「黒い雨訴訟」とは何か
今年の夏、「黒い雨訴訟」を巡る判決がニュースとなりました。広島地裁が原告の訴えを認める判決を出し、その後国の要請によって被告である広島県・市は控訴した。このニュースについて、私の大好きなTwitterでは、(いつものように、)勉強になる投稿から見たくもない誹謗中傷まで沢山の声が集まっていました。でもどうしてかこのズレまくった誹謗中傷さえもなんだか「一理ある意見」的に見えてしまう、それが大変やるせないのです。だから、今回はこの「黒い雨訴訟」について取り扱うことにします。
すぐにでも記事にしなければと思ったのですが、何を隠そう私も正直わからないことが多すぎました。「黒い雨訴訟」について、その内容、問題点について正しい理解が社会的に広く共有されているとは言えないでしょう。間違った知識が蔓延しているというよりは、よく分からないまま放置されてしまっている、そんな印象を受けます。今回は私の感じた「なぜ?」を中心に、なるべく知識がなくてもわかりやすくなるように見ていきましょう。
■黒い雨訴訟の概要 ー何が争われているの?ー
今回の「黒い雨訴訟」に限らず、被爆者の認定を巡る裁判は何度も繰り返し行われてきています。それらは一体何を争っているのでしょう。簡単に言うと、「被爆者として認めてください」という裁判です。
裁判の原告、つまり訴えた人は、1945年8月6日に広島に原爆が投下された後、黒い雨を浴びたと主張する人たちです。そしてその人たちは、未だに「被爆者」であるという認定を受けていません。だからこそ、私たちも「被爆者」だと認めてくれと、広島県・広島市を訴えています。
さて、「被爆者」という言葉から、どのような人を想像しますか?日本では、4つの基準を定めて、それらに当てはまる人を広島・長崎で原爆を受けた「被爆者」だと認定することにしています。
なぜ基準が必要なのでしょう。それは、被爆者と認定された人は、医療費などの支援を受けることができるからです。「原爆の被害を受けた人」=「被爆者」というふわっとしたくくりでは、この医療費支援を不正に受給する人が出てしまうかもしれない。だから基準を定めて必要な人にのみ支援がいくようにしているのです。
しかしながら、「原子爆弾の被害を受けたかどうか」についての線引きをするのは大変困難です。被害は熱線による火傷などの目に見える物だけでなく、放射線という目に見えないものをどれほど浴びているか、ということも含まれます。被爆者の認定基準は主に土地で区切られているけれど、その指定範囲に含まれていなくても放射線の被害は及んだ地域が無いということを言いきることは今でもできないでしょう。大変残念なことではありますが、現在の「被爆者」の指定範囲では目に見えない放射線の被害も含めてカバーしているとは誰も言えないのです。
もちろんこのことは国もわかっています。そこで、指定範囲の外にいる人への支援として存在するのが、「黒い雨」を浴びた人への支援です。
「黒い雨に降られた」と認定された人には「第一種健康診断受診者証」が交付されます。年1回の被爆者健康診断を受けることができ、特定の疾患にかかっている場合には被爆者健康手帳への切り替えが可能です。つまり、「被爆者」として認められ、同様の医療保障を受けることができます。
ここで、一つ問題が生まれます。「黒い雨に降られたかどうかを判断する基準は正しいのか」ということです。ここでもまたどう線引きを行うかが焦点となってきます。
現在認定基準として用いられているのは、1947年に廣島管区気象台の調査をもとにした、いわゆる「宇田雨域」です。宇田雨域は黒い雨の降雨地域を大雨地域、小雨地域と2つに分けており、その内の大雨地域が現在認定基準となっています。
「黒い雨」を巡る裁判ではこの宇田雨域の正当性が争点となっています。黒い雨はより広範囲に降ったという証言は多くあり、1988年に報告された「増田雨域」は宇田雨域の4倍の範囲で黒い雨が降ったとしています。
なお、訴えられている対象は広島県・広島市です。被爆者援護法などは国の法律なのですが、認定の業務は広島県・市が請け負っています。「交付申請の却下を取り消すべき」として訴えは行われているため、その対象は県・市となるのです。国(厚生労働省)も、県や市を補佐する立場として裁判に加わっています。
★ここまでのまとめ
・訴えているのは、黒い雨を浴びたけど被爆者手帳を貰えない人たち。
被爆者として認めてほしいと訴えている。
・認められていない理由は、現在の認定基準の範囲外にいたから。
・争点は「今の認定基準は正当なのか」。原告側はより広い地域で雨が降ったことを主張している。
■広島地裁の判断と、国の対応
2020年7月29日、広島地裁は原告全員を被爆者と認める判決を下しました。判決文では黒い雨が「宇田雨域」よりも広範に降ったことは確実で、かつ全体像を明らかにするのは困難であるため、原告の供述を吟味して認定の判断をしていくのが相当だとしています。
これに対して県・市は訴えを認める姿勢を見せ、国に控訴しないよう求めました。もともと県や市は黒い雨についての特例認定地域の拡大に積極的だったのです。それに対して厚生労働省は「十分な科学的知見に基づいたとは言えない」として控訴することを要求、県と市はそれを受け入れて8月12日に広島高裁に控訴しました。
ここまでがニュースの流れです。何が争点であるかはわかっていただけましたか?これで全て納得…とはならないですよね。特に広島地裁の判決後、広島県・市の対応、そして国の対応にはそれぞれ矛盾が多く見られます。
ここからはQ&A形式を用いながら、そんな矛盾についても考えてみましょう。
■「宇田雨域」は科学的に正しいの?
