マルハラスメント

マルハラスメントって、最近よく聞くよね。

文末の『。』が怖いんだって。
圧に感じるんだって。

これ、私も実際怒られたことある。
十年以上前の話なんだけど。

私は文章として捉えているので、メッセージのやり取りも『。』で終わっていいと思ってる。
そして返事を返さなくていいと思うタイミングが人より早いみたい。
だってさ、既読表示があるからさ、相手は読んだことは分かるじゃない?
駄目だったら異論を唱えるわけじゃない?
それがないってことは『了解』と同義じゃない?
そのやり取りするの、つい億劫になっちゃって。

そもそも私、メッセージのやり取りあんまり得意じゃないし好きじゃない。
だからなるべく早く返すけど、なるべく早く終わらせたい派。
そして基本文字だけ返信してた。
意思の疎通をしたいだけだから、文字で良いと思ってた。
普通に顔合わせたって、言葉だけで会話するじゃん。
それと一緒だと思ってた。

だけどあるとき、友人にそれ、怒られたんですよ。
「素っ気なさ過ぎる」って。
「せめて文末に絵文字を使え」って。
「返事返したくないならスタンプで『読んだ』という意思を伝えろ」って。

私は文字の力を過信し過ぎていたというか。
絵文字、スタンプを軽視し過ぎてたのね。
「伝われば良い」と思ってたから。
でも相手にとってメッセージのやり取りも「コミュニケーション」の一環だから、出来る限り楽しく円滑に行いたいということをね、諭されたわけです。
結構厳しめに。

それから私はなるべく絵文字を多用し、スタンプもたくさん使うように改めた。
文末に絵文字入れるのが丁度良いから、文末『。』で締めることほとんどない。

だから今になって「若い人たち」が言ってるわけじゃなくて、もうずっと言われてるんですよ。
本当はずっと私のように「別に『。』は締めに使う記号だから、怒ってることにはならなくない?」ってしれっと言うような人たちに不満を抱えてる人がたくさんいて、ようやく「マルハラスメント」という言葉が出来たから大きな声を出してそれを主張するようになっただけというかね。

「マルハラスメント」という単語を聞いて、怒られたあの頃を思い出して懐かしくなった。
私もハラスメントする側だったなあって。
気付けて良かったと思う。
あのとき怒ってもらえなかったら私、未だに現役でハラスメントしてた自信ある。
ハラスメントする人はハラスメントだと思ってないことが大半だからね。
それを身をもって学んだエピソード。

人同士のコミュニケーションだから、出来る限り円滑に、お互い心穏やかに終える方法を常に模索すべきですよね、という綺麗な結論。
絵文字とスタンプで救えるコミュニケーションがある。
今後も気を付けたい所存です。

読んでいただいてありがとうございました。
次回以降もお付き合いいただけると嬉しいです。
それではー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?