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ハトノス広島講座② 原爆ドーム―歳をとらない被爆のシンボル―

 「広島-原爆」についての演劇を作っているハトノス・青木が「今『広島-原爆』から何が見えるか」について考えていくハトノス広島講座、第2回で取り上げるのは皆さんご存知「原爆ドーム」です。

 前回被爆建物である「広島陸軍被服支廠」の保存について取り上げました。今回は既に永久保存が決定している「原爆ドーム」の今について見てみましょう。

↓前回の記事です。文字ばっかりだけど読んでね。

■1.原爆ドームが「永久に」保存されるまで

 原爆ドームは広島市議会が1966年に永久保存を決定しており、世界遺産にも登録された現在からすると、「原爆ドームの取り壊しを求める声が多くあった」ことなど思いもよらない事だろう。しかし、終戦直後、原爆ドームを「取り壊すべきもの」と認識する広島市民は多かった。原爆ドームもまた「存廃議論」を経て今を迎えているのだ。

 この原爆ドームを巡る存廃議論の流れについては、今回の趣旨からは外れるため簡潔に振り返ってみる。まず先に述べたように、終戦直後の原爆ドームについては「取り壊してほしい」との声も多かった。1949年実施の広島市世論調査では、原爆ドームについて保存希望62%に対して「取り払いたい」が35%となっている。

 1954年には広島平和記念公園が完成した。平和公園には慰霊碑のアーチから原爆ドームを望むことができ、設計した丹下健三は既に原爆ドームを公園の「核」の一つと捉えていたことが窺える。それでも、広島市民の中で原爆ドームの保存への運動が盛り上がるのはこれよりも後のことだった。

 1960年代にはいると原爆ドーム保存を求める運動が市民から始められた。この運動のきっかけとしては、他の被爆遺跡もなくなる中、原爆の風化への焦りがあったのではとの指摘もある。当初は盛り上がりに欠いたが、保存費の募金活動の様子が全国メディアで取り上げられ、その様子が広島に「逆輸入」されたことで市内の保存への機運も高まった。

 そうして1966年に広島市議会は原爆ドームの永久保存を決定した。その後、世界遺産として登録されたのは1965年のことだ。

 この流れについては、以前もnoteでまとめたことがあるので、こちらも参考にしてほしい。

■2.今見えること -原爆ドームが失った「時」-

 永久保存によって原爆ドームが失ったものは何だろう。「政治性」を無くすことでシンボルとなった――。「原爆ドームを忌み嫌う感情」を「まるで存在しないもの」のようにした――。様々な指摘が存在する。そして今回考えるのは、「時」である。原爆ドームは時間を失っているのだ。

 原爆ドームは歳をとらない。突然何をと思うかもしれないが、これは極めて特殊なことである。

 この世にある実体は時のある次元の中で存在する。人やその他の生物は皆歳をとり、老いていく。それは建物も同様だ。時を経過し、朽ちていく。朽ちていく建物はあるいは取り壊され、またあるいは目的に合わせて修繕される。

 原爆ドームを見てみよう。原爆ドームは「広島県産業奨励会館が原爆を受けて倒壊したままの姿」であることが求められている。これ以上朽ちないようにこれまでも何度か保存工事を行っている。そして「建物としての姿」は求められていないため、その姿が更新されていくこともない。ある一定の「時」を切り取って存在しているのだ。

 「風化」への不安が保存を推し進めた倒壊寸前の原爆ドームは、時を止めることでその姿を固定することを選んだ。それによって原爆ドームは「原爆から時がたつ」という当然のことを今度は風化させてしまったのかもしれない。

 「原爆は時を超えて恒久的に考えるべきもの」という主張はもっともだし私も同意する。ここで私が持っている不安は原爆ドームが「恒久的に変わらないもの」となることでその生命を失い、それ自体は原爆や広島の歩んできた道を語り得ないのでは、ということだ。無機物の「生命」という概念を持ち出してしまい恐縮ではあるのだが、これが失われたことで「伝わらなくなったこと」は確かにあると、私は思う。それが何か、具体的に言葉にできないのがもどかしいのだが…。

 「原爆ドームが保存されてこれまで見てきたものじゃなくなってしまった」なんてことを前の姿を見ている人から聞いたこともある。原爆を生き残った生々しさが無くなってしまった、というようなことを言っていた。僕はその生々しさを知らないのだけれど、やはり今広島で一番人を引き付けているものは原爆ドームなのだし、その姿からできるだけ多くのものを発見したいとは、切実に思う。

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■3.シンボルは歳をとらない

 あらためて考えてみると、前回取り上げた被服支廠について保存が求められているのは、被服支廠に流れる「時」に反応してのことなのだろう。時が止まると「老い」への危機感が無くなるのかもしれない。

 原爆ドーム同様、「シンボル」と呼ばれるものは総じて歳をとらないのかもしれない。ただ、その周りにいる人や物は確実に歳を重ねていく。それらが朽ち果てた時にただシンボルだけが残るという状況に希望はあるのだろうか。

 以前原爆ドームに通ってガイドなどしていた時、1週間ほどであったが「1度は原爆ドームを見てみたいと思った」という観光客の人に何人も出会った。アーティストのライブで広島遠征をした知人は原爆ドームも見たと言っていた。原爆ドームは確かに人を引き付ける力を持っているのだ。

 その周りにいるちっぽけな私が生命としてできることは何だろうか。永久保存された原爆ドームを、いつの日か一人ぼっちにしないために。保存工事で生命を奪われた原爆ドームを、2度、殺さないために。

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※参考
福間良明「『戦跡』の戦後史 せめぎあう遺構とモニュメント」(岩波書店、2015年)
山本昭宏「原爆ドーム保存・遺産化論争」 『<原爆>を読む文化事典』(青弓社、2017年)


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