正義と無関心と愛と、そしてデデデデ(ネタバレあり)

映画デッドデッドデーモンズデデデデデストラクションを見に行きました!めちゃくちゃ面白かったです!そしてやはり浅野いにおは凄いんだとわからせられた。

私は映画版デデデデしか見ていませんがどうやらこのアニメ映画は原作と結末が違うらしいですね。それでも原作ファンにも結構ウケが良いみたいなので、全体的に力の入った映画だったなぁと思います。

何よりも面白いのがこの映画、色々な視点の感想を見られることですね。そういう意見を引き出せるのもまた名作である理由だなぁ、と思いながら私の感想をここでブツブツ呟いていきたいなと思います。

ここからネタバレが入ります!

・これは冷笑映画なのか?
Twitterで見たデデデデの感想の中には「この映画は冷笑的である」という意見も沢山ありました。面白い!
そういう視点で見ると、デデデデはかなり冷笑の意味が込められた映画ではあると思いますが、特定の何かを冷笑しているというよりは人間全体の動きを冷たい目で見ているように感じました。

映画デデデデでは正義の暴走がよく書かれていました。小比類巻くんの行き過ぎた侵略者退治、竹本ふたばちゃんは実弾の入った拳銃を持ってしまうし、別世界の門出は侵略者の道具を手に入れ正義感から暴走してしまい最終的には罪悪感により自ら命を経ちます。

このように色々な人間がいる中で、では何故人はこんなにも暴走してしまうのだろうか?と考えました。

それはやはり人々の無関心さがひとつの原因なのではないかと思います。

・政治に無関心な人々と暴走する人々。
現代日本において政治的主張を行える人というのはどうしても「ある程度空気が読めない人」のみになってしまいます。
何故なら空気が読めてそれとなく周りのことを察せられる人は政治の話をしない方が良いとわかっているからです。
そしてまた空気の読める人々が「あの人は嫌だね、政治の話なんか。もっと楽しい話をしようよ」と呟くことによって空気の読める人はああ、自分の政治的考えは表に出してはいけないんだな。場の空気を壊してしまうからと学びます。これが普通でしょう。しかし空気の読めない人はそうではありません、空気を読まずにガンガン政治的発言をしていきます。

当然ですが空気の読めない人々は嫌われてしまいます。

そうして孤立した空気の読めない人々は社会における空気の読めるマジョリティに理解はされず仲間内で慰め合い意見を交換していきます。そうするしかありませんからね。
しかし社会から受け入れられない中で狭いコミュニティに長時間滞在すると恐ろしいことが起こります。そう、上記で話したような正義の暴走です。
彼らは社会から受け入れられないのですから暴力に走ります。そうしないと自分の声は聞いて貰えないからです。
そしてまた悲しみが生まれる、その繰り返しです。

映画デデデデにおける正義の暴走とはそういう社会との噛み合いの悪さ、そして無関心から生まれたものでは無いかというのを強く感じました。
政治家もその場しのぎの嘘を言うのに耐えられなくなりテレビで本当の話をしようとしたらCGに切り替えられ、その挙句「あなたは顔が国民的キャラクターに似ていて人気だから政治に関われているだけだ。あなたの顔以外は必要ない」と話されていますね。この発言により国民の政治に対する無関心さが理解できます。長い間、侵略者が空に待機している緊急事態なのに政治に対してこんなに無関心であることを見させられると、逆にリアルだなぁと思いますね

国民たち全員が侵略者に対して真面目に思考して意見交換をしたら滅亡は防げたのでしょうか?侵略者側にもかなり事情があったらしく、大葉という存在もいたので可能性はあったかもしれませんが、あくまでももしもの話なので次の話に移りましょう。

・無関心とおんたん、そして大葉と門出。
そしておんたんはこの映画内にいる”無関心な人間”のひとりでしょう。彼女は政治的主張を行うふたばちゃんに対して時々冷たい目を見せます。
それでもおんたんの意見はたまに鋭くて刺さるんですがね、そういうところが好き!

おんたんはデモやふたば、そして政治的主張がぶつかる喧嘩に対して時々冷たい目を見せますが、彼女は過去に別の世界で正義の暴走をした門出が死んだことに対して深い悲しみを覚えています。そして「たとえ世界が滅んだとしても門出がいる世界を選ぶ」と話して別の世界に飛んでいきました。

ここを見ると、やはりおんたんという人間も愚かなんだなと感じました。おんたんが特別に愚かなのではなく、どこにでもいる普通の愚かさなのです。
おんたんだけではありません、キホが死んでしまった時に門出やおんたんなどの女子高生組はまるで自然災害に巻き込まれたかのように話しました。しかし、その事故は決して自然災害ではなくこの世界における自衛隊の判断ミスでもあるのです。

話を戻しましょう。おんたんは門出を自殺にまで追い込んでしまった世界の空気感に対して怒りを覚えたでしょう、しかし彼女はどちらかというと門出を追い詰めた”無関心な人々”と同じ枠なのです。
彼女は命を投げ出さない程度に世界を変えようとする人間に対して無関心だったり冷たかったりしますが、いざ大葉が命を賭けて世界を救おうとした時は涙を流しましたし、門出が死んでからはとても落ち込みました。誰かの死が近付かないと彼女は世界を変える行動に対して感情的になれないのです。

そしておんたんの兄、中川ひろしも同じです。インターネットにいる意識高い系を攻撃していた彼は最終的に政治家のニュースを信じることをやめて東京を脱出しようとします。
結局、脱出は間に合わず無関心と暴走の代償を払うように東京が爆発してひろしも死んでしまうのですが……ここはとても悲しかったですね。

おんたんはきっとこれからも、門出の死も大葉の命の危険も、全ては人々の無関心の代償であり自分がそれの一員であることを理解できないし自覚しないのでしょう。
だってそれが普通なのですから。

それでも皆にある良心と愛。
人々は普通に無関心で普通に冷たく、そして普通に愚かです。

だけどそれだけではありません。

おんたんはふたばちゃんの政治的主張はあまり好きでは無いように見えますが、それでも大切な友達と接しています。
別世界では門出の死を深く悲しみたとえ大きな犠牲を払ってでも助けようとします。
そして大葉という本来ならば討伐されても仕方ない侵略者という存在を暖かく家に迎え、対等な存在として対話をしました。

彼女たちは良心を持った一人の人間として、誰かを愛して誰かを救っていました。
そんな普通の優しさと普通の良心に触れることができた大葉はおんたんのことを愛しましたし、そして人間と侵略者の共存を選択をしました。
これは本当に凄いことだと思いますね。
ひろしも大葉をおんたんの彼氏として紹介された時、大きなショックを受けますが最終的には受けいれ優しく接しました。

この世界にいる人間は本当に普通です、おんたんも門出もひろしも渡良瀬も一癖ありますが、探せば居そうな程度の人間です。普通であり個性があり、そして普通に愚かで普通に優しいのです。

デデデデという映画は人間の愚かさを顕著に書いています。だけど、それだけじゃないんだよということもしっかり伝えているような気がして、この作品は人間嫌いにも人間好きにも心にすっと刺さっていくようなものでは無いかと感じました。

正義と無関心と愛と、そしてデデデデ。
普通の人間達が普通に破滅していく様子を生々しく見られる、名作アニメ映画だったと思います!

色々な人の感想を見てまた楽しんでいきたいですね!

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