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文章を書くために大切なこととは 西葛西出版コラム vol.3

かつて、ぼくは何もできない人間だった。

勉強もできない、運動もできない、女の子に話しかけることもできない。やりたいことは特になくプレイステーションのゲームばかりしていた。

ゲームはある程度できたが、葛西駅にあった芸夢屋パーラーというゲームセンターで、格闘ゲームの大会に出ても優勝にはほど遠い。最高で3位になったことがあるが、葛西3位がぼくの限界であった。

いつも優勝していた「ホサカ」という伝説のプレイヤーがいて、同じ中学の1つか2つ上の先輩であったのだが、スティック捌きからしてまったく違っていた。

ぼくは自分の得意とするとコンボを叩き込むことしか考えていなかった。ジャンプ強パンチ、しゃがみ強パンチ、波動拳……。などなど。

一方でホサカは、常に相手との間合いを意識し、立ち強パンチ、立ち強キック、しゃがみ中パンチなどを空打ちしてくる。こっちが痺れを切らせてジャンプすると無敵対空技で撃退される。

逆に相手が飛び込んでくるのを待っていると、それを見越してか垂直ジャンプで牽制される。

そして……。

こちらが隙を見せると……。

しゃがみ中キック。 

キャンセル。

真空……。

竜巻旋風脚!!!!(LV3)


ホサカは、ネオジオワールドで開かれる試合にも進出したという噂を聞いた。そこでどうなったのかはわからない。が、恐らく勝ち進めなかったであろう。ホサカはうまかったが、当時一斉を風靡していた梅原とはやはり格が違っていた。

梅原の伝説のプレーを見たのは大学生になってからであったが、自分が凡人であることを痛感させられた。


「ほっほっほっ」とガードしているのはブロッキングという技術で、敵の攻撃と同時にレバーを前に倒す必要がある。解説によると、春麗の技が発動してから、ブロッキングの入力を始めるための猶予は1フレームしかないらしい。60分の1秒である。

常人では10フレームであっても反応はできない。というよりも、フレームという細かい単位を認識することすらできない。

ぼくには何もなかった。

運動もできなかった。顔もよくなかった。勉強もできなかった。

だから、せめて勉強だけは頑張ろうと思って、努力を続けた結果、2浪して東京大学に辿り着いた。

だけど、そこで出会ったのが山口真由さんという超人であった。彼女は、東大史上屈指の成績で卒業したのだが、少し話せば自分が凡人であることを悟らせてくれる「東大生のプライドへし折り装置」のような人であった。

そのあとバスケを始めた。が、バスケはどれだけ練習しても、長身の選手相手にはぼくは何もできなくなった。そういうスポーツだから仕方がないのだが、自分の身長が2メートルあったらどれだけ楽だっただろうと感じた。もちろん、レベルが上がれば同じ事を思うのかもしれないが。

サッカーもそうだ。一度、山瀬幸宏さんと一緒にプレーしたことがある(2014年に引退、山瀬功治選手の弟)。確か、2013年のことだったと思う。

山瀬選手はぼくと体格はほとんど変わらない。しかし、無双の活躍をしていた。少しでも触れると吹き飛ばされる。どんなに厳しいチェックを受けていても、正確無比なロングフィードを送ることができる。右サイドを駆け上がるぼくの「胸」にピンポイントでフィードされてきたときは度肝を抜かれた。クロスをあげると、地の底から這ってくるような軌道で、目の前に来るときにはちょうど頭の高さになった(ぼくはヘディングができない……)。

そんな山瀬選手でも、翌年FC大阪に移籍し、そのまま引退した。プロのサッカー選手は異次元の存在なのである。

ぼくは凡人だ。
物書きとしても凡人だ。

小説家の森博嗣さんは、大学で研究生活をしながら睡眠時間を削りに削り、小説を書き続けた。ぼくにはそんな芸当は逆立ちしてもできない。ベストセラー作家になるほどのアイデアも持っていないし、文章力も並である。もちろんプロ水準には書けると思うのだが、プロの中には絶対に自分が届かない領域の文章を書く人がゴロゴロいる。

ぼくは物書きとしても凡人だ。

でも、文章というのはフェアなもので、凡人だからといって書けないということはない。サッカーもバスケもゲームも、天才たちのフィールドであったのだが、文章だけは違う。

文章は凡人でも書くことができる。文章を書くために大事なのは、才能ではない。気合いである。

気合い。

気合いだけではサッカーには勝てないが、文章は何とかなる。今は書くためのメディアはいくらでもある。本を書くのは大変だが編集者の助力があれば何とかなっていくものだ。

ぼくは文章を書くために一番必要なものは「気合い」であって、文章が書けないとしたら「気合い」が足りないのかなと思っている。

もちろん、言葉でいう程は簡単なことじゃなくて、10時間かけて書いた文章を全部捨てて1から書き直すこともある。そのときに必要なのはやはり「気合い」なのだ。

書いていると、気合い以外にも必要なものはあるような気がしてきたが、やはりぼくにとっては一番大事なのは気合いだ。編集者として文章を読むときも「気合い」が入っているかどうかはとても大事だ。

下手でもいいのだ。言葉をしらなくてもいいのだ。気合いをこめて書けばいい。

気合い。

というわけで、ぼくの最新の「気合い」は、埼玉県へのサッカー旅を描いた『〝サッカー旅〟を食べ尽くせ! すたすたぐるぐる 埼玉編』に掲載されている。

特に、序文「日本全国すたすたぐるぐる宣言」は、何度も何度も何度も何度も書き直した。シリーズの命運を握る文章だからだ。一見、やわらかい書き口のようにも見えるかもしれないが、40歳を超えた凡人物書きの気合いがこういう表現系になるのである。


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