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中村慎太郎のプロフィール

 はじめまして。
 中村慎太郎と申します。
 江戸川区とサッカーと旅を愛する2児のパパです。

 趣味はサッカー観戦、異世界系漫画、自然観察、釣りです。美味しいものを食べながらお酒を飲むことです。

 偏差値30台の高校生だったのですが、2浪ののち東大受験をして文科Ⅱ類に進学。文学を経て、農学系の研究室(大学院)で、アワビ類の行動について研究。サッカーライターになってサッカー本大賞を取ったあと、書店員、タクシードライバーを経て、株式会社西葛西出版を創業しました。

 はい、自分でも何を言っているのかわかりません。一つずつ説明させていただきます。お時間ある方は是非お読みください。

 その前に……

【中村慎太郎が今やっていること】

1.会社経営
 
株式会社の代表取締役なので色々やらないといけません。「壊れかけのレディオ」ならぬ「潰れかけのキギョウ」を自転車操業しています。などと自嘲をするのもそろそろにして2期目からは黒字を目指しています。

 業種は出版社です。事業は2系統あって、1つは書籍の出版です。最初は中村の自著を中心に展開し、次第に書籍の発明工場としての効率を高めていきたいと考えています。

 ただ、現在は終わりなき出版不況で、書籍だけで大きく稼ぐことは簡単ではありません。なので、「書籍を書けるレベルのライティング技術」を活かして、BtoBでライティング案件を受注しています。超高品質のプロダクトを作れるため需要は高いのですが、生産が追いつきません。売上の面ではこちらがメインとなっていますが、書籍の出版を主としています。

2.物書き
 中村慎太郎のアイデンティティは文章を書くことです。なのでお金になろうがならなかろうが、死ぬまで何かしら書いていると思います。32〜42歳を「センスを磨く10年」と位置づけていましたが、それも終わりつつあるので、収穫していこうと思っています。

2013年9月に書いたブログ記事
「誰が風を見たでしょう」風立ちぬの名言から宮崎駿の真のメッセージを読む

3.サッカー旅をする人
 日本国内を中心にサッカー旅をしています。サッカーの試合観戦をすることを基本として、その前後に、濃厚な旅をすることを目指しています。また、その旅を紀行文に記すことをライフワークとしています。

 これは「観客目線でのサッカーを綴る」という試みで、既存の作品はあまり多くありません。サッカーだけではなくスポーツが目指すべきものは、人々を幸福にすることです。なので、スポーツ観戦者の立場から、どのように幸福が醸成されるのかを綴るのは、文化的な意義が高い執筆領域だと考えています。

 この一つの集大成として、西葛西出版から『徒歩で日本一周サッカー旅(仮題)』、『鹿児島ユナイテッド旅(仮、未定)』、『長野パルセイロ旅(仮、未定)』、『藤枝MYFC旅(仮、未定)』などの出版を計画しています。

4.育児
 子どもたちにお菓子を買ってあげられるくらいには稼げているけど、旅行に連れて行くのはまだ厳しいというラインなので、もっと色んなところを見せてあげたい。基本的な姿勢は、子どもは勝手に育つ、です。習い事にはいかせてあげられないので、なるだけ知的な会話、大人として扱って対等な目線での会話をするようにしています。

5.タクシードライバー
 休職中ですが復帰したいと思っています。東京以外で復帰するかもしれません。流し営業スタイルで、得意な街は新宿歌舞伎町です。歌舞伎町を避けるドライバーが非常に多いのですが、魔界で仕事している気分になれるので好きです。新宿の稼ぎはそこそこです。

6.Youtuber?!
 Youtubeを頑張っています!!なんでかというと、現代は本を出したからといってお客さまが殺到して売れていくなんてことはあまり期待できません。自分たちの考え方、キャラクターを理解してもらって、本を作って行くプロセスまで全部見て頂くことで、手に取ってみようかなと思ってもらうことを目指しています。つまり、本屋さん的発想のYoutubeです!

