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何の取り柄もない私の特技

退職して、3カ月が経とうとしています。

コロナ禍という特殊な状況だった割りに、いろいろなものを眺めて心を奪われたり奪われなかったり、ぼんやりしたりしなかったりして過ごしていて、毎日とても忙しかった印象です。

ふと、今朝方あたりから思いが募っているのは、どうやってイマココに辿り着いているのか、ということです。

・小中学校:なんでもできた。男子なんて敵じゃなかった。(女子の方が強い)
・高校:部活と勉強にそれなりにハマってた。男子と戦うことをやめた。(女子大に進む)
・大学:勉強は脱落。サークルとバイトにハマってた。自立はしたかったけど、世の中でやりたいことは特になかった。世の中、男子だけじゃん。女子ってどこに生きてるの?

そんなこんなの学生時代を終えて、就職活動で履歴書に書けるような特技もなく。免許ない、英検2級どまり、スポーツったって部活でやってたバスケとサークルテニスだし、死ぬほどバイトしてたけど、ファーストフードで仕事の飲み込みが早くて手際もいいぐらいじゃ、何のウリにもなりません。

ひねり出した特技は
・掃除
・整理整頓
でした。

小学生の時に、学校の図書室で借りた「家事ブック掃除」みたいなのが大好きで、何度も何度も借りて読んでいました。机の磨き方、とか、本の並べ方、とか。トランプは順番に並べて片付ける派だったし、ノートや教科書もものすごくちゃんと並べていました。

おそらく、その特技が気に入られたわけではないと思うけど、最初に入った会社では、人事の人に「目がキラキラしていた」と言われました。フレッシュだったということなのかなと思いますが、たしかに、その会社だけは、よく分からない新しいことをやっていて、手探り感満載だったのが楽しそうだなぁ、と思った記憶があります。

ちなみに、私蟹座なのですが、蟹座の胸キュンポイントは、「この人何言ってんだか分からないけど、なんか熱い感じがいい!」というところだそうです。(しいたけ占いのしいたけ.さんが言ってました!)

最初は会員営業をしていて、いろんな人の話を聞いたり、事務処理をしたり、数字を作ったり、というのは特に問題なくやっていたと思います。一番辛かったのは、そのモノを必要としていなさそうな人にまで数稼ぎのためにノベルティを渡して個人情報(仮申し込み)をもらうというキャンペーン活動に参加しなくてはいけないこと、でした。

すごくいいモノ作ってるんだから、必要としている人はちゃんといるし、そういう人に届けばいいだけな気がする、と。別の方法で何とかならんのか、と。

で、モヤモヤが伝わったのか、ぽいっと営業から離れて異動となり、会社のコーポレートサイトの運営に関わるようになりました。ここが多分はじまり。

・コーポレートサイト:自分のことを知ってもらう。よく思ってもらう。会社の中の人にもサイトの意義を知ってもらう。
・会員向けサイト:自分のことを好きになってもらう。あなたの役に立ちたい。会社にとってもこれからとても大事なものだと知ってもらう。

そんな気持ちでサイトの運営や制作に関わっていました。運営するサイト数が増えたり、統合したり、リニューアルしたり、で、忙しくも学びや出会いの多い仕事をさせていただきました。

その後、インターネットビジネスに花が咲く時代がやってきて、いろいろなモノの付加価値やサービスそのものをインターネットの世界に投入していく際に、サイト制作がシステム開発と密着するようになり、ユーザーにとってのおもしろみ、使いやすさみたいなものとのバランスが取りにくくなってきました。要はガッチガチで作らざるを得ない感じで。

ここで感じた閉塞感が、次へのステップに動いたきっかけでした。

もっとでかくて自由でユーザーとつながるサイトの運営がしてみたい。ここが最初の転機。

たまたま募集していたでかいサイトを持っている会社に転職できて、それはそれはもうでかい中のひとつのコーナーのひとつのコンテンツを担当したり、HTMLとかCMSとかもテキストエディタで自分でさわったり、激動でした。

でかすぎてめちゃくちゃなので、整理するためにリニューアルしたり、新しいサイトを作ったり、そんな仕事にも関わることができました。「掃除」「整理整頓」の特技がようやく活きてきた感じでした。

その後…十数年、ずっと「掃除」と「整理整頓」をしてきた気がします。でも、それは本質ではない気もしています。特技だけど。

Webディレクションの仕事は、
・情報整理
・設計
・進行管理
あたりが大きな仕事だと思います。言い尽くせないものがたくさんありますが。これは「掃除」と「整理整頓」ができる人には向いていると思います。

ただ、いま日々考えている「どういう仕事したらいいんだろう?」という問いに対して、
・得意なこと
・好きなこと
どっちなのかと考えた時に、自分は整理整頓が好きだから得意なのか、得意だからやっているだけなのか、ふと、分からなくなってきたのです。

退職前、最後の2年半のお仕事は、
・そういえば、整理整頓が得意だったよね!

・整理整頓が得意な人って意外といないんだよね!

・誰もやらないと困るから、お願い!整理整頓してもらえる?
という流れで、担当することになったのでした。

ちなみに私蟹座なのですが、蟹座は、ねーさん肌もしくはかーさん肌で、人の自立を助けるような役割を果たすことが多いそうです。(しいたけ占いのしいたけ.さんが言ってました!)

頼まれたら断れないタイプ。娘の担任の先生に、「週末、カイコにエサをあげてくれるご家庭がないんですよね…」と相談されたら、ウチでエサあげます、って言っちゃいます。

得意なことが人の役に立つのなら、という思いは常にあります。役に立つための特技のアップデートは、絶対に必要だと思っています。その方面での学びも粛々と続けています。

ただ、これは非常に贅沢な思いなのかもしれないけれども、願われて請負った役割だったけれど、それは得意だからできる役割と思われているに過ぎず、言ってみれば「当たり前」に達成されると思われていたのではないかと。

「当たり前」を実現するのは実はとても大変なことなのだけれども、「当たり前」に感動や称賛の声は生まれないのです。でも、そこに感動がないと、いくら(最終的には)食っていくための仕事とはいえ、閉塞してしまうのではないかと思うのです。それがついちょっと前のイマココ

そんなこんなで、私に必要なのは、感動できること、好きなこと、を見つけることなのかも、と思っています。これからまだ長いこと働いていくための原動力は、そこに心が震える瞬間があるかどうか、なのではないかと。

漠然とそんなことを感じている今日この頃です。


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