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方丈記私記[平成]

No.002 / 2017.5.15

「私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、また、解釈でもない。それは、私の、経験なのだ」(堀田善衛「方丈記私記」)

この文章を堀田善衛は『方丈記私記』の頭に置いた。
私も、そのままこう書いておこうと思う。

私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、鴨長明の『方丈記』もしくは堀田善衛『方丈記私記』の鑑賞でも、また、解釈でもない。それは、私の、経験なのだ。

さて、なぜ今『方丈記/方丈記私記』なのか。
そんなことはわからない、というのがその答えだけれど、そもそも東日本大震災が起きてから『方丈記』が気になり始めたわけではなく、『方丈記』の映画化は、映画『ハトを、飛ばす』と同様に東日本大震災の前から考えていたことだった。つまり、『ハトを、飛ばす』と『方丈記』のことをつらつらと考えている最中に、私は、東日本大震災を経験したのだ。

私が経験した東日本大震災の前に、私を含めた「われわれ」が経験した東日本大震災のことをまずは記載しておきたい。

平成23年に起きた東北地方太平洋沖を震源とする地震のことを、現在ではおおむね東日本大震災と呼んでいる。発生した月日から311と呼ぶこともある。アメリカで起きた同時多発テロが911と呼ばれたことに起因していると思われるが、これは、この事件が人々の脳裏にひどくこびりつていることを物語るだけでなく地震によって誘発された原発事故という人災(テロリズム的な混乱)の側面と重ねられている可能性もある。

被害を数字で計ることはもともと難しいことである。遺体や行方不明者の数を数えるか、倒壊した建物の数を数えるか、それくらいのやりかたしか思い当たらないのは私も一緒である。その数、警視庁の平成29年6月の発表で死者15,894人、行方不明2,550人、負傷者6,156人、建物の全壊121,770戸、半壊280,286戸、全焼半焼合わせて297戸、浸水した建物13,583戸。平成24年2月、つまり震災からほぼ1年が経った時の警視庁の発表で死者と行方不明をあわせて19,131人。現在の発表の18,444人と較べ700人ほどの開がある。

避難生活によるストレス死を含む震災関連死という言葉があって、その数は、復興庁の発表によると平成29年6月の段階で3,591人。さらに原発の被害に限っていうと平成28年3月の東京新聞による集計では1,368人。警視庁の調査で死者行方不明者の数が年々増えてゆくのならわかるけれども、減っていることの意味は私にはよくわからない。扱っている対象が違う恐れがある。さらに、復興庁の数字に原発事故の関連死が含まれているのかはわからない。放射能の影響による健康被害を国はほとんど認めていないので、それをどのようにこれから計っていったらいいのか、私には今のところ皆目見当がつかない。

ある側面で、被害は被害者が語るしかないのかもしれない。時にそれは長い時間の沈黙となって現れる死者の声も含めてなのだが、被害者が被害を語ることを許すということ、「わたし」と「あなた」との間において実践されてゆくことが、私は、とても大切だと思う。それを許す「わたし」と「あなた」との関係を「われわれ」と呼ぶのだと思う。

(注釈)『方丈記私記[平成]』は、2017年の6月から2020年の11月までの3年の間に書かれたものです。『方丈記私記』というタイトルは堀田善衛の著書から引かせていただいております。また、画像も堀田氏の文庫本の一部をキャプチャーしたものです。

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