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【一部始終】第十一話 ~落~

 その騒ぎは、『この君』の映画が公開され、タイミングを合わせて『真実』の書籍が発売されたときに起こった。
 SNSに疎い僕はすぐさまその騒動を知ることはなく、多少の間を置いて、美華子からのメッセージで知った。
『あなたの作品が盗作だって騒がれてる』
 心臓がきゅっと握り潰されたような感覚だった。息も出来なくなり、背中からわっと汗が流れた。手足が震え、その場にへたり込んだ。
 頭に浮かんだのは占い師の笑顔だった。
 呼吸を整え、震える手でスマートフォンを握り、ようやく『野々村太陽 盗作』と打ち込み、祈るような気持で検索アイコンに触れた。
 いくつかの記事がヒットした。
 口から酸っぱい液体が出そうになり、トイレに駆け込んだ。吐瀉物が盛大に流れ出た。それでも、胸はすっきりしない。
 涙目で記事を読んだ。
 どうやら『真実』の真の作者、僕があの映像で見た女性は坂本直さかもとなおという作家だったらしい。作家といっても職業作家ではない。公募に挑戦しては落選を繰り返す、いわば作家の卵の状態と言った方が近い。
 坂本直は公募に挑戦する傍ら、WEB小説サイトで投稿もしていた。一日二回に分け、毎日コツコツ連載していた作品が少しずつ評判を呼び、徐々に読者が増えていた。先週完結を迎え、連載を終えたその作品が、野々村太陽名義で出版された『真実』の内容に酷似している。果たして偶然の一致なのか──。
 SNS上の論争は今も続いていた。
『野々村太陽の新作、絶対坂本直の作品パクってる』
『読んできたけど、途中の展開も設定も違う。文章も野々村先生のもの。盗作したのは坂本直の方なんじゃ?』
『明らかに野々村太陽が得意な作風ではないよね』
『どっちかが盗作。それは確かだと思う』
 見た感じでは、僕の擁護をしてくれているファンもいるが、坂本直を庇う派閥の方がやや多い感じがした。
 金井さんから電話がかかってきた。
「野々村先生のことを疑うわけではありませんが」と、かなり低い声で僕に事実確認をした。僕はもちろん「盗作なんてしてません。オリジナルです」と答えるほかなかった。
 電話を切って、またトイレで吐いた。胃液しか出ないのに、吐き気が収まらない。
 翌日にはマスコミが、面白がってワイドショーでこのSNS上の論争を取り上げた。
 コメンテーターがしたり顔で「僕も読みましたけどね。あそこまで偶然一致することってないと思いますよ」と言った。
 僕の名が『盗作作家』として世間に知れ渡った。その事実が、悔しくて、悲しかった。
 金井さんから再び電話がかかってきた。
「野々村先生から原稿を受け取ってすぐのころに、坂本直さんが連載を始めています。原稿、誰かに見せたりはしていませんか?」
 僕は「金井さんに見せたのが初めてです」と答えた。
「坂本直さんと面識は?」
「ありません」
「ご友人づてなどから」
「ないです。そもそも僕の交友関係は狭いですから」
「じゃあ、どうしてこんなことに」
 金井さんも動揺しているようだった。
「野々村先生。本当に違いますよね?」
 僕はその言葉に傷付いた。
 金井さんも、僕を信じてはくれないのだ。
「金井さんはどう思いますか?」
 本心が知りたくて、意地の悪い聞き方をした。
 金井さんは口ごもり、それから間を置いて「また連絡します」と電話を切った。
 ツー、ツー、と響く終話音が、やけに僕の頭の中に響いた。冷たい、終わりを知らせる音。
 頭を掻きむしりたくなる衝動をおさえて、ノートパソコンに向かった。当然、書けるわけもなかった。
 よせばいいのに、僕はまたスマートフォンを手にして、自分の名前を検索した。
 昨日より明らかに記事が増えていて、昨日とは違い、ほとんどの記事が「盗作」とはっきり書いていた。連載時期が坂本直の方が早かったことから、一方的に僕が盗作したと決めつけられているものが多い。
 しかし、坂本直は毎日合わせて三百文字程度しか掲載していないのだ。最初の方のそれを読んだからと言って盗作出来るほどアイディアを盗めるかというとはなはだ疑問で、逆に野々村太陽が下書きしたものを元に坂本直が連載を開始したのではないか、と僕を庇うような記事もあった。
 記事のコメント欄には、知らない誰か同士が好き勝手な言葉を残していた。
『野々村太陽、急に売れて調子に乗ってたんじゃないの?』
