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人生は闇ばかり④~父の行動~

父、母、私の3人暮らしになった我が家、しかし喧嘩は一向に収まらない。むしろ激しくなっていった。それが何年か続き私は小学校から帰るのが憂鬱になっていた。父と母のご機嫌伺いである。ただ私がいない時に話し合ったか徐々に父と母の様子がおかしくなってきた。

ある日の朝、早くに父に起こされた。そして父は私に「もうこの家には帰ってこないからな。」そう言い残し、父は出かけていきその日から父の姿を見ることはなくなった。母は悔し涙を流しながら「どうせ若い女の元にでも行ったんでしょ!」と憤り、私は父がいなくなったことを受け入れるのに時間がかかった。そしてここから母と私の二人暮しが始まったのである。

次の月から父から現金書留が送られてくるようになった。養育費5万円と私のお小遣い3,000円。我が家のケチケチ生活スタート。私は鍋物も焼肉も外食に行ったことがなかった。しかし母は料理が苦手で美味しかったのは鶏の唐揚げとカレーライスのみ。その他の料理はほぼ不味かった。何故母は料理が苦手か?それは昔は祖父が会社経営していて、母は社長令嬢。お手伝いさんがいて料理は全て作ってもらっていたのだ。それが祖父が借金の連帯保証人になり、逃げられて巨額のお金を払う羽目になり会社は倒産。私が生まれた頃にはボロボロの一軒家だった。

(続く)

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