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橋本絵莉子『街よ街よ』が最高すぎて3,000字の感想が書けました

橋本絵莉子さん2nd Full Album『街よ街よ』が2024年4月24日にリリースされました。
これがほんとうに最高な素晴らしいアルバムで、どれくらい最高であるのかについて思いの丈を綴ります。

(もっともらしくつらつらと書き連ねていきますが音楽の知識があるわけでもない、いちファンの完全なる独断と偏愛とフィーリングにもとづいた雑多感想文ですのでご容赦ください)


はじめに『街よ街よ』がどんなアルバムであるのか、リリース発表時の各所媒体にはこんな風に紹介されていました。

前作『日記を燃やして』は、手の届く日常生活の中での出来事を燃料にして制作されたが、本作ではその範囲を飛び越えて、聴いた人それぞれの中にひとつの街が浮かび上がってくるような広がりのある作品となっている。

THE FIRST TIMES より

ここに書かれているとおり、ソロとして初のアルバムとなった『日記を燃やして』が、橋本さんご自身の目線で日常をスケッチしたような、人間・橋本絵莉子という存在に立ち止まってグッと引き寄せられていく印象の作品であったのに対し、今作『街よ街よ』は、聴いている自分自身が晴れた日にぐんぐんと街道を歩み進めていくような、その一方で鳥のように空から俯瞰してひとつの街を眺めているような、広がりと推進力のある作品であるという印象を持ちました。

このアルバムを聴いて浮かんでくる「広がり」として、まずやはりタイトルにもなっている ”街” という空間的な広がりがあります。

橋本さんはこのタイトルについて、”道” や ”地元の駅”、"立体交差"、”海沿い” といった歌詞のワードからアルバム全体をとおしてひとつの街が出来あがるようだと思ったことからつけたものだということをインタビューなどで語っています。

歌詞カードを広げると、そうした街を想起させる歌詞のモチーフが、ジャケットのイラストも手掛けられた浜田一平さんによるキュートな地図に描かれていたり、そうしたアートワークも手伝って、通して聴いたときに『街よ街よ』タウンという空間が心のなかに自然と浮かび上がってきました。

またこれは完全にフィーリングですが、全体的なサウンドも、カラッと晴れたお天気のなかでお散歩をしているような、外に開けた印象を受けます。
特にサポートギター・曽根巧さんのギターのサウンド。『日記を燃やして』よりも曽根さんのギターが一貫した音色で前面に出ている感じがして、カリフォルニアには行ったことないですがその音色からカリフォルニアを感じます。

1曲目「踊り場」冒頭のコーラスからウキウキな気分になるし、「人一人」や「Oh, Cinderella」も曲のステップで踊り歩きだしたくなります。
インスト曲「離陸 ~ Live at Namba Hatch, Osaka, Oct, 17, 2022 ~」は曲が進むにつれ空に舞い上がっていくような浮遊感のある曲で、空を飛びながら街全体を見渡しているような、まさに聴くパラグライダーとも言えそうな音楽体験です。

こうした、歌詞から浮かんでくる情景で出来上がる地図の上を、歌声とバンドサウンドが推進力となってグングンと進んでいくような、空間的な広がりと音楽による街歩きの楽しさが、このアルバムの最高な魅力のひとつだと思います。

そしてもうひとつ、私がこのアルバムから感じる「広がり」は、時間的な広がりです。

アルバムのリード曲である「私はパイロット」の "時間の飛行機に 何人もの私を乗せて 暗闇を進むよ" というフレーズからは、これまで過ごしてきた時間のなかにいる過去の "私" たちが、自分という乗り物の乗客として寄り添いつづけてくれる風景が浮かびます。
時の移ろいや環境の変化のなかで、それまで抱いていた "私" というものが変わっていくとしても、その "私" は消えてしまうのではなく、操縦席から乗客席に移っただけで同じ乗り物に居続けるんだ、と思わせてくれるようで、大好きな歌詞です。

この「私はパイロット」から想起する、幼少期や10代、20代のそれぞれの時間のなかの "私" の存在や、「宝物を探して」で隣り合わせのように登場する "18の春" と "38の夜" 、「偏愛は純愛」で思い返される "幼い頃の憂鬱" 、また「Oh, Cinderella」で再会する昔履いていた靴、といったイメージから、これまで歩んできた人生のなかにある、過去から現在までの時間を並べて見渡しているような "広がり" を感じるのです。

そして、そのように立ち上がってくる過去と、いずれ過去になっていく現在を、未来に手渡してくれるような希望を感じさせるのが、5曲目に収録された「このよかぶれ」だと思います。

語りかけてくるのは
いつだって過去のあなた
その言葉に耳を傾けるのは
これからを夢見る私

橋本絵莉子「このよかぶれ」

この4行に詰まった思いと時間の深さ、広さたるや。

もう会えなくなってしまった大切な "あなた" がいて、それでも共に過ごした時間、語りかけてくれた言葉は、現在の "私" のなかに確かに存在し、いまでも耳を傾けることができる。
そしてそんな "あなた" との時間や言葉と、現在のなかで対話をしながら、花瓶の水を換えたりしつつ "これから" に訪れる未来を夢見て生きていくことができる。

この詞のなかで見渡される、過去、現在、未来が、まるで窓際の光のなかで輝いているように美しくて、橋本さんの切なくも晴れやかな歌声とともに、聴くたびに涙がでます。

こうした『街よ街よ』から感じる時間的な広がりからは、過去の思い出や憂鬱、悲しみを自分のなかの一部にしながら歩みをつづけていく強さと勇気をもらいます。

先に語った空間的な広がりに加えて、この時間的な広がりを感じられることで、自分にとって『街よ街よ』というアルバムが、明るく楽しい日を歩いていくスニーカーにも、辛く悲しい日に差す雨傘にもなって、この先の日々に寄り添いつづけてくれる気がしているのです。


…と、ここまであくまで私個人の感覚と解釈による独断的『街よ街よ』感想を書き連ねて参りましたが、もちろん曲からイメージするものは一人ひとり違うと思うので、ここまで長文を読み進めながらまだ『街よ街よ』を聴いていないという方が万が一いましたら絶対に聴いてください。

また、作者である橋本さんがこのアルバムに込めた思いについては、公式サイトに素晴らしいインタビューがありますので、ご本人の言葉でぜひご確認ください。

インタビュー後編の最後に橋本さんも触れていますが、ファンとしてもやはりこの『街よ街よ』がライブでどのように鳴らされるのかがとても楽しみです。

バンドの演奏面でも、『日記を燃やして』はやはり"橋本絵莉子のソロアルバム"という感じが強かったですが、この『街よ街よ』はよりバンドメンバー全員のチーム感が強まっているような気がします。

チャットモンチー時代から一貫して、橋本さんの凄みは、ソングライターとしての作品づくりの素晴らしさとともに、ライブで演奏したときにご本人も曲も圧倒的オーラを解き放つ魔力にあると感じているので、前進していく橋本バンドというチームのなかで増幅される魔力にひとたまりもなく喰らってしまう日が楽しみです。


こんな長すぎる感想を最後まで読んでくださった方がもしも居たならば、本当にありがとうございました。

最後に一言。


えっちゃん最高!!!!!!!!!!

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