『中途半端に売れた奴が、売れてない奴のアイディアパクるの、よくある話』
『この記事は野々村太陽擁護だけど、火消しの金もらってんの?』
 僕はこの人たちの顔も名前も知らない。でもこの人たちは、僕の名前を知っているらしい。
 麻痺したのか、さほど腹は立たなかった。吐き気も、頭痛も、手足の震えも消えている。急にふ、っと自分の身体から意識が離れたような気がした。
 実際にはもちろんそんなことはない。手を閉じたり開いたりしてみた。ちゃんと僕の思うように動く。でも、なんだかこれまでとは違う感じがする。
 金井さんからまた連絡があり、今から会いたいと告げられた。上司と共に僕の部屋に来るらしい。僕は了承し、二人が来るのを待った。
 硬い表情で僕の部屋に現れた金井さんとその上司、高杉たかすぎさんは、挨拶もそこそこに、本題を切り出した。
「作品を確認しました。確かに似ています。もしも違うと言っても、信じてもらうのは難しいでしょう」
「もしも」という言葉の中に、高杉さんの本心が詰まっているのだろう、と思った。高杉さんも、僕を信じてはいないのだ。
「盗作ではなく、たまたま似てしまった。今作に関しては世間を騒がせたとして弊社が自主的に出版を差し止め、回収します。これが私たちの対応です。野々村先生の名誉も、私たちの体裁も保てるギリギリのラインではないかと思います。これ以上この作品の騒動が長引けば映画関係者にも迷惑がかかるおそれがあります。一刻も早く事態を収束させるためにはこれしかありません。ご納得いただけますか?」
 高杉さんはすぐ近くにいるのに、声が少し遠くから聞こえた。
 僕は頷き、この件に対してこれ以上文句を言わない、という内容の書面にサインをさせられた。
「大丈夫です。これから挽回すればいいんですよ。野々村先生は若いので、まだまだたくさん新しいお話を書けます」
 本心だとは思えなかった。無理に明るい声を出しているのも、きっとやましい心の内を隠すためだと思った。
 高杉さんと金井さんは、僕の話を聞くことなく、さっさと帰ってしまった。
 悔しさや悲しさは湧かなかった。ざわついていた心は今、何故か凪いでいる。高杉さんの言葉は、僕の空っぽになった胸の中に、たださっと吹き抜けた風のようだ。今はもう、その温度や勢いを具体的に思い出すことは出来ない。
 少し経って、美華子がやって来た。僕はこのとき、美華子のメッセージに返信していなかったことに気付いた。
 美華子は泣きそうな顔をしていた。
「どうして返事してくれなかったの?」
「いや、ごめん。それどころじゃなくて……」
「ずっと心配してたんだよ。私が教えたのに。少しくらい、気にしてくれたっていいじゃない」
「心配?」
「そうだよ。あんなことになって」
「美華子、僕が盗作したって、そう思ってる?」
「思ってない」
 美華子は僕の手を取り、「私はあなたを信じてる」と言った。
「悠希が盗作なんてするはずない。私はあなたが苦しんできたことも全部知ってる。あんな風に盗作だなんて決めつけて、みんな、酷いよ」
 僕が何かを言う前に、美華子は僕を抱き締めた。
「私だけは、悠希の味方だからね」
 本来なら美華子の胸で泣くシーンなのだと思う。美華子もきっとそれを望んでいるだろう、と思った。
 しかし、僕は「なんにも分かってないくせに」と思ってしまった。
 美華子は何も分かっていない。
 実際僕は坂本直らしき人物のアイディアを盗んだのだ。
 占い師の水晶に映ったのは、現実の、坂本直がWEB小説サイトに連載準備を進めている場面だったのだろう。
 僕はその画面を盗み見て、それをそのまま自作に利用した。固有名詞は変えたし、文章自体は僕が書いたから僕の文体だ。しかし、『真実』は僕がゼロから生み出した作品ではない。
「初めて会ったとき」
 僕は美華子の身体を手で押して、身体を離した。
「福岡シリーズに似た作品、書こうとしてたって言ったよね。美華子」
「ああ、あれは」
 美華子の目が泳いだ。
「あれも、偶然だと思う?」
「……どういうこと?」
 もう、真実を話してしまおう、と思った。
 これまではずっと知られないように隠してきた。色んなものを失いたくなかったからだ。
 でも、急に、もう、いいか、と思ったのだ。
「これから、本当のことを話すよ」
 相変わらず、僕の意識は僕の中にありながら僕の中にない。僕は他人事のように、僕が美華子に事実を打ち明けるのを眺めていた。

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