OWL magazineでは、週1でライブ放送をしています。
<毎週火曜日ときどき水曜日 21時から>
戦術や戦力をまったく分析しない、とにかく楽しいサポーター目線のサッカー番組です。その他サッカーの話題を中心に定期更新しています。

西葛西出版のYoutubeでも週1程度、ラジオ番組をお届けてしています。

チャンネル登録を是非お願いします!!!



【義務教育】
 地元江戸川区葛西・西葛西エリアで過ごしました。公立高校に進学。浦安の日能研に通っていましたが、中学受験は2校だけ受けて両方落ちました。
 本を読むのが好きでした。特に好きだったのは『ぼくらの』シリーズです。左翼的、反権力的な内容を、中学生を主人公にした作品に落とし込んだ作風です。小中学校時代は、学校の先生や同級生からのバイオレンスが激しかったので、内面も荒んでいて、世界のすべてを滅ぼしたくなっていました。体罰ってやっぱり良くないですよね。
 この時代を象徴するのは映画『AKIRA』です。オオオオオオオオオとか言いながらボカンとやりたくなっていました。
 勉強はほとんどせず、公立中学でも下位のほう。120人中110位くらいを取った記憶もあります。葛西にあった芸夢屋パーラーというゲームセンターでいつも格闘ゲームをしていました。はじめてファイナルファイトやストリートファイター2をプレーした「トミーショップ」という駄菓子屋さんは、時空を超えてまだ健在で、今は息子と娘が通っています。
 小学校のときは少年野球をしていたけど、たまにライトで8番で出場するだけでした。背番号は18。この時所属していた江戸川プリンスはまだ存在していて、所ジョージさんの番組に弱すぎるチームとして紹介されたことがあります。キラーズというチームに10点差くらいでボコボコにされました。
 小学校6年生のときに開幕したJリーグが大ブームになったので、流れに乗って最初だけサッカー部に入りましたが、うまくプレーできないのですぐに幽霊部員になりました。先輩たちのヤンキー成分も苦手でした。
 高校受験は葛西と西葛西の間くらいにあったアップ学院という塾に通っていました。ただ、授業をサボってゲームセンターに入り浸ることも……。

【高校から 大学受験】
 私立安田学園高校普通科に入学しました。当時は偏差値51、倍率1.1くらいでした。特進科という偏差値60くらいで授業料が無料になるコースもありました。今はなさそうですが、昔は工業、商業などの学科があり、特進科以外は進学よりも就職を重視しているような高校でした。
 先生たちも強面で「ドン・カネコ」と呼ばれるものすごく怖いバスケ界隈の大御所や、柔道世界大会で準優勝したYシャツの袖口よりも腕が太い先生、蹴りが天井まで届くという噂の中国拳法の達人、アイロンパーマの家庭科の先生などが揃っていました。髪型にも厳しく、頭髪が耳にかかるとやり直しでした。
 授業は上の空で、いつも音楽のことばかり考えていました。そう高校1年のときに前にギターをはじめたからです。最初に買ったのは3万円くらいのフェルナンデスでした。そのあとはゴミ捨て場から見つけてきたボロボロのレスポールを自分でペグを修理して使っていました。音楽が大好きで、ミュージシャンになりたいと思ったけど、そんなことができるわけがないと最初から諦めてしまいました。

 だって、ぼくには才能がなかったから。

 才能を試すまえに、全力で挑戦する前に、自分にはリズム感がないとか、いくら練習してもうまくならないとか、歌も歌うセンスがないとか言って、自分の可能性を否定しました。そのことは未だに公開しています。
 ぼくはミュージシャンになれたと思います。才能があったかどうかというよりも、大成功することさえ求めなければ、大抵ののものにはなれるからです。大事なのはそのジャンルを愛し、貫くこと。努力を続けることです。そして、ミュージシャンにはなれなかったとしても音楽ライターにはなれたかもしれません。
 当時は赤面症がひどく、ファーストフードの注文すらままならず、また、私服に自信がないというコンプレックスがあったため、土日にコンビニに行くときも学ランを着ていました。そんな社交性のなさが災いして、しっかりとした友人関係を作れず、バンドも作れなかったせいで自己肯定感は地に落ちていました。『BANDやろうぜ!』や『GiGS』の募集欄に出す勇気もなかったわけです。
 運動も全然していなくて170cmまで身長は伸びたものの体重は52kgと痩せたニワトリ。そんな中で肺炎にかかってしまいました。
 2週間、高校を休んでいるあいだ、友達が心配してくれることもなく、久しぶりに学校にいっても、「ああ生きてたの」くらいで誰も反応してくれないことにショックを覚えました。ああ、そうか、ぼくには友達なんかいなかったんだ。
 肺炎で苦しんでいる間に読んでいたのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。当時は脚色があるとは思っていなかったからではありますが、夢に向かって頑張る竜馬の姿を見て、自分も頑張らねばと誓います。

