何も考えないための映画「ブラックホークダウン」

墜落するヘリの元祖


舞台は92年のソマリア、アメリカが世界の警察としてあちこちに派兵していたころの話です。国連軍もこのころは機能していたので出てきます。飢餓のための人道支援品を強奪し、武装資金にしている現地の民兵のボスををアメリカが急襲作戦で捕まえようというお話です。よくある複雑な情勢化での国際政治のふるまいが舞台の前提になっていますが、この映画は紛争や海外派兵について考えたいとか、反戦だとか、そういう人にはぶっちゃけ向いていないと思います。なんでかというと、全体に絵面が良すぎて何かを考えるには良い意味でストイックさが全然足りてないのです。

映画の途中からはデルタ+レンジャーのみなさんとソマリア民兵のみなさんがばんばん撃ち合ってるだけで、ヘリが堕ちただのトラックが通れないだの、重症だの、細かくはありますが話の大きな転換みたいなのはありません。弾も人もあきれるくらい出てきて、誰が次被弾するかわからない高めのテンションが続き、どういう成り行きを通っても、こうなっただろうなあという感じなので、深読みも不要です。出てくる人物も初見には多すぎるし見分けがつきづらいし、民兵にとられたデルタの人質のことは字幕で完了してしまいます。見終わるころには正直人質のことを忘れているくらいで、ようするに政治のようなことにはほぼ重心が置かれていません。

では何がこの映画を見てしまうのでしょうか。この映画のすごさは、飽きさせないカット割、何をしてるのかわかりやすい画面のレイアウト、いい感じに差し挟まれる対話のパンチライン、CGで作られたという土煙、それらの編集と演出のうまさです。それだけでぜんぜん大丈夫の映画です。がっちり没入して、ラストはマラソン大会で国立競技場にゴールというなんでこうなったのかよくわからんけどオリンピックのフルマラソンを見たあとのような達成感を味わい、冷たい水を飲んだりしながら長いエンドクレジットにのっかったジョー・ストラマーの歌をみんなで歌うんですよ。

ところどころで取ってつけたように彼らは「なぜ戦うのか」や「戦場でどういったメンタルでいるべきか」といった、ためになりそうなならなそうな非情な話をするのですが、そういうのより「アイリーン」とか「腹減ってる奴いるか?」とか「俺たちさ!」といった、他のセリフでも代用の効きそうなセリフのほうが心に残るのも、編集と演出がよすぎるせいでしょう。

デルタのかっこいいお兄さん、フートは「仲間がいるから戦場に戻る」とか言ってましたがこの人は他人の体力とかには考えがまわりません。自分で言ってましたがついていくと大変な目に遭います。サンダースも死傷者がいようがいまいが、ゴリゴリに前へ進むタイプなのでsan値がいくらあってもたりません。しかし、こうしたデルタの先輩たちは人(マックナイト)の話も聞けますし自信と余裕を忘れません。彼らは相手が民兵数百人でも二人で乗り込むことさえ恐れません。これもうヒロイズムとかそういうのじゃないです。ノーワンレフトビハインド。彼らを先導に据え、なめプのつもりがガチだった状況に怯えながら励まされながら使命に燃えるレンジャーたちの初々しさ、判断が遅い上官、絵に描いたような民兵のボスの貫禄、弾帯をギラつかせた民兵の長い足が躍動する様子、静寂の砂漠に不穏を伝える黒煙、ざわつく海のコントラスト、動じないパキスタン軍の人、闇夜に炸裂するリトルバードの一斉掃射。リサ・ガーランドの大地のような歌声。そうしたすべてが無駄にエモいのです。不謹慎なのを承知でいうと最高なんですよ。全部のシーンを語り倒したい、そんなかっこよさがあります。ああもう最高

アメリカは一時期確かに戦争が国を代表する産業でした。どの時代でも映画はそれを何の忖度もなく描き出しました。リドスコはイギリス人なので、余計こと反省とか賛美とかと一歩ずれたところから好きにできたんだろうなあと思います。

デルタのお兄さんたちがかっこよすぎて不謹慎かもしれない描かれ方のせいか、いわゆる名画としてとりあげられることが少ないかわりに、サバゲーマーのみなさんには熱狂的に支持され、FPSではオマージュが量産されました。ヘリが落ちればブラックホークダウンと言わずにいられないし、長い筒をかついだらRPGなんですよ。 応援上映などメタな楽しみ方も提示されたシンゴジラに近い受け入れられ方をしているとも言えるでしょう。

職場でのストレスが高まっていたころ、この映画を毎晩流しっぱなしにしていました。これを流していると、昼間にあったことを結構忘れられました。戦争が起きると精神疾患の患者が減るという研究があるそうですが、本当かもしれませんね。個人的に大変救いになりました。自分もチームの2年で半分が離職という嫌な状況にありましたが(上官は三人飛んだ・一人は横領疑い有)、まだ前線で生き残ることができています。ありがとうリドリー・スコット監督。

50をすぎて転職した私のチームは新設でしたが、どうにも経歴を盛りまくっている人が多く、最初の自己紹介どおりの実務をこなせるのは今でも私を含めて二人だけの状態でした(今もほぼそんな)。新卒同然なのに妙に自信のある若手、学歴のあやしさをはじめ、逃げ回っていた人ばかりがか集められたようなチームでした。ミッションがおりても、言い訳ばかりでみんな逃げ回ってしまい、しまいには出社もサボり、就業時間中堂々とお見合いと転職活動に励んでいなくなり、クビを言い渡されてパワハラだと会社を逆に訴え、今もいつ解体されるかという場所です。ここにいて思うのは、無駄だとわかっていてもやらないといけない時もあるし、コスパとかタイパとかやりがいとかどうせダメなのにやるのは頭が悪いとか自分のキャリア形成がとか言って逃げ回っても時間のほうが先に逃げていっちゃうことです。無駄だとわかっててやることで得られるデカいものというと、周囲からの信頼です。失敗したことは次からは自分はやらなくてよくなるし、失敗はともかくこれならできんじゃね?と次のチャンスをもらえますが、逃げ回ってた人は何もやらせてもらえないまま、年をとって経歴が詐欺のような状態になっていくだけです。グライムズのように、やったことがなくても腹をくくるしかない時はあるし、エヴァーズマンのように、やってみてマジでダメだったことを実感をもって語れるかどうかは、接していてわかってしまうと思います。

アメリカはこうした戦争映画を量産してきた歴史がありますが、戦争が対テロや紛争対策に移ったこととFPSの登場でそっちで働く人も増えているかもしれません。日本が世界のゲーム市場を席巻していたころ、アメリカでは大人数で遊べるエンジンの開発が進められており(ピカチュウを焼いたりもした)、10年代をすぎるころにはパッケージされた日本のコンシューマーゲームはほぼ滅び去りました。また、こういったゲームは、映画より監督の独裁色が少ないでしょうから、働きやすいかもしれないですしね。(昔の日本のゲーム業界は地獄度が非常に高かった・工程管理とか労基とかそのようなものはなかった)ウクライナで大国同士の正規戦争が起きてしまったので、アメリカの映画業界もまた変わっていくのかもしれません。

ソマリア内線でアメリカ兵の遺体が市中引き回しになったというニュースは当時はTVで当たり前に流されていたので知っていましたが、今ならもう流さないかもしれないですね。その前の湾岸戦争で、RPGでヘリを撃ち落とすのを山岳ゲリラのみなさんが実演しているのもTVで流れていました。あの頃はまだ「なんやかんやあって1999年ハルマゲドンくるんじゃないか」という不穏な時代でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?