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スプラ1のコミュニティの醸成と衰退について【スプラ界隈】

splatoonの非公式大会が盛り上がっていないらしい。

とある上位層が現状の非公式大会の盛り上がりに意見したことが始まりで、それ以降、非公式大会やXマッチについて、スプラ界隈の人たちが議論をしている。

自分の意見としても「たいじ」「あとばる」と同意見で、

昔はゲーム内でエンドコンテンツがなく、大会しか打ち込めるものがなかった
 →みんな無名だから誰が強いのかはっきりしておらず、誰もが1番になれるチャンスや希望があった
 →スプラ2以降、XPが強いやつの指標として機能してしまっており、対戦する前からある程度予想ができてしまい、敷居が高くなってしまった

プレイヤーも視聴者も、同じゲーム画面を10年近く見ているので、さすがにスプラ自体に飽きた

と、いう考えだ。

さらに自分は別の軸として、2,3のスプラコミュニティの形成が1に比べてうまく発達しなかったのも問題としてあるのではないかと思う。

スプラ1のコミュニティがどのように形成されていったか覚えている限りまとめてみた。(※客観的な立場でまとめるが、思い出補正一部強いかも)


スプラ1時代のコミュニティ黎明期(2015年5~7月頃)


なつい

それはまだナワバリバトルとガチマッチがエリアしか存在しなかった頃である。プライベートマッチもリーグマッチ存在していなかった時代。ガチマッチもA+99までしか存在せず、比較的誰もがカンストすることができた。

別の強さの指標としては、「チョーシランキング」という2時間で一番勝利した人がサイトに掲載されるという機能しかなかった。(リリースしてすぐのナワバリしかなかった時代しか機能していなかったかも)

WiiUという周りの友達がほとんど所持していないハードで、協力対戦ゲームを遊んでくれる人を探すために、スプラプレイヤーはtwitterをやり始めた。

このころのtwitterでは、来るリグマやプラベのために、「チーム」というスプラコミュニティが大量に形成され始めた。ここでいう「チーム」とは、大会を目指す固定チームというものではなく、大学のサークル的なものに近く、一緒に遊ぶネット友達を探す場所的な存在であった。有名どころでいうと.Regenとか

プラベも無いので、お互いフレンドになってナワバリバトルに潜り、合流するという遊び方だった。ゲーム機能として大会も開けないので、強い人と対戦するというよりかは、共通の趣味を探す側面の方が強かった。

フォロワー同士の交流も活発だったため、お互いの「チーム」を持ち寄り、交流戦などが行われ、さらに交流が盛んに行われていた。

この期間の功績として、強さを基準としたコミュニティではなかったため、比較的幅広い層をゲームコミュニティに取り込めたのがこれからのスプラ界隈の土台としてよかったのだと思われる。

「たいじ」というスター選手の登場


この動画がSNSやまとめなどで取り上げられ、上手な人の動画というのがようやく出回り始めた。それまでは実況者ばかりで、プレイが上手くない人しかニコニコ動画のランキングにあがってこなかった。

このあたりからSNS活動をする強いスプラプレイヤーが現れ始め、スプラトゥーンの有名勢が揃いだした。

またSNSを中心とした対戦環境の変化も明確に表れ出した。(たいじが流行って、「裏どり」という概念と「スシコラ」が超流行り、環境が明らかに変わった記憶)

コミュニティとしては、「どの人の動画を見れば強くなれるのか」がわかりやすくなり、情報を拡散しやすくなったのと、話題の人が出たことによるネタの創生(動画/会話/憧れ)に貢献した。

対抗戦・非公式大会の流行り出し、スプラ甲子園の開催(2015年8月頃~)


プライベートマッチが実装され、チーム×チームで戦う「対抗戦」が流行り出す。おそらく2015年9月にスプラ甲子園が開催されることをきっかけに、チームで予行練習をしたがる人達が増加したことが背景にあったと思う。

初の開催であるスプラ甲子園九州の優勝チームが「.Regen」だったこともあり、「チーム」に対して注目がさらに強まったタイミングだった。twitter外の人たちもtwitterで活動している存在に気づきやすかったためだ。

