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トライアスロンにあって仕事にないもの & 「マズロー理論」の本質について

マズロー欲求段階説」は、ビジネス研修や本などで、人のモチベーションを説明するためによく使われる

のだが、

世界1000万部超こんまり片付け本はじめ多数のベストセラーに関わる、土井英司さん書評メルマガ(2021/10/12) 冒頭部では

" いまだマズロー的欲求段階説を想定している読者に "

と書かれているように、今の心理学ではマトモに論じられていないし。発表は1954年。あなたは1950年代の教科書で世の中の仕組みを勉強したいですか? 

当時から世の中は激変した。その1つが仕事の位置づけ。

" かつて人々の自己実現の手段だったビジネスや仕事は、人々に絶対的な安心感、充足感をもたらすことができなくなりつつあります "

という変化がある。67年前に書かれた教科書はいったん閉じて、「現代ビジネス人が今、高いモチベーションを向けているもの」に注目したほうが現実的ではないかな?

とはいえ、古いからダメとも思わず、実際まあまあ当たってるから使われ続けているわけで、使える部分は使いたい。

そこで僕の仮説は:

マズロー理論の本質は、段階(ピラミッド)ではなく、
循環(サイクル)である

その上で、「トライアスロンにあって今の職場にないもの」という、土井英司さん10/13ツイートで投げ掛けられた問い:

無謀にもチャレンジしてみると、その1つは、

どれだけ成功しようが、いつでもゼロから動き始める体験

ではなかろうか?

マズローの欲求5段階説

人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されており、生理的→安全性→社会性→自我→自己実現、の5段階で、低ランクの欲求がおおむね満たされると、欲求対象が1ランク上に移る、という心理学理論。とてもわかりやすい(気がする)

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アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908~1970)が、12人の成功者へのインタビューをもとに、1954年に発表。そう、ほんの12人の話から作られたのだ。それでも67年間にわたり説得力をもっている。すばらしい洞察力。

マズロー理論がこれだけウケるのは、

1.わかりやすい図
2.宗教的美しさ
3.ビジネス的な使い勝手の良さ

ではないだろうか? 

1.わかりやすい図、これはわかりすい(笑)。現代の情報過多時代にもウケる。

2.宗教的美しさとは、人生には自己実現という究極のゴールがある、という教義めいたところ。

3.ビジネス的な使い勝手の良さとは、たとえばバイトにトイレ掃除させるのに、「人は生理的欲求が満たされることで…」等等と大きなゴールを示すことができる。「レンガ職人は単にレンガを積んでいるのではない、みんなが集まる教会を作っているのだ」的な大きな絵を見せることができる。

トライアスロンを説明できない?

僕は2010年から自ら競技者としてトライアスロンの現場で観察してきた。2013年、「トライアスロンの社会学」を法政大学田中研之輔教授のもとで研究テーマに選び、いろいろな理論をトライアスロンにあてはめてみた。すると、マズロー理論はいきなりつまづいた。

なぜなら、トライアスロンはマズローの底辺
!@@!

トライアスロンとはどんな競技かというと、

Swim: いきなり海に突き落とされて人間洗濯機にもまれ溺死の恐怖
Bike: 上陸したら素肌露出したまま高速自転車で全身大根おろしの恐怖
Run: 最後ランニングでは熱中症ゆであがりの恐怖

と、マズロー階層の底辺=安全の欲求を脅かし続ける行為なのである。

それを、ピラミッドの上位にいそうな人たち〜たとえばIT起業とかに成功して億った人たち〜が、わざわざやるのは、理論を覆す反例ではないか?

日常生活に注目すればトライアスロンを説明可能

ただ、いわゆる市民アスリートの日常生活に注目すれば、マズロー理論でも、トライアスロンを説明することができる。

1&2.日々のトレーニング(あるいはレース)の身体的苦痛により、「生理的欲求」「安全の欲求」が刺激され
3.利害関係のないチームメンバーとの交流には「所属の欲求」があり
4.完走によりトライアスリートの称号を得る、などの「承認・尊厳の欲求」があり
5.短期的には大会ゴールでの達成感、長期的にはたとえばアイアンマン・ハワイ出場、トライアスロンと事業との両立など、より高次の目標を追求することで、「自己実現」に近づく

