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祈る「場」の多様性と抱擁性

最近は宗教のことがニュースでも話題になりますが、この話題といえば個人的には、先日仕事の帰りに寄った築地本願寺と、たまたま最近見つけた四国二十二番札所平等寺のライブ配信が結構興味深いです。

じっくりと入ったことない築地本願寺でしたが、本堂に入ると広い空間に椅子が並び、祈る人もいれば休む人もおり、他にも参拝記念のカードを持ち帰ったり、敷地内のカフェでコーヒーを飲んだりと、祈りの場は憩いの場、ある意味での救いの場でもあると言う今までに感じたことのない印象を受けました。もちろんきれいなトイレもあって助かりました。

一方で、YouTubeのおすすめになぜか出てきた 四国二十二番札所平等寺は本堂を2020年から24時間ライブ配信しており、法会の様子もそのまま配信されるほか、専用サイトから祈祷を送るとご本尊の前にあるタブレットを介してご本尊に届くというシステムもあります。
6時から朝勤行があるので寝る前に配信をつけておくと勤行の声で朝起きれるかなと思ったのですが案の定起きれませんでした。

この2つの「場」から改めて気づかされるのは、もともと祈りと言うのは日常に在していて、プラットフォームでもあると言うこと。足を運び訪れて憩うこともできれば、家のタブレットからすぐに繋がることもできる。大昔から言われていることですが、改めてその基本を気付かされつつ可能性を見出されたようで勉強になりました。

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