脱 「ねばべき」
やらなきゃいけないことがある。
でも気が進まない。
そんな時、どうしていますか?
私は、「やらねば」「やるべき」と、
気持ちが伴っていなくても頑張ってやってしまいます。
でも、実は言いたいことを我慢していたり、
自分がやればいいんでしょ、と自己犠牲的だったりします。
「やらなかったらどうなるの?」
と、質問を投げてみたら。
頼まれごとだったりすると、
やらなかったら信用をなくす、とか
無責任だと思われる、とか、
そんな理由が出てきます。
頼まれごとだったらやるけど、自分の用事だと
「今日はもうめんどくさいから次回でいいや」
と、簡単に先延ばししたりします。
結構、自分との約束を破ること多いかも。
自分の「パターン」がみえますね。
朝から晩まで、日常は「ねばべき」に満ちています。
気が進まなくてもやらなきゃいけないことがたくさん!
それでは気が重たくて仕方ない。
「ねばべき」の観方を変えたらどうでしょう。
物事に意味づけ、価値づけをしているのは自分。
意味づけ、価値づけには、自分のパターンがある。
私なら、「人によく思われたい」がある。
そこから一歩進んで、相手に喜んでほしい、
そして、自分にとってもこれをやることで成長できる、など
新しい意味価値を見出してみる。
きっと「気づき」や新しい「出逢い」があるはず。
自分との約束も守ることで、
自分を大切に扱うことも意識していきたい。
脱 ねばべき
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