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【一部始終】第四話 ~再~

 アルバイトを終えた僕は、駅までの道を歩いていた。
 まどかの誕生日以降、僕らの関係は良好過ぎるほど良好だった。
 まどかの友人たちにも褒められた。「意外とやるじゃん」の言葉に込められた自然な侮りには少し引っかかったけれど、まどかがそれを咎めることもなく、僕もことを荒立てたくなかったので、気付かなかったふりをした。とにかく、まどかが喜んでくれればそれでいい。
 あのとき水晶に映った映像は、実際の出来事だったらしい。
 まどかはあの指輪を「欲しい」とは思っていたけれど、自分への投資としては高すぎると諦めていたそうだ。それでも未練が捨てきれず、何度かショップに通っては、ショーケース越しに指輪を眺めていたのだと言う。
 僕には一度もそんな素振りを見せなかった。言えば負担をかけてしまうと思ったらしい。実際僕には負担が大きく、実家に頼ることになってしまったが、それはもう終わったことだ。
 まどかは何度も「どうして分かったの?」と僕に尋ねたが、本当のことを言うわけにはいかなかった。どうせ言っても信じてもらえない。僕自身、まだ何が起こったかきちんと理解してはいない。
 最終的に、まどかは僕を「魔法使い」と称した。まどかを喜ばせるための魔法を使ったのだと。
 もちろん二人の間だけの戯言だ。
 だけど、「魔法」という言葉はやけにしっくりきた。
 あの透明な水晶に映像が浮かび上がったのも、その後のことが上手くいったのも、魔法みたいだと僕は思う。
 そう考えてみると、あのスーツの男の怪しい雰囲気も、白い部屋も、黒い小物も、艶やかな被毛を持つ黒猫も、それに本人の顔に貼り付いた温度を感じない笑顔も、いかにも魔法と相性が良いように思えた。
 シャッター通りに差し掛かったとき、僕は思わず足を止めた。『占い』の看板が光っていることに気付いたからだ。
 週三回アルバイトに出勤するたびこの通りを通るようにしていたけれど、あれ以来丁度二週間、店に電気は付いていなかった。だが今日は、看板に光が灯っている。
 僕はその看板を見つめたまま、再び歩き出した。最初に見たときのような薄気味悪さは感じない。
「こんばんは」
 店の前まで来たとき、急に占い師が現れた。相変わらず気配というものを感じない。
「こんばんは」
 占い師はにこにこと笑いながら「その後、どうですか?」と尋ねた。
 僕は一瞬悩んだけれど、本当のことを言うことにした。
「当たってました。あの占い。あのときの指輪は、彼女がすごく欲しがっていたものだったみたいです」
 占い師は細い目を更に細めて「そうですか」と頷いた。
「どういう仕組みで」
「良ければ今日も見ていきませんか?」
  僕の言葉に、占い師が言葉を重ねた。笑顔のままだが、言い知れぬ圧を感じる。
 僕は「お願いしたいんですが」と返した。
 正直まだ占い師のことは信じられない。しかし、今、僕の生活はとてもうまくいっている。それは前回の占いの結果、あの水晶の映像があってのことだ。
 あの日ここにこなければ、僕はまどかの誕生日に、当たり障りのないプレゼントを贈っていたことだろう。関係は悪くなるほどではないかもしれないが、ここまで劇的に良くなってはいなかった。
 結果的に今、僕はまどかに愛されている自信がある。それはあのとき、僕が一番望んでいたことだ。
 僕はアルバイトのたびに占い師の姿を探していた。もう一度、あの占いを試したいと思っていた。
 そしてこの、信じて良いのか悪いのか分からない状態から脱却したい。あわよくば、また、僕の人生を好転させる映像を見たい。そんな都合の良いことを考えていた。
「では、どうぞ中へ。温かいハーブティーをいれましょう」
 以前も訪れた丸テーブルの部屋で、再び占い師と向かい合う、黒猫も寸分たがわず同じ場所で、寝息を立てている。
 僕の前には以前と少し違うブレンドらしいハーブティーが供された。湯気を立てたカップを口に運ぶ。
「美味しいです」
 本心だった。占い師は「それは良かった」と頷いた。
「早速ですが」
 占い師はこほん、と咳ばらいをして、続けた。
「私の占いは、以前お見せした通りのものです。この水晶に、あなたにとって必要な映像が映る。しかし、その映像は、お支払いいただく対価によって重要度が異なります」
「お金、あんまりないんですけど」
 僕の財布には今、二千円しか入っていない。前回は初回で無料だったけれど、今日はお金がかかるらしい。それはそうだよな、と肩を落としかけたとき、「いいえ」と占い師が首を横に振った。
「金銭をお支払いいただく必要はありません。ここでは、ご自身にとって価値のあるものを提供していただいております。思い入れが強く、手放したくないもの。その思い入れが強ければ強いほど、あなたにとって役に立つ情報をお渡しできます。例えば、そう……」
