勉強と承認欲求の沼
今回は、勉強や研究の成果をSNSに投稿することで、精神に悪影響が生じる可能性について考えます。また、そのような人との関わり方を考えます。
自己評価がしだいに壊れる
勉強や研究というのはシビアなもので、結果がすべてと言ってもいいでしょう。
勉強の結果を出すには、かなりの努力が求められます。努力をしたにも関わらず、運悪く結果が出ないこともあります。
結果というのは簡単に得られるものではありません。
そうして得られた結果というのは本当に価値があるので、周りの人からも評価されるわけです。
努力 → 結果 → 評価
しかし、SNSでは努力をしないで結果の無いまま、評価だけを獲得することが出来ます。
SNSには"やさしい"人が多いので、目立った結果が無いのに、いいねやお世辞のコメントがつくわけです。
努力 → 結果 → 評価
言われた側が、お世辞はお世辞であると理解できるのであれば、心配はいりません。
しかし、お世辞を真に受ける人もいて、客観的な評価と主観的な評価に食い違いが出てきます。
簡単に評価されるので承認欲求だけが満たされます。
どんどん努力を怠るようになり、成果が出ていないのにも関わらず、SNSでアピールし始めます。虚飾して自分を良く見せたいと思い始めます。
承認欲求に溺れた状態になるのです。
被害妄想の加速
どんな偉い人でもミスや間違った言動をすることはあります。
その場合には、周りの人から批判を受けて、自分の認識が間違っていたことを理解し、認識を修正していくことが正しい反応です。
「批判されるのは理不尽だ!」「自分は間違っていない!」などの自己正当化は間違った反応です。少しは自分を疑い、欠点を認めるべきなのです。
このような間違った考えになると、批判を受け入れなくなり、自分を養護するコメントにしか耳を傾けなくなります。養護してくれる人も居るから大丈夫と考え始めます。「自分に心地の良い=正しい」と勘違いします。
そして、多くの人から批判されることを、ネットリンチ、集団ストーカー、いじめなどと曲解します。被害妄想が加速するのです。
批判をする側も次第に諦めて、追求をやめます。
残った人は養護する信者しかいません。
さらに一部の信者からも批判されるような出来事が起こると、
熱心な信者か、何も知らない新規の人しか関わりがなくなります。
批判される機会が減り、段々と後戻りできなくなっていきます。その結果、孤独で偏った思考になっていきます。
ちなみにこの段階で友達と呼べる人は居なくなり、
他人を口撃
パソコンや家具の破壊
裏垢やDMで言いたい放題
自◯をほのめかす
のどれかに該当すると思われます。
不安で仕方なくて注目されたいので、SNSをやめるなどの自衛行為は絶対にしません。
どう関わっていくのか
まず、過度に人を持ち上げるのはやめましょう。
”天才”や”博士”はメディアでよく耳にしますが、承認欲求を狂わせる原因の単語だと思います。
荒れていてもスルーしましょう。
「批判されている人がかわいそうだから養護する」
それは本当の”やさしさ”でしょうか。僕は違うと思います。
逆にその人を追い込んでいます。
養護するということは、批判を受け入れる機会を奪っています。
そして、努力によって結果を出すというプロセスを待ちましょう。
大学合格や、資格受験などの客観的な成果が出るまでは、承認欲求を刺激しないようにしましょう。
ときには勇気を出して突き放した態度をとるのも”やさしさ”の一種だと僕は思います。
(この記事は、特定の人物とは関係ありません。あくまで一般論です。)
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