旅について、気まぐれに、思いついたことを書くだけ
旅が好きだな、と今更気づいた。
一人で、どこかにふらっと旅をすることが好きだ。
40が目前になる年齢になるまで、気づかなかったけれど、どうやら私は、ふらふらと、紐が切れた風船みたいに、山もなければ谷もない、地味な移動をすることが、大好きだ。
もともと、日本地図を見ることがとても好きだった。
小学生のころから、憧れる偉人は「伊能忠敬 大先生」だ。
地図は、とてもよいものだ。
とても、無骨で、ただずっと、地図は地図として、事実を、事実の通りにかこうと努力されている。地名は、ただの地名であり、記号は、ただの記号であり、そこにはなんの欺瞞もなければ、思惑も虚栄もなく、正直で、とても清潔で、高潔な読み物。ただ事実を書いているだけなのに、そこから立ち上ってくるロマンやドラマ、ストーリー。それが私にとっての、地図である。私はそんな地図がとても好きなのだ。
地名をなぞり、知識をつけ、それがどんな場所なのか想像する。
私の頭のなかには、そんなふうに、行ったことがないけど知識だけがある、いろいろな空想の街がふわふわ存在している。
そして、ある日、気づいたのだけれど、私はどうやら、その気にさえなれば、その場所にいって、実際にどんな風なのか、自分の五感で確かめることができるらしい。
若い頃は、時間とお金とやる気がなくて、大きくなってからは忙しすぎて、近年は感染症があったりして、なかなか旅ができなかったのだが、気がつけば、静かに音もなく、「旅」をすることができる状態になっていたのだった。
ということで、去年から、暇をみつけては、フラフラふらふらと、いろんな場所へ出かけている。
一人で電車やら、船やらに乗って、移動している間は、どこか心もとない。出発するときは、すっと少しだけ不安になる。
旅をしている間、私は少しだけこの世にいない感じがする。誰でもなくて、何の役割も求められない。
浮遊霊。
浮遊霊である自分が面白くて、ずっとウキウキしてしまう。
なんの役割も、関係性もなく、ただ、そこに存在しているだけの存在。背景の一部に溶け込んで、でもこの世に存在して、生きている。
そんな愉快な浮遊霊になりたくて、私はこれからもいろんなところに旅をするだろうと思う。
頭のなかに存在する、空想のふわふわの街は、実際にみると大抵ぜんぜん違っている。それを少しずつ修正する。家に帰って、もう一回地図をみると、今度は旅先でみた景色で、その街が再構築される。
とても楽しい。修正すべき、無数の街が、まだまだたくさんあることが、とてもうれしい。
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