結論から言うと、科学的な正しさを証明することは困難なのではないでしょうか。先ほど紹介した広島地裁の判決は、まさにそれを指摘しています。
まず1947年に行われた聞き取り調査の結果が、「科学的に行われた」と言えるのか。当時は原爆症への差別もひどく、原爆にあったということは隠したいことという風潮もありました。「黒い雨を浴びたことになれば差別を受けるかもしれない」という心理が調査結果にも表れているのかもしれない、私たちはいまそんな調査結果をどのように受け止めたらいいのでしょうか。
そもそも、宇田雨域というのは被爆者の認定基準として使われることを想定して作られたものではありません。聞き取りの末、一応の線引きをしようということで分けられた区域を、1974年になって認定基準として採用してしまったことに、最初の間違いがあったのではないかと思います。この区分けにより、同じ集落に住んでいても被爆者として認定される人、されない人が出るなど問題が発生しています。
■厚生労働省はどうして控訴したの?
厚生労働省は控訴の理由として、「過去の類似の最高裁判例とは違った判決であり、充分な科学的知見に基づいていると言えない」としています。2019年11月に最高裁判決がでた長崎の被爆体験者訴訟では、「年間100ミリシーベルト以下の低線量被ばくによって健康被害が生じる可能性があるとする科学的知見は確立していない」として原告の訴えは退けられました。さあ、この記事を通じて初めての被爆についての数値が出てきましたね。これはどのように見たらいいのでしょうか。
まずは言葉の確認から。シーベルトとは、「放射線を受けた時の人体への影響を表す単位」です。
国の主張は、ざっくりと言ってしまうと、「現在の科学的知見では100ミリシーベルトを超える放射線の影響を受けると癌を発症しやすくなることは分かっているけど、100ミリシーベルト以下についてははっきりしてないです」というものです。
実際にこの主張は、2019年11月、長崎での被爆者の認定を巡っての最高裁判決でも認められています。国は、「今回の黒い雨の地域は100ミリシーベルトを超える被爆には当たらないから医療費の保障の対象外だ」としているのです。
なお、原告側はこの国の主張に対して「そもそも100ミリシーベルトでの線引きに正当性があるのか!?」と疑問をぶつけています。
例えば、日本では法令により自然放射線以外で人々が受ける放射線量の限度(公衆線量)を1年間に1ミリシーベルトとしています。この法令と、原爆症の判例について国が持ち出す「100ミリシーベルト」という数字は違うではないか、100ミリシーベルトという数字が独り歩きしているのは危険だ、と主張しているのです。
■どうして広島県・広島市は国に従っているの?
広島県・広島市は基本的には被爆者認定の特例地域の拡大を求めています。今年の8月6日の平和記念式典にて、広島市の松井一実市長は平和宣言の中で「日本政府には(中略)『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」と発しています。
その一方で、最終的には国からの要請に従って控訴をしています。訴えられているのは県・市であって国ではないのだけれど、その決定権は国が持っているように見えますね。「地方が国に逆らえないよ」なんて一言では片づけずに、その理由について確認してみましょう。
まず報道を確認してみましょう。松井市長は「加藤厚労相が黒い雨地域の検証を視野に入れたことを背景に、黒い雨を浴びた人みんなを救うために折り合いをつけた」としてはいますが、同時に「勝訴原告の気持ちを思うと毒杯を飲む心境」とも語っています。加藤厚労相の言う検証にどれほどの期待感を持てるかについては置いておくとして、松井市長の口調からは「本当は控訴したくなかった」感が窺えますね。
この件について大切なのは、被爆者への医療費の保障をはじめとする被爆者援護法は、国の法律であり、その予算も国から出ている、ということです。広島県・市はあくまでも事務手続きの窓口です。
財布のひもを握っているのは国、ならばその判断に背くことはできないよとなってしまうのですかね。結局最初に言ったままのことを書いてしまいました。
ちなみに、国の決定に県として反対し、国と対決姿勢を見せている自治体もあります。それが沖縄県です。辺野古の新基地建設を進める国と反対する県の間で対立が起こっています。その結果どうなっているか、「対立」しながらも、基地の建設は進んでいます。
■どうして原爆の被害に対しての保障を日本が行っているの?どうしてアメリカを訴えないの?
