文章ができるまで

今日も昨日同様に10年前に 琉球新報さんに載せていただいたものをご紹介します。
タイトルはその時のタイトルです。こちらではほとんどの方が僕の事を知らないと思いますので、軽く自己紹介をさせてください。
すみません。自己紹介ではないですね。
経歴紹介と言いますか、昨年の10月頃まで沖縄の芸能の世界におりまして、何かしら書くお仕事をやっておりました。
その仕事に関して書いたものです。
気楽にお読み下さい。
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『文章ができるまで』

仕事がら物を書く事が多いのだが、どうやって文章を考えるのか?という質問をされる事が多々ある。その質問に対しての答えだが「いやー何もしなくてもアイデアがポンポン溢れ出てくるんだよ」や「一人夜の海を見つめボーっと波の声に耳を傾けるだけさ」などといった天才的なものは一切ない。
毎回のごとく締切に追われ、頭をフル回転させ必死に言葉を絞り出すだけである。

夜中に脳みそが活性化し面白いようにスラスラと書き上げ「これは我ながら傑作が出来たぞ!」と眠りにつき、朝それを読み直すと身震いするほどの駄作で、これを傑作と評した昨夜の自分と縁を切りたくなるというのはよくある話だ。

私は執筆をする時にまずノートに下書きをする。時にはファミレスなどでノートを広げ集中して文章を綴る。旗から見ると『何かの資格を取るために勉強を始めた男』という感じだろうか。
その下書きした文章を整理しながらパソコンに打ち込むというスタイルだが、効率が悪いのでは?と思われがちだ。そういう意見に対し私は声を大にして言いたい「まったくもってその通りだ」と。一度ノートに下書きする方が慣れていてやりやすいというのは勿論あるが、やはり二度手間感は否めない。
しかも私は下書きする際に、殴り書きをさらに崩した速記もどきの文字を使用するので、いざ清書する時にそれを解読しなければならないという三度目の手間が待ち受けているのだ。書いた本人でさえ読めないのだから、第三者が見たら外国語もしくは象形文字だと思われる可能性もある。つまり先述したファミレスの話に当てはめると私は『何かの資格を取るために象形文字の勉強を始めた男』という事になる。

そういう幾つかの段階を踏んでようやく仕上がった物にも当然加筆修正が入るので、最終的に完成するまでには結構な段階を踏んでいる事になる。
今こうしてお読みいただいている戯言のような文章も、意外と手間暇がかかっているんだという事を念頭に置きもう一度読み直してみると新たな発見があるかもしれない。但し、単なる二度手間になる可能性の方が高い。
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というやつでした。今読んでみても、あー確かにこんな感じだったなー、と思いますね。今は書く機会もなくなったのでこういう事はありませんが、noteを書くようになったので、何かしら新しいモノも書きたいですね。
ただしばらくはこんな感じでご了承下さいね。

サポートエリア?についても何もわかっておりませんm(_ _)m 感謝を申し上げればいいのでしょうか?当然そうですよね。ありがとうございます!!勉強します!!