また、スプラ甲子園がオフライン開催で超リッチな生放送だったこともあり、この大会に出場することの憧れがスプラプレイヤーの中でも大きくなっていった
これ以降オフライン大会が頻度高く開催されたことで、「オフ会」が開きやすくなり、いつも一緒に通話して遊んでいる友達やフォロワーさんなどと、直接顔を合わせるという刺激的な体験が発生しやすかったのも、コミュニティ形成の効果として大きかったと思われる。

また、ネット上の人と会うというのが、今よりもまだアングラな感じがあり、ちょっといけないことをしている感じもよかったのかもしれない

非公式大会側も盛り上がりを見せ、1000人規模の大会が開催され始めた。
iOS杯、Sycup、ミックス杯とか懐かしい。
大会で勝利するというチームの活動の「目標」を、これまで一緒に遊んできた「仲間」と目指し、大会でいままで交流してきた「ライバル」と当たって戦うという体験が特によかった。
一緒のチームで参加したことない人としかチームを組めないミックス杯も、タイミング的にコミュニティの活性化に影響を与えたのではないかと思う。

大会には出ないようなエンジョイ勢もタッグマッチが実装され、一緒に遊べるプレイヤーをハッシュタグなどで探し、コミュニティの輪を広げていた。

S+99(カンスト)の緩和(2015年10月頃~)


8月に解禁されたS+だが、当初かなりきついレート設計だった。
勝率が約8割を超えないとカンストできない設計だった。(内部レートも特になく、SとS+が入り混じる魔境だった記憶)

ほんと一部の上位プレイヤーはカンスト達成することができたが、ほとんどのプレイヤーはあまりの壁の高さに、ゲームの目標になっていなかった。(コンテンツも他にないので、ソロプレイヤーの離脱リスクが高かった)

そこでS+99(カンスト)の敷居が10月のアップデートで必要勝率が約7割に下がった

このアップデートにより、カンストプレイヤーがたくさん出現し、カンストが大会出場へのわかりやすいスタートラインになる。

今思うと、カンストの敷居が高いままだったら大会参加者の人数は1000人規模まで膨らまなかったかもしれないし、非公式大会の衰退も早かったかもしれない。

えりおまらいと5先 plzsp (2016年1月頃~)


エリア対抗戦 おまかせから右回り5先 こちらカンスト4人 plzsp

これは、ルール「エリア」。ステージは「おまかせ」で出たステージからその後右回りに選択。5試合先に取ったほうが勝ち。こちらのメンバーはS+99が4人ですよ。という意味だ。
この定型文がめちゃめちゃ流行った。

「plzsp」というのは、対抗戦の相手を募集している人を通知してくれるbotが検索に引っ掛けるためのワードで、この単語を入れておくと、botがツイートしてくれる。
そのツイートを見て、FF外(フォローフォロワーじゃない関係)の人が応募するわけだ。
※plzspは2015年10月頃からすでにあったが、いろいろなスプラの募集で利用されていた背景がある。どういう流れで流行ったのかは不明

このシステムの素晴らしいところは、twitter上でツイートしないとbotが検知しないため、フォロワーのタイムラインに乗ることだ。他の人がこのタグの存在を知ることで、知名度が上がり、さらに拡散され、利用者が増えていったというところ。全盛期は朝の6時でも5分で対戦相手が見つかったぐらい人がいた。

カンストだけが利用していたわけではなく、リーグマッチのルールが人気のないヤグラやホコだった時は、カンスト勢じゃない人もエリアをするために気軽に利用していた。

対抗戦がかなりカジュアルなものになるにつれ、タイムライン上にいるフォロワーを誘って即席チームを作ったり、FF外から応募してきたりと、プレイヤー間の交流が盛んだった。(酒場で仲間を集めて、クエストに出るみたいな体験だった)

大会の活性、勝利のための固定チーム化、ファンの形成


第1回スプラトゥーン甲子園決勝大会リポート。ついに最強チームが決定! ナワバリバトル全国ナンバーワンは誰だ!?【闘会議2016】https://www.famitsu.com/news/201602/01098492.html

スプラ有名勢のスプラ甲子園出場なども相まって、オフライン大会が盛り上がる。(ゲーム実況者がまだあまり顔を出さない時代だったのと、twitterの話題の人がどんな顔してるのかみんな興味津々だったのもある)

