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2020年8月6日を迎える

今年も、いつものあの日がやってくる。8月6日。私の口癖でもあるこの言葉。75年前、広島に原爆が落ちた日。この日を前にしての言葉は、やはり残しておくことにしよう。一つだけ、どうしても書きたいことがある。「差別」についての話しだ。今日「原爆と差別」という言葉を聞いた時にふっと思いつき、少し泣きそうな気持ちになった。

■「広島ー原爆」と「差別」と、思ったこと

今年の8月6日は例年と違う。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、多くのイベントが延期や中止となっている。移動すること自体への不安が生まれ、「旅行してもいいのだろうか」「帰省してもいいのだろうか」と、皆初めての悩みを持つようになった。8月6日の式典も同様だ。多くの人が参加の段階から悩んでいる。そんな中で「コロナ差別」という言葉も聞くようになって、淋しさを覚える日々だ。

さて、「広島―原爆」について考えるとすぐに「差別」というものに突き当たる。被爆者への差別、沢山の事例がある。最近「黒い雨訴訟」というものが話題となった。戦後すぐの聞き取り調査での黒い雨の範囲とその後の調査での範囲に違いがあるというのが焦点の一つになっていたが(政府は戦後すぐの調査をもとに黒い雨の地域を定めていたが、それ以外の場所でも雨が降ったとの声も多くあった)、そもそもその調査による差が生まれた要因も原爆差別というものが一つあることは容易に想像がつく。「ここでは黒い雨が降りましたか?」と聞かれて「降った」と答えたら、それは自身が被爆者であることを認めることとなる。特に戦後直後については、被爆者であることを隠そうとした人がいたのではないだろうか。

話がそれてしまったが、原爆と差別は切り離せない問題である。現代にも残る問題である。そして、先にも上げた「コロナ差別」や、ALS患者への嘱託殺人事件をきっかけに注目されている「優生思想」など、人との違いをきっかけに上下関係、暴力行為などが生まれていくようなことを最近よく聞くようになったし、だからこそ「広島ー原爆」から見えてくる差別について考える時にも今までにない緊張感が自分の中に生まれている。「差別を行う人」と「差別を受ける人」という構図の中に、自分がくっきりと見えてきているからだ。

さて、悪い癖で前置きが長くなってしまった。ここからが話したいことだ。先日、30年以上毎年8月6日県外から広島に通い続けた人から、今年は広島には行かないと聞いた時、私は言葉が無かった。そして今日改めて「原爆と差別」について語られているのを聞く中で、この「広島に行かない」という選択がいかに”やさしい”選択であるかということに気付き、再び言葉を失った。

差別は、多分、無くすことはできない。人は皆違うもので、絶対に差はあり、だからこそ面白いけれど、だからこそ「比較」が無くなることはない。多分大切なのはその「比較」が暴力へと向かわない事なのだけど、差別に敏感な人はもしかしたら「自身に差別的な感情がある」という当たり前のことにさえも苦しんでしまうかもしれない。そんなことで苦しむ人は、とてもやさしい人だと私は思う。そして、だからこそ東京に住む立場から広島の人に「今年も会いましょう」と持ち掛けると、相手に対して選択させることになってしまう。素直に「ぜひお会いしましょう」ということができないこと自体に苦しむ人がいれば、その人の為に「今年は会うのをやめましょう」と自分から言う人もいる。どちらもとてもやさしくて、そのやさしさを前に僕の心は溶けて形を失いそうになる。

■私の8月6日

私は東京都内の一般企業で働きながら、大学の時から始めた演劇を細々と続けている。ハトノスという劇団は、劇団とはいっても私一人しかいないわけではあるが、私にとってはとても大切なものだ。そして私が演劇を行う上で「広島―原爆」というものは離れられない存在であり続けている。

今年3月に広島についての演劇を企画していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、中止することとなった。そしてその影響は今もなお続く。広島原爆をまなざす者として、8月6日という多くの人が広島に思いを馳せる機会に何かやらなければ、との思いから現在ラジオドラマを企画している。正直初めての取り組みに戸惑いも多く、当初の予定より進行は遅れている。それでも、明日6日には1シーンだけだが公開できそうだ。そんなわけで、その準備に慌ただしくしているうちに今年の夏は過ぎてしまいそうである。

そう、とても慌ただしい。そして私の中に一つあまり言葉にもしたくない不安がある。私の中で、「広島―原爆」というものへの考えが1年前よりも深まっているのだろうか、自信が無いのだ。年中「広島―原爆」についてぼんやりと考えているので、「8月6日」という日が特別祈りの日だなんて認識はもはや持っていない。しかしなんだか今年はその日が近づくのを感じると焦りのようなものを感じた。それはもしかしたらラジオドラマを作っているからかもしれない。そうだと安心する。けれども、「もう1年経ったの?早くない?」なんて素直な言葉も、頭の中に浮かんでくる。今年1年で私は「広島ー原爆」とどのように向かい合ったのだろうか。ただ「1945年8月6日」という言葉を口癖のように繰り返しただけなのだとしたら、それは情けないのではないか。

長い。もともと長く話してしまう悪癖があるものの、さすがにうじうじしすぎではないか。それもまた現状なので仕方がない。これをあげたらラジオドラマの編集に戻らなきゃ。8月6日、最初のシーンを公開する。このシーンは、私の話だ。私の見てきた広島の風景を、大学から一緒にやっている友人に読んでもらった。8月6日という日をきっかけに、少しでも「広島-原爆」に触れていただけたら、嬉しい。

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