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本日の散歩日記

この世界の人間は2つに分けられる。

散歩をする人種と、散歩をしない人種だ。

私は前者であり、この自粛期間で、私の散歩習慣はさらに強化されていた。


しかしこのところ、研究と就活に爆・追われしていたため、散歩する時間も惜しいと思うようになっていた。

本日も例にもれずパソコンと格闘していたわけなのだが、ひと段落ついてしまうとやる気がなくなってしまったので外に出た。ちなみに、まだやることは山積みだ。かなしきかな。

しかししかし、久しぶりに散歩をすると世界がひときわ新鮮に思われた(おおげさである)。

散歩は人生を彩ってくれる。たぶん。


これは私が時間に追われまた散歩の時間をケチりだした時に外を歩くためのnoteである。


散歩というものは不思議だ。

学校への行き道ではまったく気づかないものが次々と目に飛び込んでくる。

”歩くこと”と”学校に行くこと”、目的が違うから当然と言えば当然なのだが。


チェリオの自販機の、白に赤のストライプ。

洗車に出したてにちがいない、ピカピカの青い車。

塀に使われている気の、100歳はいっていそうな木目。


そんな、いつもは見過ごしているものをひとつひとつ観察しながらふらふらと歩いていくわけなのであるが、今日は大収穫があった。



たまたま通りかかったお家の郵便受けに、”ごくろうさま”と書いてあったのである。

そんなことを思いつくのはどんな優しい人なのだろう。

神ホスピタリティを持ち合わせた神様のようなお方にちがいない。


私は元来ものぐさな人間なので、ベッドでごろごろしているときに宅配便が来れば、

「え~今なん~」

と思いながら立ち上がるのがやっとである。


それでもひとたびドアを開ければよそいきスマイルで「ありがとうございました!」と礼を言うのであるが、これではドアの前まで来てくれる宅配便の人にホスピタリティを発揮するのでやっとだ。

ポストに封筒を入れておいてくれる人にまでホスピタリティを発揮しようだなんて、思ってもみなかった。

きっと郵便局の人も、ホッと一息つけるにちがいない。


件の家の”ごくろうさま”は後付けなどではない、POSTと時を同じくして書かれたものだ、というのは見ただけで分かった。

その神ホスピタリティを見習ってうちにもつけたい、などと思ったがマンションのポストでうちだけつける勇気はないのであった(チキンだ)。


将来、夢のマイホームを建てる際には設計段階からポストには”ごくろうさま”をつける算段でいこうと思う。



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