして、実は男性像にある自画像は一枚も描いていないんですね。

これ、
そう、わたしは山口百恵になるんです。

山口百恵はわしがちょっとググってこんなん方ですなんて言うのがおこがましい2000%な御方なので何にも申せませんけど。
山口百恵は女性が主役の曲を8年間謳い続けて来られた訳ですが、いろんな女性に出逢ったと。
それら(百恵さんは「分身」と表現されていた)は全てわたしではないけれどどこか必ず自分に似ていて。と。
山口百恵の曲は正確には作詞家作曲家が制作されていて、それを演じているというのでわたしが描いている絵とは違うのかもしれない。
でも厳密に言うと、私の方がわたしが絵を創作して発信しているという気持ちが実はあんまりなくて、
いや、わたしが創って書いてはいるんですけど、わたしは一継承者だと思っているというか歴史の中の一部だと思っているというか。

でこの、女を演じるということですがこれは女性の特性だなと感じています。
「女は女優よ!」
やなんていうけどほんとそうなやと。
女性は柔軟で、年齢によって趣味が変わってゆき着るものが異なってゆき話し方が異なってゆき、身体が変化してゆくものだ。
これは女がそうなのか女はそういうものだと言われるのかは両方あると思います。
その反面男は、小学生も50代もジャンプ読むとか言うよな。ちがったらすみません。
着物なんか顕著で、女は未婚にしか着られないもの年齢によって色柄数多いわゆる「年相応」というものがあって、それに沿うような沿わないような風に着るわけやけど、男って、色柄の変化ほぼないよね!
※だからどう、ということを言っている訳では決してない。

それは恐らく女性である私自身もそうだ。
そしてそんな女を、主観的にも客観的にも見ているのがまた、女というものである。
だから、わたしが描く女は、男を描く時とはまた違ったフィクションを描いている。
そしてそれらはどれも、美人に相当すると確信している。

更に長くなるので他4点の作品はまた続きます。


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