このように、マズロー理論も、ターゲットを一部に絞れば、いまだに有効ともいえる。ただ、現代人の生き方全体をとらえることができない。

「循環するサイクル」なら全体を説明できる

2013年の僕は困った。これでは修士論文が書けない。でも困っているうちに、振ってきたアイデアが:

現代社会において「欲求」とは、マズローが想定した一方通行の「段階」ではなく、常に達成されることなく循環し続ける、いわば「欲求サイクル」へと変質している

最初のスタート地点は生理的欲求だとしても、自己実現はゴールではなくて1つの通過点、ふたたび生理的欲求に戻って、進んでいくイメージ ↓

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なお、この順序はたぶん柔軟で、たとえば生理的欲求をクリアするプロセスがSNSとかでバズっていきなり承認を獲得できる、という場合もあるだろう。

2013年の僕は、こう仮説だてたら、スッキリした。マズロー階層の最上位「自己実現の欲求」を達成した(ようにみえる)成功者たちが、次に向かうのが、欲求段階の最低レベルさえ充たされない身体的苦痛を伴うマゾヒスティックな状況へと意図して身を置くという状況が。

こうして「欲求サイクル」と捉え直せば、現代人の全体を説明することができるのではないだろう?

結論:このタフな身体活動に参加することによって、

・自身を「欲求ピラミッドのスタートライン」に置き直すことができ
・「欲求ピラミッドを上昇する達成感」を確実に獲得できる

これがトライアスロン的なものの、現代人にとっての意味。これはマラソンでも(最後の10kmとか)、登山でも(普通に死ぬ岩山とか低山でも悪天候とか)、その中間なトレイルランニングなどでも同じく。

「トライアスロンに学ぶ働き方」とは何か?

最初にも書いた、「トライアスロンにあって今の職場にないもの」とは?

ここまでのnoteから1ついえそうなのは、

どれだけ成功しようが、いつでもゼロから始める気持ち

ではなかろうか?

ここでのゼロとは、生理的欲求のレベルから、身体を動かして進んでいく感じのこと。

たとえば、カレーハウスCoCo壱番屋創業者の宗次徳二氏。東証一部上場、さらにハウス食品への売却により個人資産は軽く数百億円。朝3時55分に起き、私財28億円を投じて建設したクラッシク音楽ホールの敷地の掃除をして花壇に水をやり続ける。(写真はNHK 2021/5/25「ココイチ創業者が語る“現場徹底主義”とは」より)

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朝練だ。

個人商店のカレー屋さん時代から自ら続けてきた習慣、こうして彼は会社を成長させてきた。Zeroな時代の自分自身を、清潔空間の確保という生理レベルでの身体活動をもって。確認しているようでもある。

あるいは、

誰もが最初は「ゼロ」からスタートする。
失敗しても、またゼロに戻るだけだ。
決してマイナスにはならない。
だから、一歩を踏み出すことを恐れず、前へ進もう。

という、堀江貴文さん2013年の『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』の考え方 ↓

ちなみに『ゼロ』という本、当時ゴーストライター作だと叩く奴もいたようだが、それ無知で、担当ライターは公開されてて、今や大物の古賀史健さんだ。彼が今春だした『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』はすごい本で

著名人が絶賛するだけのことはあり

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僕自身が14.5万字の本を書いた体験からも、共感できる部分、僕の甘さを痛感させられる部分、多数ありすぎて震えた。

1年に渡る長い長い執筆、ついに完了。1月はじめ10万字であらかた見えたつもりが、残り2割の仕上げが難しく、またエキサイティングであった。当時の文は大幅に書き換え2週前に一度提出するも、気になって戻してもらう。すると "言の葉の神"...

Posted by 八田 益之 on Tuesday, May 30, 2017

2017年の初夏、けっこうがんばって書いたのだが…オレは弱かった、、泣

ケンリックの欲求ピラミッド?

進化心理学者D.Kenrickが2010年に提示した新しい人欲求階層理論:

これ、人のライフサイクルに沿った行動を説明しているが、マズローのような汎用性がない。マズローならたとえばトライアスロン出場体験のような場面すら(部分的に)説明できてしまう。

あと、ケンリックのはブルデュー社会学と一致していると思う。「ディスタンクシオン」により地位を獲得し、「ハビトゥス」により親族養育し、究極のゴールは「階級再生産」。

ある面では、少しむずかしいブルデュー社会学を、ライフキャリア論の視点から、わかりやすく図式化したもの、ともいえる。


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