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顔出しパネル、恥ずかしくて無理

観光地なんかにある、顔を入れて写真撮るパネル、あるよねえ。

あれ、恥かしくて顔入れられないんだよね。

せっかくその場所に行ったんだから、深く考えず顔を入れればいいのよ。
そして写真を撮ってもらえばいい。
みんなそうしてるし、何も恥ずかしいことなんかない。

でも、私にはどうしても無理なんだよ。

大体私と一緒に行く人は平気でそこに顔入れる。
ためらいなんて一瞬も持たず、なんなら「わーい」って喜んで走っていく。
母も父も親戚も、大体「うえーい」って顔入れて、写真待ちする。
だから私は毎回写真撮る役なんだけど。

どうしてそんなにためらいがないのか分からない。

だって恥ずかしいじゃない。
観光地に浮かれた人だと思われるのが。

別に思われたっていいじゃん、とも思うんだよ。
所詮は他人で、なんならその人たちだって観光に来てるわけだから、同じ穴の狢なんだよ。
仲間。
馬鹿にされた経験とかもないんだよ。

でもそれは理屈であって、私のこの本能の部分が拒否するんだよ。
「私なんかが」って思うのよ。
続く言葉が「はしゃいですいません」なのか「写真に撮られるなんて無理です」なのかは本人にも分からないんだけど。
咄嗟に出る反射ワードみたいな感じなの。
染みついてるの。
「私なんかが」思考が。

だから、カラオケは行けるけど、アイドルの曲とかも本気で歌えない。
ぶりっこ的なことが出来ない。

松浦亜弥さんとか、もうそういう路線突っ走ってる、ザ・アイドルだった人の曲、当時聞いてたよ。
てか、当時は嫌でも聞かされてたというかね。
私は彼女の全盛期に思春期を過ごした世代なんだけど。

同世代の、同じような曲を友達が歌っても、私は歌えないんだよ。

恥ずかしいんだよ。

「セクシーかキュートか? そんなの知ったこっちゃねえ」風を装って生きてきたよ。
そういう流れになっても、私は流れをぶった切ってレゲエを入れたりしてたよ。

どうしてMINMIさんが歌えてあややが歌えないのか分からないよ。
急にレゲエ入れたら、そっちの方が目立つに決まってるよ。

でも、あからさまに「きゅんきゅんさせよう」という女子特有の仕草というかそれを強調した歌詞と動きが無理なんだよ。

あややの歌詞の心境、私だって分かるよ。
一応女子だよ。
でも、そういう面を持ってる自分を知られるのが恥ずかしいといういわゆる中二部分をこじらせてそのまま大人になりました。

「私なんかが」が収まる気配がない。

「別に私のことなんか誰も気にしてない」と呪文のように唱えて自分に言い聞かせて生きてるけど、一向に良くならない。

きっと私は一生モーニング娘もあややも歌えないし、顔出しパネルで写真に収まることもない。
もうそうやって生きていくしかないかもなあ、と最近は最早あきらめ気味。

行楽シーズンになると毎回、屈託なく笑いつつ顔をパネルに入れる人の映像を見ては密かにため息をつくという暗い生活を送っています。
という告白をここで急にしてみました。
そういう人もいるんです。
どうぞご理解下さい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回以降もお付き合いいただけると嬉しいです。
それではー。


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