 世の人は我を何とも言わば言え
 我が成す事は我のみぞ知る

 高校二年の中間テスト、肺炎が治ったすぐあとに一念発起して、勉強と闘いはじめます。が……。机に向かって自学自習した経験が乏しく、また、何をどうすればテストの点が伸びるかもわかりません。自分の中では過去最高に努力しました。しかし、その結果は今でもよく覚えています。
 英語ライティングは3点でした。英作文ではなく並び替えの問題だったのですが、文法の基礎がわかっていないのでまったく得点ができません。その他、7科目について赤点を叩きだし、『SLAM DUNK』の桜木花道ばりの落第コースに突入しました。ちなみに、この時の安田学園は赤点が2つで留年確定。赤点が1つで審査でした。
 そのあと、真面目に授業を受けて、勉強をし続ける中である程度成績がよくなってきました。高校3年生からは、学校のあった両国から通いやすい「四谷学院」という予備校にも通い始めました。
 春期講習は「勉強をしてこなかった人向け」で、I,my,meとかtake,took,takenなどからはじめました。ぼくの学力は酷いもので、高校2年生で英検4級に落ちていたので筋金入りです。英検4級は中学中級レベルです。
 大学の第一志望は早稲田大学法学部に決めました。ぼくの学力で早稲田というのは無謀極まりなく、高校の先生に本気で説教されましたが、不思議といけるような気がしていました。だって、音楽やスポーツには才能が必要だけど、勉強は頑張るだけでできるはずだから。
 途中から志望校は慶応大学総合政策学部または環境情報学部、通称SFC(湘南藤沢キャンパス)に変更しました。学生や教員が語り合う自由な気風が売りでした。
 一年間、狂ったように勉強した結果、成績は向上していきました。高校のクラスではビリだったのに、2位まで伸ばすことができました。1位の体操部だけは最後まで抜けませんでしたが。
 
【浪人生】 
 浪人するのは想定していたものの、滑り止めのつもりで一応受けた中堅大学もすべて落ちてしまったのには驚きました。いわゆる日東駒専というラインですね。偏差値でいうと50〜55くらいでしょうか。そのときの学力を考えるとこのクラスの大学に入ることも難しいという状況でした。クラスというと「格」の話に聞こえてしまいますが、あくまでも入試難易度の問題とお考えください。受験勉強をしていると、いつの間にかゲームの難易度のように感じられてきます。東大はHell mode、早稲田や慶応はExtreme、その次はHardです。


・大学受験の話
・大学生活の話 経済→文学部
・オンラインゲームの話
・バスケとの出会い
・大学院、アワビ研究の話
・サッカーとの出会い
・サッカーライター時代 JリーグとブラジルW杯
・結婚と育児の話
・書店員時代
・うつ病の話
・OWL magazineの話
・タクシードライバーの話
・起業の話

【著書】

【共著】



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【仕事】
1.ライター
2013年3月ころより文筆業をしています。色々ありますがこちらが本業でありライフワークです。好きなことを自由に書く主義なので、ライターだけでは十分な収入が得られないので色々やってます。

『サポーターをめぐる冒険 Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった』がサッカー本大賞2015。

ブラジルワールドカップ観戦記『Jornada』(電子書籍)

『サッカー旅を食べ尽くせ!すたすたぐるぐる埼玉編』
『サッカー旅を食べ尽くせ!すたすたぐるぐる信州編』


2.タクシードライバー
2020年より2年弱乗務。休業を経て23年に復帰予定。腕前はそこそこ。

3.


1981年5月、東京都江戸川区に生まれ育ちました。


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