知り合いが、Twitterにて以下のような投稿を見つけて私に教えてくれました。こんな投稿を見るといちいち落ち込んでしまうのですが、ここではその投稿中にある「なんで」について考えてみましょう。
なぜ「原子爆弾の被害」を、原爆を落とした国であるアメリカに求めないのか。一言でやや乱暴に言ってしまうと、”それが戦争だから”です。もう少し詳しく説明するために、サンフランシスコ平和条約を見てみましょう。
サンフランシスコ平和条約
第19条
(a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。
ここにあるように、サンフランシスコ平和条約で日本は連合国への請求権を放棄しています。つまり、原爆投下についてアメリカにその責任をもって補償を請求しようとしても、「それはもういいって約束しましたよね?」と言われてしまうのです。
ここで改めて書くまでもなく、原爆というものはあまりにも非人道的な兵器です。戦争というものを見ていくと、原爆にとどまらずあまりにも多くの非人道的な行いと出会います。戦争が終わった後もその爪痕は残り続けます。今回の「黒い雨訴訟」もまた、その爪痕の一つでしょう。そんなひどいことが、”適切”に裁かれない、それが戦争なのです。
例えば、アジア太平洋戦争の後、日本は戦勝国によって裁かれました。「日本の戦争責任を裁く」はずの裁判で実際に裁かれたのは主に「日本の、戦勝国籍の捕虜に対する扱い」についてであり、日本の占領支配を受けたアジア諸国への責任についてはそこで十分に裁かれたとは言えないままに、サンフランシスコ平和条約により日本への賠償請求権の多くが放棄されています。(一部個別に賠償を定めたりもしています。)
何が言いたいか。原爆だけでなく、あらゆる「誤った行為」が国家間のバランスやらなんやらで裁かれずスルーされてしまうのが、戦争なのです。それに対して、現在の法律に基づいて、戦争による傷に対して行われている訴訟の一つが、今回の「黒い雨訴訟」なのだと私は認識しています。
そして投稿文の中の『被害者である日本』という言葉について、一言。たしかに日本は原爆を落とされた”被害者”ですが、同時に戦争を行った”当事者”でもあり、つまりは戦争の”加害者”でもあります。それはアメリカなどの相手国や、アジアの国々への”加害”だけでなく、あるいは日本国民を戦争に巻き込んだという意味での”加害”も含まれています。もちろん原爆を作り、使用したのはアメリカですが、その使用の場である戦争状態をおこし、継続していたのは紛れもなく日本です。
そんな中、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の前文には以下のように記されています。
(前略)
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し、医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。
(中略)
国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。
原爆を落としたアメリカがそれについての責任を負っていないというおかしな現状があるとしても、その一方で原爆を受けた人たちの苦しみも確かにそこにあります。アメリカの不実をいくら唱えようが、(現にそれが唱えられているのかは別にして、)その苦しみは消えません。だからこそ、その責任を問うことについてとは別の軸をもって、被爆者の援護は行われています。そういった背景を飛び越えて「なぜ日本が保証を~」と言っているのはナンセンスであると私は思っています。
■「政治判断」を待つ
長くなってしまいましたが、ここまで裁判の背景などについて見てきました。その中で何度か出てきた、「政治判断」について考えながら、今回の記事を終えましょう。
原告側や広島県・市は「政治判断」を国に対して求めています。原爆を受けた人の高齢化も進むなか、裁判を引き延ばすのではなくいち早く保障の決定を!と、求めているのです。
つい最近でも、昨年ハンセン病家族訴訟について、国が控訴しないという政治的判断が下されました。「既定路線」としての前例踏襲・控訴ではない道は、それ自体が前例のない道ではありません。
「黒い雨訴訟」については既に控訴されており次の判決を待つこととなっていますが、裁判ではなく政治の決断によって黒い雨の認定地域の拡大など、被爆者援護法制の拡充を図ることも可能なはずです。
現に、先ほど紹介したように加藤厚労相は「黒い雨地域の拡大も視野に入れた検証を行う」と述べています。その言葉がその通りに実行されるためにも、これからもこの訴訟についての関心を小さくても持ち続けることが肝心なのかなと思います。
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