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#岡村隆史 炎上を冷たい雨のニューヨークで思う

ニューヨークは厳しい外出制限が始まってから1ヶ月が過ぎ、窓から眺める風景の中に花をつけ始めた街路樹を見つけると、外に出られないもどかしさを感じる季節になりました。でもきょう日曜日のマンハッタンは朝から曇り空。少し前から風の音が聞こえてきて、窓を開けると勢いよく小さな雨の雫が顔にぶつかりその冷たさにちょっとショックを受けてしまった。まるで「ザンネンでした、またどうぞ」と街が言っているような気がした。


そんな日なので少しザンネンな話を書こうと思う。


日本のお笑いタレントの岡村隆史氏のラジオでの発言をめぐってSNSなどで炎上しているとSNSで知った。自分の耳で岡村氏の発言を聞いていないのだけれど、丁寧に書き起こしている人がいてそれを読んだ。それに対するさまざまな意見もできるだけ丁寧に読んでみた。岡村氏の擁護派も含めていろんな角度からのけしからん!という意見が溢れている。気を緩めると"炎上ループ読み" にはまってしまい思考が止まるので、スマホを手放して考えてみた。

自戒を含めて、相手を尊重する正しい姿勢と人を平等にとらえられる確かな知識を持つことの重要さをこの炎上で改めて痛感する。そんなのあたりまえと思いがちだけれど、これを自然に身につけられたという人は非常に恵まれた環境に育った数少ない人だと思う。少なくとも私はガツンと鼻柱を折られて見えない鼻血を流したり、自分なりに勉強をしたり知識を広めたりして思考を修正してきた。それでもニューヨークに拠点を移した当初はそれまでの自分の浅はかさを思い知り、穴があったら入りたい気持ちになった。人との距離のとりかたや差別とはどういうことなのか、こっちに来て、初めて生活レベルでぐっと近くなったからだと思う。


岡村氏の発言に関しては個人的にとてもザンネンでした。人が窮地に陥ることを冗談のネタにするのは趣味が悪いし、特定の職業に偏見を持たせるような言いかたは意識が低くて、時代遅れ。「チコちゃんに叱られる」は日本のテレビ番組の中で数少ない好きな番組の上位で、彼の本業は見る機会がこれまでないものの「チコちゃん...」から受ける人柄は好感が持てていた。それは制作側がコントロールしていたということになるのかな。       そして、岡村氏の今回のラジオでの発言内容とは別に私が思ったのは、氏が話したのが性風俗の話でなかったらこれほどまでに炎上しただろうか、ということ。


そんなことを考えていたら昔に読んで私がハッとさせられた、向田邦子のエッセイを思い出した。もう手元にその本がなく、記憶で書くので正確でないかもしれないがあらすじはこうだ。向田が住んでいたマンションに定期的に1戸1戸訪ねながら古新聞や鉄くずを集めに来る男性がいた。向田はその姿をなぜともなく見てはいけない気持ちをもちながらも顔が合うと挨拶したりねぎらいの声をかけたりしていた。ある夜、向田が好んで出かける小料理店に出かけた。するとカウンターの反対側に身なりの整った男性が自分と同じように静かに料理と酒を楽しんでいる。彼女と目が合うと紳士的な笑顔を見せる。向田はどこかで見た顔のような気がするが誰だかまったく思い出せない。食事を終えた先方が帰り際に彼女に声をかけてきて彼女は気づく。いつも古新聞を集めに来る人だった。そこで向田は思う。男性の仕事を勝手に「自分より下の仕事」と決めつけ、自分が来るような料理店に来ないだろうと思い込んでいたのではないかと。そして自分が男にかけていたねぎらいの言葉は、自分の方が恵まれていて申し訳ないという、世間知らずの思い上がりからくる言葉ではなかったかと。

自分が誰かの発言を聞いて腹が立ったとき、なぜ自分がそう感じるのかこれまで以上によく考えようと思う。

雨はまだ続いている。


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