非公式大会も甲子園の盛り上がりに合わせてどんどん大規模大会が増えていった。
このころは、みんな「ゲームの大会に出ちゃう」という謎の高揚感、「まだ誰が強いのかわからないし、自分も勝てるかも」という自惚れ、「有名勢と対戦したい」というミーハー心、などなどそういった勢いがあった。

大会で結果を残すプレイヤーが大体わかってきた頃、強いプレイヤー同士だけで「固定チーム」を組み、優勝を目指すために複数の大会に出場していた。(NK、おもひで、Another とかとか ※時期感違うかも)

「固定チーム」とは、黎明期の「チーム」とは主旨が違い、試合に出る4人だけで形成されるチームで、各プレイヤーの得意な武器と役割がばっちりハマるようにメンバーを組んでいた。

有名勢が固定チームを組みだし、対抗戦の様子や大会に出場している様子が配信されたことで、視聴者が増えだし、固定チームに対してファンが形成されていった。スプラ1では観戦機能が無いので、大会参加者の配信にいく必要があったのも大きい。視聴者の層としては、上位の技術を盗みたい層、人柄にひかれた層、有名勢同士の絡みを楽しむ「箱推し」的な層と様々だった。

有名勢の「固定チーム」が大会を優勝しだし、それに憧れて他の上位プレイヤー達も固定チームを組みだす。そうした中、ついてこれなくなったエンジョイ勢はじわじわスプラを離脱していく。ただ、チームとして仲良くなった人が大会に出場しているのを応援したり、配信を見に来たり、リグマを遊んだりして繋がり自体は断ち切れず、コミュニティ人数としては維持されていた。(スプラのアップデートがまだ続いていたのも大きい。)

スプラ2という未来の確定


第一回スプラ甲子園終了後、第二回スプラ甲子園開催決定や、ブキチセレクションの追加など、ゲーム運営としてもまだまだ盛り上げるぞという勢いがあった。

そしてスプラ2がswitchで登場することが2016年10月に確定しており、「このゲームには未来があるから、まだまだ遊んでいいんだ」という希望があった。

スプラ1のアップデートが終了しても、非公式大会もまだまだ盛り上がっていたものの、昔ほどの参加人数は無く、強いプレイヤーだけが集まった招待型の大会や、強い人だけでチームを作るドラフト形式の大会が増えてきて、強いチームの「強い人や人気」の集中が強くなり始めた。

また発売から2年もたつことで、スプラ自体に飽きた人や、就職や受験など人生のステージが上がりプレイできなくなった人が増え、自然とSNSからも離脱する人増え出してきた。(ゲームのコンテンツ追加が無いので流入は見込めないのと、時間要因の離脱でコミュニティの人数はどうしても減るのは仕方ない)

splatoon2が発売され、また活気が戻っていくが、これはまたいつかまとめることとする。(そこまで詳しくは無い)
※スプラ2は2で、運営側が甲子園の優勝者チームにストーリーを持たせるような動きがあったとか、観戦モードが追加されたことの変化とか、Xマッチが実装されたとか、内部レートが存在するとかいろいろある

まとめ


思い出をつらつら記載してきたが、スプラ1がコミュニティ軸で盛り上がっていた、形成が上手くいっていた理由としては、自分はこう考える。

・WiiUという周りの友達がほとんど所持していないハードだったので、SNSで友達を作り一緒に遊ぶ傾向が強かった。
・スタートラインが同じなので、みんなのスプラのプレイレベルが近かった。
・プレイが上手かよりも、共通の趣味の友達を作る「サークル」的な側面が強く、幅広い層をコミュニティに根付かせた。
・観戦機能がなく、大会ではプレイヤーの配信画面に行く必要があった。
・カンストの敷居が低いのと、botによる認知によって、対抗戦参加までのハードルが低く、知らない人との交流が活発に行いやすい環境だった。
・交流が盛んだったからこそ、甲子園や非公式大会に友達、知り合い、有名勢が参加していることで、視聴する理由が生まれ、大会が盛り上がった。


あの頃は本当に夢中で毎日楽しかった。
年齢だけ戻っても、あの体験はもう二度とできないんだな…。

おしまい。


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