 占い師は僕を見た。頭から順に視線を走らせ、その目はカップに添えたままの僕の右手で止まった。
「その腕時計なんて、いかがでしょう?」
 僕の左手が、右手に巻かれた腕時計に伸びる。
 この時計は高校生のとき、小遣いをはたいて買ったものだ。ずっとつけているからあちこち塗装が剥げている。おまけに何度直しても、三分早い時間を示す癖がついている。
「こんなもの、もらっても困るくらいの価値しかないですよ」
 僕は思わず笑ってしまった。持ち主の僕ですら、「そろそろ買い替え時だな」と思っている、ボロボロの時計。中古で売りに出したとしても、きっと値段はつかないだろう。
「ですが、あなたにとって価値がある」
 占い師は断言した。
「そういうものほど、あなたにとって役に立つ情報をお伝え出来ることになっています」
「どうしてですか?」
「分かりません」
「え?」
「そういうものだからです、としか説明出来ません。申し訳ありません」
「そういうもの、ですか」
 僕はしばし考えた。占い師はこの腕時計を渡せと言っている。価値があるとは思えない腕時計が、僕の役に立つ情報に代わるのだと。
 腕時計くらいなら、と思った。
 なんとなく手放せなかっただけで、この腕時計にさほど執着しているわけではない。いつもつけているから、ないと少し寂しいというだけだ。失ったとしても、さほど痛くはない。
「じゃあ」
 僕は腕時計を外し、テーブルの上に差し出した。占い師は胸ポケットから黒いハンカチを取り出し、腕時計を丁寧に包んだ。それを自らの傍に置くと、テーブルの真ん中に置かれていた水晶に、両手をかざした。
「では、どうぞ。覗いてみてください」
 占い師が手を引っ込めた。
 僕は一度ハーブティーを口に運び、それから深呼吸をして、水晶を覗いた。見る前から、胸がドキドキしている。
 水晶に映っていたのは、男が二人。テーブルを挟んで座っている。どうやら喫茶店にいるらしい。
 一人はワイシャツ姿の知らない男で、もう一人は、なんと僕の憧れである大御所作家、五十嵐先生だった。
 今書いている丸谷文庫新人賞のことが自然と頭に浮かぶ。きゅっと気持ちが引き締まる。それと同時に、感動もしていた。
 メディア嫌いで、テレビや動画には決して出演しない五十嵐先生が、動いて、喋っている。写真でしか見たことのない五十嵐先生の声を聞けた。それだけでもう、鳥肌が立っている。
 もっとよく見たい。僕は顔を水晶に近付けた。
「近頃の作品は」
 五十嵐先生はメロンソーダを飲んでいる。雑誌連載のエッセイで「最近メロンソーダにハマっている」と述べていたことを思い出し、更に興奮する。本人が目の前にいるわけでもないのに、僕は口から心臓が飛びだしそうなほど、緊張している。
「奇をてらうことばかりに気を取られたものが多い様な気がするね」
 向かいの男が、「確かにそうかもしれません」と言った。今回の映像ではその男の背後から、つまり五十嵐先生の正面からの映像のため、向かい合うこの男の表情は見えない。
「では、今回はそういう作品でないものの中から選ばれるおつもりですか?」
 僕の喉がごくりと鳴る。もしかしたら今まさに、丸谷文庫新人賞の話をしているのかもしれない、と思った。
「ああ、そうだね。力づくのどんでん返しはもう見飽きてしまったよ。むしろ」
「むしろ?」
 ゆったりと喋る五十嵐先生の話の続きを、顔の見えない男が促した。
 僕も、続きが早く聞きたい。膝の上に乗せた手を、ぎゅっと握った。
「新人だからこそ、愚直で小手先のごまかしのない、まっすぐな小説が読みたいね」
「愚直、ですか?」
 五十嵐先生は、左端だけ唇を持ち上げて、笑った。
「そうだなあ。スポーツとか、恋愛なんかも良いね。瑞々しい感性と今にも爆発しそうな熱量エネルギーに溢れたものが良い。きらきらした、と言ったらいいかな。希望に溢れた、綺麗な小説を読んでみたい」
「なるほど」
 僕は五十嵐先生の言葉を頭の中で繰り返した。目頭が勝手に熱くなる。唇をかみしめて、涙をこらえる。
「主人公をすぐそばに感じられる作品が良い。特殊な能力も、不思議な世界も要らないのさ。世間話をするみたいに気楽に読めて、登場人物の心情に自然と共感出来る、身近な話を読みたいね。日常を丸ごと切り取ったような素朴さの中に、少しだけ光る何かがある。大人には書けないような、透き通った感性を存分に発揮した書き手を発掘したいんだよ私は」
「なかなか難しそうですね」
 顔の見えない男の相槌に、五十嵐先生は「そうかもしれない」と笑った。
「本当にそんな作品が出てきたら、私は嫉妬してしまうかもしれないね。その才能に」
 五十嵐先生は一瞬目を細め、コーヒーカップを口へ運んだ。
 そこで、水晶の奥に吸い込まれるように、五十嵐先生の姿は消えた。僕は未練がましく、その中にまだ五十嵐先生の姿を探した。けれど水晶が映すのは、情けない僕の顔と、笑みを浮かべる占い師の姿だけだった。

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